新天地

 どうせ死ぬなら、最後にいい思いをしたい。


 四頭の牛にそれぞれの手足を引っ張られているような、引き裂かれる痛みが身体に走る。

 それでも痛む身体に鞭を打って、男は自分から逃げる女を追う。


 下衆な欲を火種に、痛々しい程に剥き出しになった生存本能が男の肉体を動かす。


 手足を動かす度に走る激痛が、欲望の炎を小さくする。

 しかしすぐに、自分に背を向けて走る女を見て、絶対に捕まえてやるという欲が心から沸いてくる。


 そんな繰り返される思考の隙間で、なんでこんなことになったのかと、男―――ドーフェン・ベリルは考える。





 幾つもの国をすっぽりと収められる程に広がっている、ソナルハヤ平原。

 高い位置に登り、遠くの空に目線を向ければうっすらと、天を突くような峰々連なる山脈が広がっているのが分かる。

 そこを源流とする河川が平原を裂くように流れていた。

 平原を流れる川は幾つも枝分かれし、その川を中心に様々な国が発展している。


 ソナルハヤ平原南西部に位置する、ミニア国。


 ミニア国が治める村の一つに、ドーフェンの産まれたナモ村はあった。


 人口は二百人弱と少なく、特にこれといった名産品はないものの、食べる物に困るほど困窮している寒村という訳でもなかった。


 町からも比較的近く、ほかの村と町を繋ぐ経由地の一つとして通行人も多かった。


 ドーフェンは、その通行人から話を聞くのが好きだった。


 農作物を育て、収穫する。


 そんな刺激のない毎日に飽き飽きしていたドーフェンにとって、通行人から聞く話はどれも新鮮で面白かった。


 いつの日か、自分もこんな村を出てやる。


 その思いは予想外な形で叶う事になった。


 ある日、ドーフェンの住むナモ村に都市から使者が来た。


 なんでも国からの正式な使いらしく、村長が噛み砕いて説明してくれた話を要約すると、自分たちの住む地域がミニア国から独立をした、という内容だった。


 正直、言っている意味が分からなかった。


 意味が分からないのは、なぜ独立をしたのか、という部分ではなく、そもそも独立という言葉の意味も、「国」という概念そのものが分からなかった。


 空を飛んで、上空から国の枠である国境を見ることが出来ればすぐ理解出来たかもしれないが、ドーフェンはそんな能力を持っていなかった。


 村の外から来た通行人の話を聞いていたドーフェンですら、理解するのにしばらく時間が掛かったのだ。

 恐らく、村の人間の殆どは理解することを諦めていただろう。


 いずれにしろ、変化の無い村に飽き飽きしていたドーフェンにとって、何か変化が起こるのは喜ばしいことだった。


 しかしすぐに「可もなく不可もない退屈な暮らし」は、言い換えれば「平穏な暮らし」だったのだと身を以て知ることになった。





「おら! いい加減待ちやがれ!」


「んあっ! いっ、痛っ……!」


 何とか追いついたドーフェンは、女の髪を引っ張る。そして、近くの木に女の体を押し付けた。


 ツンと鼻をつく、女から香る汗の臭いがドーフェンの欲望を駆り立てる。


「や、やめ、離してっ!」


「暴れんな! 俺らはもう手遅れなんだ。棄てられたカス同士仲良くしようぜぇ、なあ!」


 右手で掴んだ女の髪をもう一度引っ張り、こちらを向かせるようにして女の頭を木に押し付ける。

 抵抗する女の手も抑えようとして、突如としてドーフェンの右目に激痛が走った。


「ぎぃっ、いって……! が、ぐぅうぅ!」


 女のことを離して、何も考えられない程の激痛が走る右目をドーフェンは触る。

 そこには、ぬるりとしたものが溢れていた。


(ち、血……!? な、なんで……!)


 無事な左目で、恐る恐る目の前の女を見る。


 女の左手には、血が滴る木の枝が握られていた。


 いつの間に。


 ドーフェンは自分が何をされたのか、一瞬で理解する。


「ぐっ、ぐううぅうぅぅう! くそっ! こ、この糞が!」


「ぐっ……!」


 怒りに身を任せ、ドーフェンは女に飛びかかる。


 刺された右目の痛みが霞むほど、手足に走る痛みが酷くなる。


 それでも、負けじと力を込めて目の前の女の首を絞める。


 もうなんでもいい。どちらにしろ、俺もこの女も助からない。それでも、さいごに、こいつにも、俺と同じ苦しみを味あわせてから――――。


 

◇◆◇◆


 ――――同時刻。

 水花月二十一日、朝鐘九刻。



 一瞬の浮遊感。

 次いでシキが感じたのは、足が地面につく感触だった。


 もう流れ着いたのだろうか。


 そう思ってシキは暗闇の中で目を覚ます。そして、ここへ来る前に切り裂かれた自分の腕と首を触ってみる。


(あれだけ豪快に引き裂かれたのに、傷一つ無いなんて)


