シキはどこに
サーシャに起こされて、トトナは飛び上がるようにしてベッドから起きる。
開いたままの部屋の扉を飛び出し、寝起き姿のままで薄暗い廊下を走る。
後ろから聞こえる「待って!」という声を無視して、階段を滑るように降りて行く。
つい十秒前に聞こえた言葉。
『シキさんがどこにも居ない!』
その言葉が、トトナの頭の中で何度も繰り返されるように木霊している。
訳も分からず階段を降りた先で、ルーカス達が食堂のテーブルを囲うように立っていた。
まだ完全に日が昇っていない為か、室内は薄暗い。
だから、なのだろう。
みんなが思い詰めたように、神妙な顔をしているように見えるのは。
暗い顔をしているように見えるのは、きっと、そう見えているだけで―――。
トトナの顔が室内を見渡すように動く。
どこにも先輩がいない。
もう一度、食堂にいる人間の顔を一人一人確認して、またルーカス達のいるテーブルに視線が戻る。
「……」
寝ぼけた頭で理解して、呼吸が荒くなる。
黙っていると、後ろからドタドタと青髪の少女、サーシャが階段を降りてきた。
「ま、待ってって言ってるのにぃ……」
「……サーシャちゃん」
後ろを振り向いたトトナが、サーシャを見つめて口を開く。
意識して名前を呼んだ訳ではなかった。
ただ、動くものを口に出しただけで。
それ程までに、トトナの頭の中はパニックになっていた。
「全員揃ったみたいだね」
「……全員?」
口を開いたルーカスに、トトナは震える声で聞き返す。
「シキさんの行方が分からないんだ。この宿に帰ってきてない。多分見張りの交代でソフィアが話したのが最後で、そこから宿に帰るまでに何かあったんだと思う」
淡々とした風に、ルーカスが話す。しかし、その額には僅かに汗が滲んでいた。
「シキさんが居ない事に気付いたのはさっき、ソフィアが帰って来てからだ。真っ先に思い浮かんだのは魔獣を含めた、誰かに襲われた可能性。しかしその場合、村の中にまだ『誰か』が潜んでいることになる。だから急いで索敵が出来る僕とシルヴィ、ソフィアで村の中を索敵してみたんだ。でも――――」
考えられる魔獣の種類は二種類いて――――。
トトナとサーシャでは魔獣との相性が――――。
村の安全を確保する事を先に――――。
朝日が出たからひとまず――――。
つらつらと淀みなく話すルーカスの言葉は、トトナの耳に届いていなかった。
『先輩の行方が分からない』
その言葉が脳に染み込み、全身から力の抜けたトトナはペタリと食堂の床にへたり込んだ。
◇◆◇◆
まだ朝の早い、薄暗い村の中。
村の入り口に、完全武装をした五人の人間が集まっている。その数は、昨日よりも一人少ない。
この村にいるパーティーは二つ。
ルーカスをリーダーとする四人パーティー、名前は『紅』。メンバーはルーカス、サーシャ、ソフィア、シルヴィ。
そして、もう一つのパーティー『花虫』。メンバーはリーダーのシキ、トトナ。
この二つのパーティーが共同で依頼に当たり、本来であれば今の時間は都市に戻る帰り支度をしている頃だった。
しかし、予想外の問題が発生してしまった。
シキが行方不明になった。
依頼の最中で起きたものではなく、依頼を達成し、安全であるはずの村の中で行方を眩ませたのだ。
それも奇妙なのは仮に魔獣に襲われたと仮定しても、物音一つ、悲鳴すら誰も聞いていないという点だ。血痕も残っていない。
この辺りで魔獣と言えば、地面を泳ぐ魔獣が候補に挙げられる。
しかし、その魔獣は近くを通っただけでも地震のような振動が起きる。寝ていても誰かは気付く。
この村の外周に設置されている護石もどれも割れておらず、地面にいる魔獣の線は消える。
地面から襲ってくる魔獣ではないのだとすれば、消去法で空から襲ってくる魔獣ということになる。
『鳥牛』と呼ばれる魔獣がいる。
牛、という名前がついている割に見た目はただの巨大な鳥だ。
しかし、その名前の由来は、牛すらも空の世界に連れ去ることが出来る危険性を示す為にそう名付けられていた。
この魔獣であれば、シキが突然煙のように消えてしまったのにもある程度説明がつく。
ただ、鳥牛はこの辺りに生息する魔獣ではない。それどころか、国全体で見ても目撃例は本当に稀だ。
不可解な点は残るが、それでも本当に鳥牛が出現したのであれば五人だけでは手に余ると判断したルーカスは、一度都市に戻る選択をする。
