神様
重い両足を、シキは強い意志で動かす。
爽やかな緑に色付いた雑木林の中を、シキは急ぐように黙々と突き進む。
その顔は強い意志にも似た、強迫観念に囚われた顔をしていた。
冷や汗を垂らしながら、口をピッタリと閉じて前を見据え、草木の茂る緑を掻き分け、道とも呼べない道を進む。
(この辺りまで来れば……)
やがて、人の目線が通らないと確信出来る場所まで来たシキは足を止めた。
何かあった時に備えて、ユリの居る場所からはそこまで離れていないが、ここで誰かとばったりと出くわす事もないだろう。
そう考えて、下草の上に膝をつき頭を下げる。
「『ミタマ様』。お聞きしたい事があります。どうか、お姿を現しください」
ゆっくりと瞬きをする。
瞬間、空気が変わる。
静寂に満ちた森の中、人っ子一人いないはずなのに、無数の視線が自分に向けられている感覚。
互いに干渉出来ず、他人と同様に気に留められていなかったはずなのに、知覚出来ない存在に目を付けられてしまったような嫌な感覚。
一瞬、シキの中に凄まじい後悔が滲む。
しかし、そんな威圧感は嘘のようにすぐに霧散する。
「神様」
汗を垂らし、縋るようにして頭を上げたシキの目線の先、そこに『ミタマ様』が居た。
直立する棺。
紫に近い黒く濡れた輝きを四方の木板に宿して、シキを見下ろしていた。
「神様。……お聞きしたいことがあります。よろしいですか?」
『はい、先程ぶりですね。なんでしょう?』
声が返ったことで、シキのなかに小さな安堵が生まれる。
『ミタマ様』の姿はどこにでもある棺と変わらない。だからこそ、実際にソレと会話をするまで自分がおかしいような感覚に囚われる。
気持ちを切り替えて、シキは頭の中に用意していた疑問を投げ掛ける。
「単刀直入にお聞きします。……自分は―――」ゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決める。「自分はさっきまであなたに、操られていたのでしょうか?」
『まあ、そうですね。信仰術の効果はもう切れていますし、どうやら完全に我を取り戻せたようですね。嬉しい限りです』
意を決したシキの問いに、拍子抜けするほどアッサリと棺は答えた。
恐らく、シキの質問の内容は予想していたのだろう。それがどうしたのと言わんばかりに、皮肉と一緒に棺はシキを操作していた事を認めた。
「……」
何を言えばいいか分からず、呆然とシキは固まる。
そんなシキに、今度は棺の方から質問をする。
『それだけですか? ほかに何か言う事があるんじゃないですか?」
「え……?」
シキはたじろぐ。
何を、どう言えというのだろうか。
答えを求めて目の前の棺をシキは眺めるが、そこから感情を探る事は出来ない。
(……俺が何も出来ないのを分かってるんだ。所詮、俺は一人の神官でしかない。それも、ミタマ様の恩恵がなければ、俺には何も無い)
胃の中が逆流する感覚するような感覚。胃の中は何もないはずなのに、胃液が込み上げた事で喉が熱くなる。
沸き出る不快感を、シキはその面に僅かに浮かべる。
ここで神様の機嫌を損ねるのは悪手だろう。
それでも、言葉は喋らなければ相手に伝わらない。
強い意志で、前を見据える。
「神様。……自分の信徒を操って、何がしたいんですか? なぜ、こんなことをするんですか?」
震える手を握り締め、言ってシキは小さく息を吐く。
賽は投げられた。
もう、後戻りは出来ない。
『―――はい?』
シキが問えば、聞き返される。
威圧的なような、それでいて本当に要領を得ないと困惑をしているような、そんな声音。
怖気付きそうになる自身に喝を入れ、シキは自身の思っていることを全て話す。
「俺がトトナやルーカス君に憎悪を抱くように神様が仕向けたんでしょう? なぜそんな事をするのか、目的だけでも教えて欲しいんです」
真正面から真摯に話す。
『……』
ジッと見られている感覚。
この棺が人の形をしていれば、ポカーンと口を開けて見られているような、そんな感覚。
しかし、瞬きをした次の瞬間には想像を絶する何かが起きてそうな恐怖がある。
ジワリと汗が滲む。
そして、一拍置いて。
『――――あはははははははははは!』
棺が高らかに笑う。
『あははははははは! ふっ、あははははははは!』
感情を爆発させたような笑いが森の中に木霊する。
腹をくの字に曲げ、膝を叩き、そしてこれでもかと腹を抱えて笑っている様子が目に浮かぶ。
「っ」
自身の必死の覚悟を笑われたシキは、言い返そうと立ち上がる。
しかし、嫌なものを感じて開きかけた口をすぐに閉じる。
一瞬、気持ち良さそうに笑う神様の声が、理解されないと嘆く怨嗟の声に聞こえて。
「……」
少しずつ、棺の笑いが収まるのを待ってから、再びシキは口を開いた。