 痛みも消え、手触りからして外傷も無い。

 心なしか、頭がスッキリした気さえする。

 驚きながら、シキは信仰術が成功したことにホッと胸を撫で下ろす。


 シキの産まれた村で信仰されていた土着神。

 『ミタマ様』の恩恵の一つであり、その信仰の長に立つ者でなければ扱えない信仰術。

 その名も『幽霊通り』。


 『霊道』と呼ばれる、死者のみが通れる道がこの世界にはある。

 この『霊道』はこの世界の全ての場所に繋がっており、条件が重なる事で、稀に生きていてもその世界に引き摺り込まれることがあった。


 『ミタマ様』の恩恵は、それを意図的に起こすものだった。


(ゼロから効果を作るのではなく、実際の現象をなんとか誘発させる信仰術。不敬だけれど、なぜこんな使い辛い能力を「神主」が使える信仰術にしたのか)


 他の神様の恩恵のように、魔獣を殺したり他者を強化する類の信仰術ではない。その上幾つも制約とリスクがあり、容易に扱う事も出来ない。


 シキは一人の神官として眉を顰める。


 信仰術というのは、これまでに貯めてきた信仰力を消費することで使用できる。

 人間を救い、その人間から感謝をしてもらうことで信仰力を集めることができる。


 信仰力がなければ信仰術は扱えない。


 消費する信仰力の量支出回収できる信仰力の量収入が釣り合わなければ、いずれは貯めていた信仰力も底を尽きてしまう。


 どんなに強大な信仰術でも、人の為に使用しなければ感謝はされず、信仰術を使用する際に消費した信仰力の元は取れない。

 だからこそ、基本的に信仰術は人を救う目的で使用される。

 しかし『幽霊通り』は術者本人のみに適用される信仰術であり、信仰力を回収出来る見込みは皆無に等しい。

 

 信仰術で自分を強化して、魔獣を倒す事で民衆から感謝をされるといった使い方が出来る訳でも無い。

 完全に自分だけの利益を目的とした信仰術。


(下級神官の恩恵はまだ需要のある能力だし、そこでバランスを取ってるのか……? よく分からん。―――ああ、そろそろだな)


 疑問を明後日の方向に投げ出したシキは、身構える。


 この恩恵が成功した今、シキの目の前には生死を彷徨っている人間がいるはずだ。

 出来ることならその人間を救いたいが、神様の話では戦場のど真ん中に出現するパターンもあるらしい。

 もしそうなれば、自分はまた痛い思いをして死ぬ事になるだろう。


 足が震える。


 万が一神官同士で衝突した場合、シキでは他の神官に殆どの場合で勝てない。


 ミタマ様の信者の人口は『集落』であり、これは神様が集められる信者の規模で言えば最底辺に位置する。


 定着した信者の人口が一人以上、三十人未満であれば『集落』。

 定着した信者の人口が三十人以上、百人未満であれば『大集落』。

 定着した信者の人口が百人以上、二百人未満であれば『村落』。

 定着した信者の人口が二百人以上、五百人未満であれば『大村』。


 そして『町』、『街』、『市』、『都市』、『国』と続く。


 シキは「神主」という神官が到達出来る職位の中では一番くらいの偉い役職に就いているが、そんなものはあくまで飾りでしかない。


 重要なのは信者の規模だ。


 信仰する神の信者人口が『集落』しかないのであれば、神主という肩書きはあまり意味を持たない。

 どんな肩書きも中身が伴っていなければ飾りでしかない。


 一つしか店を持てない零細で小規模な商会の会長と、ほかの都市にも広く展開している大規模な商会の会長。

 同じ「会長」でもその中身に大きな差があるように、職位自体は同じでも決して対等ではない。


 『集落』のシキでは、『村落』の下級神官にすら劣るのが現実だった。


 『集落』の神主など腐るほどいるのだ。

 それも、信者の拡大と成長が見込まれる将来性の高い発展途上の『集落』の神様ではなく、右肩下がりで衰退の一途を辿る『集落』の神様をシキは信仰している。


 シキ自身の才能も人助けからは程遠く、純粋な神官としての適性で言えば中の下がいいところだった。


 人を救い、信仰力を集め、神様の信者を増やす。 

 これを未知の土地で行わなければならない。


「……ふぅ」


 緊張を誤魔化す為に一つため息を吐く。


 どうか、せめて痛い思いをすることがありませんようにと神様に願って、シキは棺の木板を内側から外す。



―――――――――――――――

――――――――



【神】『ミタマ様』


【母体規模】『集落』


【恩恵】

神主:『幽霊通り』


上級:『???』


中級:『記憶混濁』『思考誘導』『???』『???』


下級:『???』『???』『???』『???』『???』『???』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る