シキはどこに2
「後ろを振り向くな!」
疎らに木々が立ち並ぶ、比較的視野の通る森の中でルーカスは怒鳴る。
トトナと『紅』の面々はルーカスを最後尾に、足を止めることなく森の中を疾走する。
刃物を力強く振るった時のような、空気を切り裂く風切音。
頭上からその音が迫っていることに気付いたルーカスは、見上げることなく頭を動かして躱す。
一拍置いて、自分の頭があった場所に腕が突き出される。
それを掴み、思い切り下に引っ張る。
「ぴぎッ……!」
バランスを崩して落ちてきた魔獣を無造作に殴り飛ばす。
ミシリと鈍い音がして、魔獣はルーカスの視界の端から視界外に消えていく。
最後尾の為、後ろに気を使う必要がないからこそ出来る荒業だった。
ルーカスは額から滲む汗を拭う。
ついさっきのこと。
焦れったくなる程の時間森の中を歩き、ついにはシキを見つける事は出来なかった。
魔獣が嫌う臭いを発する木々が密集する森を抜ければ、地層のように全く新しい植生が異なる森が姿を見せる。
そこは、魔獣の出没する警戒区域。
国が定める安全基準を満たしていないものの、一部の冒険者や神官であれば立ち入りが許可されている区域になる。
元々、魔獣の出ない領域までならシキを捜索するという条件で森に入ったのだ。
本当であれば、全員がここで引き返す予定だった。
しかし、そこで真新しい痕跡を発見してしまった。
破かれた衣服の一部と、決して少なくない量の血痕。時間が経って黒く変色している血ではなく、ついさっき体から零れたような赤い鮮血。
それがポタポタと、警戒区域に向かって伸びていた。
血痕の近くには、シキが持っていた長杖も落ちていた。
間違いなく、シキはここで襲われたのだ。そして同時に、シキが何に襲われたのかを理解する。
森猿。
人型の魔獣で、全身が海に漂う藻のような緑色の長い毛で覆われている。鉤爪のような鋭い爪を武器として、頭上から急襲する様は厄介としか言いようがない。
そんな人型の魔獣が、野次馬のように木々の上に集まり、ルーカス達をジッと見下ろしていた。
森猿の群れは二十匹前後の個体が集まって形成されている。
神官一人では手に余る相手。
トトナが何かを言うよりも早く、ルーカスは『紅』の面々に捜索続行の指示を出す。
トトナが一人で突っ込む前に足並みを揃えたいという目的もあったが、何よりこの状況は利用出来るかもしれないという期待がルーカスにはあった。
意を決して、ソフィアを筆頭にルーカス達は警戒区域に足を踏み入れた。
鳥が木から勢い良く羽ばたいた時のような、バサバサと騒がしい音がそこかしこから聞こえる。
枝が上下に揺れ、空を覆うように広げられた葉が激しく動く度に、その合間を縫って木漏れ日が差す。
チラチラと忙しなく瞳に差す木洩れ日を鬱陶しく思いながら、ルーカスはこっそりとサーシャに指示を出す。
「……」
ルーカスの指示に従って、サーシャが走るトトナに限界まで近付き『主従契約』を行使する。
数秒経って、サーシャから返ってきた反応は「抵抗あり」だった。
(やっぱり、トトナはまだシキさんの『従者』だ。接触はしていない)
ルーカスは安堵する。
『主従契約』は神官なら誰でも行使出来る信仰術で、相手の事を自身の従者に出来る。
しかし、この『主従契約』は自分以外の神官や、既に他の神官の従者になっている人間にも発動させる事が出来た。
自分以外の神官に発動させた場合、繋がりそのものを拒絶するような弾かれる感覚があり、既に他の神官の従者になっている人間に発動させた場合は引っ掛かるような抵抗感がある。
サーシャがトトナに感じた抵抗感は、トトナがまだシキの『従者』である事を示している。
ルーカスは頭を必死に回転させる。
もしシキがこちらに敵意を持っていた場合、トトナを標的にする可能性は高い。
シキがトトナにもう一度『主従契約』を行えば、トトナを従者から『ミタマ様』の神官に昇格させる事が出来るのだから。
しかし、信仰術にも有効距離というものがある。
信仰術の種類によって多少は変わるものの、基本的には信仰術の対象が遠くなるほど弱くなり、近くに寄るほど効果は強くなる。
『主従契約』の場合は相手に手が届く範囲でなければそもそも効果は発揮しない。
