従者


「……これで、従者になれたのでしょうか?」


 コテンと首を傾げるユリに、シキは残った信仰力の量を確認して、頷いて見せた。


「引っ掛かるような抵抗感は無かったし、信仰術はちゃんと発動したっぽいからこれで従者になれたはず。んじゃ、これからは敬語を取ってユリと話す。―――それじゃあ改めて、よろしく」


「あっ、は、はい。宜しくお願いします、し、神官様」


 そう言って、新しくシキの従者になったユリがペコリと頭を下げる。

 自分を慕ってくれる姿にシキは、照れのような妙に心がざわつく感覚を覚えた。


(……久しぶりに感謝されたからかな。なんというか、落ち着かない)


 シキが自分の気持ちの原因を探ろうとするよりも早く、頭を上げたユリがオドオドとしながらも、決意を込めた声で言葉を続ける。


「わ、私に、何か出来る事があれば、何でも言ってください。私も、神官様みたいに、人の為になりたいですから」


 そう言って、ユリが遠慮がちに微笑んだ。


 自分と同じ目線に立とうとしてくれている。

 その姿を見て、違和感の正体がはっきりする。


 シキの中に、ふと懐かしい記憶が浮かんだ。


(……ああ、そう言えば、トトナも最初の頃はこんな感じだったな)


 昔の、懐かしい光景が浮かび上がり、思わず笑みが零れそうになって――――。


 ―――そして、すぐにシキの顔が陰った。


「……もしも従者を辞めたくなったら、いつでも辞めていいから」


「え……?」


 トトナの事を思い出していたからだろう。


 語調が少し強くなってしまう。


 シキはすぐにハッとして、慌てて誤魔化すように補足をする。


「え、えっと。従者っていうのはいつでも自分の意志で辞められるものなんだよ。ユリが俺の従者を辞めたいって強く思えば、その瞬間に契約は解消される」


「え、そ、そんなあっさりと……?」


 小さく驚いたような表情を浮かべているユリに、シキは軽く説明をする。


 神官になる為には二回『主従契約』をする必要があり、大事なのは二度目の『主従契約』時だ。


 『従者』は神官に仕える存在であり、神に仕える存在ではない。


 一度目の『主従契約』で神官の『従者』になり、二度目の『主従契約』で神の従者、つまり神官になれる。


 一度目の主従契約で神官の『従者』になったら、その時点から最低五年はその神官の従者を務める必要がある。


 一人の神官に『従者』は何人もついていいが、従者は他の神の神官に目移りをしてはいけない。


「――――従者を辞めたとしても、罰則やペナルティは何もない。神官の従者を辞めても、その神官にその情報が伝わる訳じゃないんだ。従者を辞められるハードルが凄く低いからこそ、その従者の本気度合いが試されるんだ」


 一度目の『主従契約』で信者に一方的に種を渡し、五年かけてその信者が種を成長させ、二度目の『主従契約』で開花させるイメージだろうか。


 従者と神官の間で、常に精神的な繋がりがある訳ではない。


「な、なる、ほど……?」


 ユリが、納得のいったような、いってないような顔をする。


「まあ、つまり、一回目はそこまで重い契約じゃないってことを覚えてくれればいい。辞めようと思えばいつでも辞められるし、仮に辞めてもすぐに従者に戻れるんだ」


「……わ、分かりました」


 二度目の『主従契約』は一度目と違い、もう後戻りをする事の出来ない神聖な契約なので、大抵の場合はその神様の本殿で行う。


 しかし、一度目の契約でも本殿で行う時がある。

 「五年間無事に従者としての務めを果たせますように」と、一種の願掛けとしてわざわざ本殿まで赴くのだ。


(まあ、やっぱり、そんなもの意味なかった訳だけど)


 トトナのことを思い出して、シキの顔にまた陰が出来る。

 結局、その時は良くても五年もあれば人の心は変わる。


 もしかしたらユリも、いずれは他の神官の所に行ってしまうのかもしれない。

 その時、自分はまた―――。


 そんな、なげやりになっていたシキの気持ちはユリの声で吹っ飛んだ。


「で、でも。わ、私は、絶対に神官様の従者を辞めたりなんかしません! 神官様のご迷惑にならない限り、ず、ずっと付いていきます!」


 頬を染め、一直線に自分に向けられる感情の大きさに、シキは心が揺らぐ。


「……え、えっと、ありがとう。自分も、ユリの期待を裏切らないように努力する。だから、ユリも着いてきて欲しい」


「は、はい!」


 言葉足らずで口下手な自分の言葉に、ユリがしっかりと頷いてくれる。

 シキの心の中に、久しく忘れていた温かさが湧き出る。


(そういえば、なんか最近、ずっと疲れっ放しだったな)


 のしかかっていた肩の重荷が降りたような、窮屈な世界から解放されたような気分になる。

 心に余裕が出来たことで、自分を振り返られる程には視野が広がったのだろう。



 ――――『なぜ、そんな事も分からないのですか?』『先輩がへばっている間に、他の神官の皆様はどんどんと信者を獲得していますよ?』『先輩がそんなだから、誰もついて来ないんでしょう』