「……神様の仕業では、ないんですか? てっきり自分は神様のせいだと―――」
『あははははは、それじゃ、なんですか? あなたは、私を罰そうとここへ来たのですか? ふッ、あ、あははははははっ』
再び笑いのツボに入ったらしい棺の声によって、シキの声は掻き消される。
意味が分からない。
本気で困惑するシキに、棺は向き直る。
『はー、おかし。……ふーっ。いえ、すいません、笑ってしまって。ふふ。感謝されるものだと思っていたら、まさか責められるなんて思ってもなくて』
「感謝、ですか……?」
訝しむシキに、それまでケラケラと笑っていた棺は、ぶつりと糸が切れたように静まる。
『――――まだ分かっていないんですか。実際の真実よりも、自分の信じたいものを真実だと思い込む。どいつもこいつも、本当に人間らしいですね』
笑い混じりの雰囲気から一転して、淡々とした真剣な口調で告げられる。
あまりの急変ぶりに、シキは息が詰まる。
『何から話せばいいのか。……まず、あなたが抱いていた嫉妬や憎しみは、全てあなたの身から出たものです。そこに、私は一切関わっていません』
棺が、きっぱりと言い切る。
「……で、ですが、たった今俺のことを操っていたと」
『ええ。確かに、私はあなたに向けて信仰術を使用し、あなたの意思と行動を誘導していましたが、その際に使用した信仰術は二つ。『記憶混濁』と『思考誘導』です。この二つの信仰術に、聞き覚えはありますね?』
棺の問いに、シキはゆっくりと首肯する。
『記憶混濁』は、主にトラウマを抱えた人物に対して使用される信仰術で、特定の人物にまつわる認知や記憶を歪める事が出来る。
虐待や性被害など、自然に治癒しない精神の怪我を治癒、緩和する為の信仰術だ。
『思考誘導』は、名前の通り相手の思考を誘導する事ができ、仕草や行動の矯正を目的として作られた信仰術になる。
主に悪癖や発作、自傷行為を繰り返す人物の行動選択の幅を絞る事で、行動と意識の改善を図る。
『記憶混濁』と『思考誘導』。
名前は少し物騒だが、どちらもれっきとした「医療術」に分類されるミタマ様の信仰術だ。
――――そして、この二つの信仰術はどちらも発狂した神官に有効な信仰術でもあった。
そこまで考えて、シキは棺の言いたい事を悟る。
『私があなたの事を操り、あの国から離れさせたのは、それもこれもあなたが発狂をしたせいです。身に覚えはありますか?』
「え、ええ。あの二人に対する嫉妬と憎しみで前が見えなくなって、それで……。その時の記憶の曖昧さが、信仰術を施した際の記憶補正と酷似していたので、それでてっきり自分は神様の仕業だと……」
ようやくシキに理解の色が浮かぶ。
つまりは――――。
『私は発狂したあなたを必死に救おうとしていたんです。原因となっていた記憶を忘れさせ認知を歪め、少しでも憎悪から遠ざけようとしたんですよ? まあ、それでもまだ憎しみは強かったようですが……私が介入していなかったら、あなたはとっくに危険人物として処理されていました』
「それは……。……ご迷惑をお掛けしました」
嫉妬し、憎しみ、諦め、怒りに呑まれる。
なんて事はない。
それもこれも全て自分の内から出た、自分が作り出した膿だったのだ。
バツの悪そうに俯くシキに、棺は呆れたような声を出してこれまでの事をとうとうと語る。
『ここ数百年で一番焦りましたからね? 信者の数は年々減少しているのに、魔獣の襲撃であなた以外の布教出来る神官は全滅。将来有望と聞かされていたあなたの従者は他の神官にうつつを抜かしていて、そして更にそれが原因で私が虎の子として大事に抱えていたあなたは発狂しかけている。もう、本当に正直言って詰みだと思いましたよ』
はぁぁ、と本当に疲れ切ったような疲労の色が濃い溜め息を棺は出して、それから声を張った。
『――――ですが! いいですか? 天才な私は土壇場で新たに信仰術を創造する事に成功したんです。元々は発狂したあなたが万が一自殺をした際の保険として作ろうとした信仰術ですが、解釈を加える事で超長距離の移動が出来る可能性を発見したんです』
自慢をするように棺が語る。
シキは棺の中に、指を一本立てて誇らしげにする細長の人間の姿を幻視する。
「……霊道とやらを通る、あの信仰術のことですか?」
『ええ。私が出来る解釈、かつ人間だった時代に成し遂げた功績を逸脱しない範囲でなんとか創り上げました。正直賭けだったので、本当に創れた時はそれはもう手を叩いて喜びましたよ。どうせ、あの国で集められる信者の数も頭打ちでしたしたからね』
「……死ななければ発動しない信仰術。襲われた際の自衛、逃亡手段と聞いていましたが、新天地で布教をする為の信仰術でもあった訳ですね。それで『思考誘導』で俺をあの森に向かわせたんですか?」
シキが問えば、棺は不満気に声を漏らした。