シキがトトナを従者から神官に昇格させる為には、どうしてもシキが自分から近付いてくる必要がある。
では、どうやってシキは手の触れられる距離まで近付いてくるつもりなのか。
(『ミタマ様』の恩恵の中に、相手と距離を詰める類の信仰術はないはずだ。功績面から見ても、まず間違いはない……っと)
首元に迫っていた爪を回避して、思考する。
神様の恩恵は、その神様が生前に成した功績と深く結び付いている。その功績によって、扱える信仰術の種類も決まる。
『ミタマ様』は主に精神治癒、そして当時急激に増加した不死者被害の根本的解決、抑止に尽力した一人として知られる偉人だった。
ミタマ様の功績では、距離を詰める類の信仰術は作れない。
「距離の制御」や「移動」を目的とした信仰術は、測量や開拓の分野で名を残した
これまでルーカスが見聞きしてきた経験、そしてミタマ様の功績を考えれば、ミタマ様の恩恵の大半が治癒、もしくは精神に作用する信仰術のはずだ。
解釈次第で「攻撃」に転用出来る要素を含めても、それでもミタマ様の恩恵は対神官との戦闘には向いていない。
それに、信仰術の押し合いでシキは有利に立てない。
ミタマ様の信者の規模は「集落」程度。
対して、ルーカスの信仰する神の信者の規模は「都市」に匹敵する。
距離を詰められない限り、シキの信仰術に突破される心配は無い。
シキがやってきそうな事として、考えられるのは二つ。
(信仰術の力に頼るのではなく、シンプルな地の利や状況の変化を利用してコチラの行動を制限、誘導するつもりなのかな? 現に、僕たちはシキさんの元に自分から近付いていってる訳だし)
ルーカスは先頭で走るソフィアの背中を眺める。そして、いやと自分の考えを改める。
前の森と違い、この場所は走れる位には比較的木々が少ない。
先頭にソフィアがいる限り、ソフィアの知覚範囲内に一瞬でもシキが入ればすぐに分かる。
それは、シキも理解しているはずだろう。
ならば、やはり考えられるのはもう一つの可能性。
「おっと―――ふんっ!」
「ぐぃッ!?」
頭上から繰り返される急襲に、ルーカスもまた同じように躱し、伸ばされた森猿の腕を引っ張る。
そして空中で無防備になった体に、体重と加速を乗せた拳を叩き込む。
先程と違い、少し強めに吹っ飛ばすつもりで放った拳だ。
バゴンという破裂するような音がして、垂直に吹っ飛んだ森猿は近くに生えている木に衝突して、木の幹に凹みを作る。
(――――っと、ふぅ。……やっぱり、一番あり得そうなのは、この森猿たちがシキさんに操られている可能性かな。何体まで操れるのかは分からないけど)
足を止めることなくルーカスは走りながら、自分が殴り飛ばした森猿の様子をチラリと確認する。
丁度、重力に引っ張られた森猿が糸が切れたようにぐったりと地面に沈む所だった。
起き上がり、もう一度襲って来る様子はない。
しかし、油断は出来ない。
操作されている魔獣は、仮にその首を切り落としても指示に従って襲ってくる場合がある。
頭を潰し、安心している所をその魔獣に後衛が襲われ、チームが瓦解するというのは何度も聞いた話だった。
魔獣が何かおかしな行動をするようであれば、その魔獣が操作されている事が分かる。
しかし、特性に忠実な実際の魔獣の行動を精密に再現されてしまうと操作されているのか分からない。
(精神に作用する信仰術。神官には通じなくても、恐らく魔獣には通じるはずだ)
神様の信者の規模が違う為、信仰術の純粋な押し合いでは勝てないと踏んだのだろう。
間に魔獣を挟むことでその弱みを消し、物理と物量で攻める。
そして『紅』を全滅、もしくは全員を「改宗」させた後でゆっくりとトトナを神官に昇格させる腹積もりなのだろう。
でなければ、シキがこのような意味不明な行動をする理由が見つからない。
(村で見つかった足跡も、この少しずつ垂れている血の跡も。何か行動を起こすのであれば気付かれないように、痕跡を残さないように行動するのが鉄則のはず。痕跡を残しているのは、こちらを誘っているからとしか考えられない。それか―――)
――――痕跡を消す暇もないほど急ぐ用事でもあったのか。
いずれにしろ、シキの行動には不審な点が多過ぎた。
森猿は、背中を見せて逃げる生物を攻撃する。
一般的な肉食の動物が持つ特性でもあるが、森猿は草食で生物を捕食する事はしない。