 足で停滞して流れの止まっていた血が、少しずつ頭に戻ってくる感覚。


 もう一度、改めてユリを見れば、照れながらも、シキに向かって柔らかくはにかむ。



 ――――トトナと正反対の従者。



(トトナは、もっとづけづけと言ってくるタイプだった。いやまぁ、その方が神官を補佐する従者としては正しい姿なんだけど……)


 神官という存在は、人前に立ち、民衆から頼りにされ、愛される存在でなければならない。


 神官には民衆が何を求めているか、自分に何を求められているかを正確に把握する力が必要になる。


 だからこそ『従者』という、民衆と近い感覚を持って、神官に提言出来る存在がいるのだ。

 

 『その神官に足りないと思う部分を、近い場所から教えてくれる存在』。そういう意味で言えば、トトナは従者としての役割を真っ当にこなしていた。


 それだけではない。


 感謝や敬意を形あるもので返礼されてしまうと、信仰力は減ってしまう。

 しかし、だからこそ従者から神官に何かプレゼントを贈ることで、自身の信仰力はこんなものでは減らないと、忠義を誇示する古い習わしのようなものがあった。


 そういった部分でも、トトナは抜け目なく行っていた。

 恐らく、ユリはそういった従者としての慣習やしきたりを全く知らないだろう。


 何もかも、トトナと正反対。


 従者としての知識面でも、従者としての適性という意味でも、間違いなくどちらもトトナの方が上だろう。

 


 しかし―――。



「――――ユリ。まず、ユリのいた村に行ってみたいんだけど、場所は分かる?」


 決意を込めてシキが尋ねれば、途端にユリがビクリと肩を震わせる。


「わ、わかります。場所は、ここからすぐですから……。私も、一緒に行きます」


 そう言ってユリの視線が、ゆっくりと一つの方向に向かう。

 彼女の視線を追うように、シキも視線の先を見つめる。

 ぐねぐねと、曲がりくねりながら伸びる道の先は、雑木林に阻まれて良く見えない。


 しかし、この視線の先、この道を辿っていけばユリのいた村に着くのだろう。


 僅かに、ユリの手が震えているのが分かった。


 シキは、ユリに向き直る。


「……今更だけど、ユリ。さっき、俺を頼ってくれてありがとう」


「え……?」


 ユリが、シキの顔を見上げる。


「神官として、人を救う為にここに来たはずなのに、あの男が目の前で死んで、さっき、俺は逃げようとしたんだ。ユリが声を掛けてくれなかったら、俺はここにいなかった」


「……」


 シキの言葉に、ユリは真剣に耳を傾ける。


「この国には、まだ自分の救える人がいるかもしれないと分かっていながら、それらしい理由をつけて、目の前の苦しい事から、全てから逃げようとしたんだ」


 懺悔のように、シキは話し出す。


「さっき、俺に助けを呼んでくれただろ? それがなきゃ、俺はあの場から逃げていた。ユリがいてくれたから、俺はここにいるんだ」


「そ、そんな、私なんて、何も……」


 俯き、言葉尻が細くなっていくユリに、シキは続けて話す。


「あの時ユリが俺に声を掛けてくれなきゃ、俺はたぶん、この先ずっと楽な方へ逃げ続けていたと思う。嫌なことがある度、理由を見つけて」


 恐らく、しまいには、自分を求めてくれる人からすらも、その期待に応えるのが怖くて逃げ出していただろう。


「で、ですが、わ、私はただ、助けを呼ぶことしか、出来なくて……」


 ユリは、震える声で言葉を紡ぐ。


 自分の無力さを悔やんでいるのだろうか。


 誰かに救いを求めるよりも、死を選ぶ方が楽だと考える人間は本当に多い。そんな中で、ユリは諦めず、苦しみながらも必死に生きることを選択していた。


 男に襲われて、魔物に冒されて。それでも、ずっと生きる選択をしていた。


 そんなユリが、無力な訳がない。


(俺なんて、すぐこの国から逃げようとしたのに)


 ユリは必死に、生きることを諦めず、楽になろうとせず、苦しみながらも、とうとう最後まで逃げなかったのだ。


 シキには出来なかったことを、ユリはやってのけたのだ。


「俺の国では、俺のことを誰も必要としてくれなかった。神官って言うのは誰かに必要とされなければ、その存在意義を失ってしまう。誰かに必要とされるから、生きることが出来るんだ」


 シキは、ユリのことを真正面から見据える。


「ユリが俺に感謝をしてくれているように、俺もユリに感謝している。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、ユリが俺の事を目覚めさせて、救ってくれたんだ。ユリのお陰で、俺はここに立てている」