『……少し、物言いに棘がありますか? 勘違いのないように言っておきますが、それ以外にあなたを救う手立てはありませんでしたからね。確かに、この機を利用して新天地で信者を集めようという下心もありましたが、主目的はあなたの治癒です。原因から離れる事が、一番手っ取り早く正気に戻れますからね』
「そ、それは勿論、分かっています。ただ、一言いって頂ければ、神様を疑う事もなかったのにと……」
ポツポツと語るシキに、棺はまた先程と同じように嗤う。
『最初に何も言わなかったのはあなたでしょう? なぜ、私に相談をしなかったのですか? 家族が亡くなっても、私が居たでしょうに』
「……」
黙り込むシキに、咎める、というよりも諭すような口調で棺は話す。
『いいですか? 私にとって、神官は全て自分の子供のようなものです。……大切な従者に裏切られて落ち込む気持ちも分かりますが、それでもあなたは一人ではありません。分かりましたか? 分かったのであれば顔を上げて下さい』
「……はい。……本当に、申し訳ありませんでした」
シキは心から棺に謝罪をして、顔を上げる。
『結果的にあなたのお陰で新しい地に来る事が出来た訳ですし、赦しましょう。それに、新しく出来たあなたの従者を待たせても……ああ。そう言えば』
「?」
『シキ、この際だから不満を言いますが、あなたは信仰力を使い過ぎです。新しい従者を作ったのは素晴らしい事ですが、それでも一体いくら信仰力を使ったか分かっていますか?』
棺の問いに、シキは首を傾げる。
「……神様の指示ではなかったんですか? 『思考誘導』で俺を操っていたのでは?」
『操っていましたが、あなたは私の言う事を聞かなかったじゃないですか。『思考誘導』は誘導をするだけで強制力はありません。というか、むしろ私は何度もあなたに諦めるように訴えかけたんですよ? 余りにも信仰力が勿体ないので』
その答えを聞いて、シキは心の中の疑問が氷解する。
(あの時の囁くような声は、神様の意思だったのか)
シキは理解すると同時に、眉を顰める。
『あの男のように、既に死にかけている人間に無駄に信仰力を使って、本当に救える人に使える分が消えたらどうするんです? いいですか? これからは救えると確信出来る人だけを救いなさい』
そう、きっぱりと棺が言い放つ。
間違いなく正論だろう。
しかし、シキには納得が出来なかった。
「確かに、神様の言う事はごもっともだと思います。それでも自分は、その人に生きる意思があるのであれば、僅かでも自分が救える可能性があるのであれば、その人を救いたいと思っています。差し出がましいとは思いますが、こればっかりは譲りたくないです」
強い意志を持って、シキは言葉を紡ぐ。
シキは、自分がいつまでも救う側の人間でいられるなどと思っていなかった。
きっとこの先、自分が逆の立場になる事だって数え切れないほどあるのだろう。
そんな時、救える可能性が低いと言う理由で切り捨てられたら、どう思うだろうか。
(……俺は、きっと納得出来ない。仮にどんなに可能性が低くても、俺は救われたい。だからこそ、俺も人を救うんだ)
その考えを声に出す事はしないが、シキの根底にあるものだった。
『……』
当然、棺に瞳はない。
しかし、強い意志を宿した視線が交差しているという確信がシキにはあった。
そうしてお互い何も言わず、数秒の時間が経ち、棺が悩ましい声を上げた。
『……うーん。まあ、いいでしょう。あなた以外に神官がいるのであればそのような使い方は看過できませんでしたが、神官は現状シキしかいませんからね。自分で信仰力を集め、それを自分で使う分には問題ないでしょう』
「ありがとうございます」
頭を下げるシキに、棺は仕方ないとばかりにため息を吐く。
『まあ、余裕はありませんが収穫は色々とあった訳ですからね。特に新しく創った信仰術、「幽霊通り」が、予期しているのであれば自殺ではなく他者に殺されても効果を発揮すると知れたのは大きな収穫でした』
「……」
棺の言葉に、シキは苦い顔をする。
他人に殺されても発動出来ると言っても、一度死ぬことには変わりない。
正直、もうあんな思いはしたくない。
しかし、そんなシキの思いを知ってか知らずか、棺は声を張り上げた。
『ここは全くの未知の土地。かつての国と違い、ここなら私たちを求めている人間も多くいることでしょう。目指すは、規模「村落」ですね』
―――――――――――――
―――――――
【神】『ミタマ様』
【母体規模】『集落』
【恩恵】
神主:『幽霊通り』
上級:『魔物創造』
中級:『記憶混濁』『思考誘導』『???』『???』
下級:『主従契約』『生命知覚』『???』『???』『???』『???』
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