森猿が相手を攻撃するのは、決まって自身の縄張りに足を踏み入れた者だけだ。
縄張りから出るか、逃げずに視線を上げ森猿と目を合わせ、ゆっくりと後ろ向きで下がれば森猿は襲ってこない。
回避する手段は幾らでもあるのだ。
どう考えても、シキは自分から襲われに行っているようにしか見えない。
なぜそんな事をするのかと言えば、理由は一つ。
(トトナを『従者』のままにして残したのはシキさんの善意から来るものではなく、ただのミタマ様の罠だった訳だ)
襲われ、逃げている風を装って血痕を残せば、間違いなくトトナが釣れる。
そして、そのトトナを守るために更に『紅』が釣れる。
上手くいけば、周りに邪魔されることなくトトナと『紅』の両方が手に入るのだ。
ミタマ様にはもうシキしか神官が残っておらず、信者の数も少ない。
ただ待っていても先細りし、いずれ消滅する信仰なのだ。
それならば、リスクを犯してでも最大の利益を得ようと考えるのは理解出来る考え方だった。
魔獣を何体まで使役出来るかは分からないが、この警戒区域に出没する魔獣を自分の駒に出来ると考えれば、この森がミタマ様にとってベストなのは間違いがない。
この森であれば、仮にどんな「不慮の事故」があっても魔獣のせいにする事が出来るのだから。
――――しかし。
(『紅』が魔獣程度に負ける訳が無い。警戒区域の魔獣の事なら熟知している。何十体と襲って来た所で、容易に返り討ちに出来る)
誘い込んだつもりなのだろうが、ルーカスからすればそれは有り難かった。
ここで逃げられ、いつ襲ってくるか分からない緊張感で心身を擦り減らすよりは、自分達が標的になっている間にさっさと仕留めたかった。
見える敵よりも、完全に潜伏された敵の方が厄介なのだ。
誘いに乗っている限りは、ミタマ様もここを離れないだろう。
『紅』は、幾つも奥の手を隠している。
だからこそ、相手の計算を狂わせる事が出来る確信がルーカスにはあった。
あの邪神を取り逃せば、かつてのシキのように、他の人間まで犠牲になるだろう。
ここで、確実に仕留めなければ。
決意を込めて、ルーカスは前を見据えた。
◇◆◇◆
逸る鼓動を抑えて、懸命に走る。
なぜ、突然シキが森に入ったのか。歩いている間に必死に考えたが、トトナには見当もつかなかった。
シキが個別に依頼を受けていた可能性も考えたが、それなら一言あってもいいはずなのに。
用事があるなど、従者であるはずの自分には何も聞かされていなかった。
自分の記憶に漏れがないか、ここ数日の記憶をトトナはもう一度確認する。
しかし、やはりそれらしい手掛かりは何も見つけられず、トトナは
何度記憶を遡り、一から丁寧に確認してみても、結局何も見つけられずにシキとした最後の会話に行き着く。
昨日の夕刻過ぎ。宿に入る前、少し会話をして、それから――――。
(――――そう言えばあの時、先輩に少し強く言い過ぎてしまいました)
記憶を振り返るという形で客観的に自分を見れば、刺々しい言い方をする自分の姿が映る。
もしかしたら、本当は何かを話そうとはしてくれていたのかも知れない。
しかし、口調の強い自分に尻込みして、シキは言うに言えなかったのではないだろうか。
それで、仕方なく一人で森に――――。
「……っ」
胸に、冷たい痛みが走った。
一人でも依頼を解決出来る算段があって森に単身で乗り込んだのならばまだ良い。
しかし、周りの誰にも相談出来なかっただけなのだとしたら。
更に、朝も早かった。それで、起こすのも悪いと気を使って黙ってシキは向かったのかもしれない。
見張りからそのまま向かったのだとすれば、ロクに休んでもいないはずなのに。
「……」
波のように押し寄せる不安の種類が、一段と重いものに変わる。
ジワリと、視界に涙が滲む。
(……い、いえ。ここには、神官の方が四人もいるんです。もし先輩が危ない状態でも、ソフィアちゃん達が先輩を助けてくれるはずです)
『紅』のメンバーであれば、何があっても難なく対処してくれるだろう。
森に入った理由など後で聞けば良い。
無事でいてくれれば。
生きて見つかれば、それでいい。
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