 シキは己の思っていることを包み隠さず話す。


 ユリの目を見れば、それに応えるように見つめ返してくれる。


「ユリ。行ってみて、もし駄目そうだったら二人で別の場所を探そう。ユリとなら、どんなに苦しい事でも乗り越えられると思うんだ。だから、俺と一緒に来て欲しい」


 言ってから、少しキザったらしい風になってしまったと、シキは一瞬自分の言葉を恥じらう。


 しかし、全て本心だった。


「……は……い」


 しっかりと人の目を見て、自分の気持ちを吐露したのはいつ振りだろう。


 潤むユリの瞳を見て、ふと思う。


「村にいる神官には、なんとか良い方向に話をつけてみせる。この先も、もしかしたらさっきみたいな苦しい事があるかもしれない。それでも、なんとか二人で乗り切ろう」


「……はい!」


 シキが言い切れば、それに応えるように怯えも迷いもない返事が返って来た。


 なんて、頼りになる従者なのだろうか。


 そうして、シキがユリに先導される形で二人で村に向かって歩き出す。


 シキは、ふと思い出したことがあった。


 トトナのことについてだ。


(頼りになる従者……。そういえば、俺が最後にトトナに会ったのっていつだっけ……?)


 最近会っていたはずなのに、遠い記憶のように思い出せない。


 細い記憶の糸を、切れないように少しずつ、手繰る。


 恐らく、あの時が最後だろう。


 トトナが楽しそうにルーカスのパーティーに向かうのを見送って、それで――――。



(――――そうだ。それで、トトナが幸せならそれでいいと思って……。でも、諦めきれなくて)



 なぜ、忘れていたのだろう。


 ルーカスに嫉妬して、トトナの事が憎くなって。


 一度思い出せば、堰を切ったように次々と蘇ってくる。


 『従者』として五年が経過すれば、従者から神官にならないといけない。


 しかし、もう少しで神官になれるというのに、いつからかトトナはルーカスのパーティーに入り浸るようになって、会う機会も減っていった。

 ここまでくれば、シキもなんとなく察する事は出来た。


(トトナは、うちの神官にはなりたくなかったんだろう)


 トトナが悪い訳ではない。


 『ミタマ様』の信者の規模は年々減って行き、衰退の一途を辿っていた。普通の感性があれば、わざわざそんな所の神官になろうとなど思わないだろう。


 一度神官になってしまえば、例えその神様が消滅したとしても、他の神様の神官になる事は出来ない。

 せっかく才能素質があるのに、一生を無駄にする可能性があるのだ。


 『従者』から神官になるには時間が掛かる。

 五年近くもの間、シキの従者でいてくれた方がおかしかったのだ。

 それも全て、ひとえにトトナの優しさに他ならない。


 ギリギリまで従者として傍で支えてくれた事に感謝こそすれ、憎むなんてして良いはずが無かった。


 けれど。


(そうだ。自分には神官であることしか取り柄がないのに、それを否定された気がして、それで、嫌になって……)


 本当に、なぜ、忘れていたのだろうか。


 自分と仲が良かったはずのルーカスに酷く嫉妬して、自分を選ばないトトナがどんどんと憎くなって。


 それに、タイミングも悪かった。


 あの時、家族も村の神官も、頼りにしていた人間が皆シキの前からいなくなってしまった。


 誰にも相談出来なかった。


(いつもならトトナの毒舌なんて訳ないのに、それどころか、言い合える関係だったことが嬉しかったはずなのに、急に、全部不安になって)


 諦めて、嫉妬して、憎んで、また諦めて。


 何回もそれを繰り返して。


 ――――俺に命を救われたくせに、その恩を忘れて他の男になびくのか。最初から俺を選ぶ気なんてなかったくせに、俺を騙したんだな。俺の知らないところで、どれだけ乳繰りあっているのか。


 ルーカスのパーティーに楽しそうに向かうトトナを見る度に、前が見えない程の複雑な感情が膨らんでいった。


 発狂、という言葉が脳裏にチラつく。


 『発狂』をした神官は何人も治療してきた。

 だから、自分の欲を制御出来ず、感情に呑まれる恐ろしさは人一倍知っているつもりだった。


(まさか、自分の身にも、起こるなんて)


 怖気が走る。

 

 きっと、自分は危ないところだったのだろう。


 感情が不安定だと自神、他神関係なく神様の影響を受けやすくなる。

 ただでさえ、『ミタマ様』の信仰術は後ろ暗いものが多いのだ。

 完全に発狂を起こし、手当たり次第に信仰術を振るっていれば大変な事になっていただろう。


 しかも、現在『ミタマ様』はシキの中に住んでいる。本来神様が住んでいるはずの「本殿」が壊されたのだ。新しい本殿が出来るまで、信徒の意識の中に住むしかない。


 シキは、足を止める。


 急いで、確認しなければ。


 不思議そうに振り返ったユリに、シキは決意の込めた声で話す。


「ユリ。少し、一人になってもいい? ちょっと、神様に聞いてみたいことが出来た」


「え? あ、は、はい!」


 多分、ユリは言葉の全てを理解した訳ではないだろう。それでも、自分を信じて答えてくれる。


「ごめん、少しここで待ってて欲しい。絶対に、すぐ戻って来る!」

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