同時進行で村人の避難も進めつつ、空域を警戒していたところで、事態は一変する。
足跡を見つけたのだ。
それも、森へと続くものが。
田畑を除いて、この村では大部分の道が舗装されている。
その為、足跡による追跡は早々に諦めていた。
しかし、村の外周に設置されている護石を再度確認した村人が、不審な足跡を発見したのだ。
足跡は村の中から村の外に伸びており、村の中で消えた人物はシキ以外にいなかった。
まず、間違いなくシキのものだった。
ただ、その足跡も少し奇妙で、何かから逃げて走っている訳でもなければ、何かに引き摺られている訳でもない。
自分の意思で、歩いて向かっているようにしか見えなかった。
何か、良くないことが起こっている。
気味の悪さを感じたルーカス達は、都市に戻るのを辞め、斡旋所からの応援を待つ事にした。
それまでの間、村人全員に森に入るのも村から出るのも禁止させ、自分たちも森の監視に徹底する事に決めた。
しかし、そんな中でトトナが絶対に助けに行くと聞かなかった。
いくら止めても「先輩は絶対に生きている」の一点張りで、あろうことかロクに装備も整えず、一人で森に向かおうとしたのだ。
必死に『紅』のパーティー全員で説得し、魔獣の出ない領域までなら全員で捜索をすると決め、現在に至る。
◇◆◇◆
朝の薄暗い時間でも目に付く、燃えるような赤髪の少女、シルヴィが腰に手を当ててため息を吐いた。
「で? ルーカス。本当に行く訳? 斡旋所に連絡はしたんだから、応援が来るのを待った方が良くない?」
「……本当にごめんなさい。でも、少しでも急ぎたくて」
シルヴィの質問に、ルーカスではなくトトナが答えた。
しょんぼりと落ち込むトトナの頭を、シルヴィが撫でる。
「別にあんたが謝る必要はないっしょ。悪いのはあの人な訳で……。ほんと、こんな可愛い子を置いてどこに行ったんだか」
マジであり得ない、とシルヴィはトトナの事を抱き締める。
森に続く足跡を指差して、ルーカスが答える。
「シキさんが村人に襲われた可能性は低いし、この足跡はシキさんのものと見てまず間違いないだろう。応援を待っている間に雨でも降って、足跡が消えたら完全に足取りが途絶えてしまう。それまでに、新しい痕跡は見つけておきたい」
「え、えっと、シキさんを最後に見たのってソフィアなんだよね? その時、様子がおかしかったりした……?」
オドオドと、サーシャが質問する。
それに対して、ソフィアは可愛らしく唇に指を当てて、考える素振りをする。
「う〜ん……? どうだろ。特に変な感じはしなかったかなぁ。実際、この外套も貸してくれたし?」
ソフィアが持っているのは、シキの外套だった。見張りを交代する時、何も着ていないソフィアを気遣ってシキが貸してくれたものらしい。
森の中、それも夜の森は思っている以上にずっと寒い。
仮に森の中に用事があったのだとしても、わざわざ外套を他人に渡して森に入るのは理に適っていない。
ならやはり、そこから宿に帰ってくるまでの道中で何かがあったのだろう。
(……お願いですから、どうかご無事で)
祈る気持ちでトトナが目を瞑る。
震えるトトナの手を優しく握って、シルヴィが声を張った。
「それじゃ、日が出てる内にさっさと行っちゃいましょ? 暗くなって、私たちまで迷ったら目も当てられないしさ」
◇◆◇◆
時刻。
水花月二十一日、朝鐘六刻。
森の中は登り下りするような斜面がない。
どこまでも平坦な地に、高く林立する木々の群れがある。「森」と呼べる程に、等間隔に密集する木々は、歩いている内に方向感覚を惑わせる。
右を見ても左を見ても、後ろを振り返っても似たような光景がどこまでも続いている。
頭上は幾つもある枝葉が空の景色を邪魔するように広げられ、地面には床いっぱいに下草がうねっている。
日は昇っているはずなのに、日差しが余り届かない。
ランタンをつける程ではないにしろ、森の中は不気味な暗さを保っていた。
人の住む領域ではない。
首筋から流れる汗を、ルーカスは拭う。
耳に届く音は下草を踏む自分たちの足音と不安を煽るような木々のざわめきだけ。
五人も居るのに、誰も何も喋らない。
鋭敏な感覚を持つソフィアを先頭に、黙々と先を進んでいく。
トトナが何も喋らないのは単にシキの安否が分からず、何かを喋るような気分ではないのだろう。彼女の不安な気持ちは理解出来る。
しかし、ルーカスを筆頭とする『紅』が無言を貫いているのは、不意打ちを警戒してのことだ。
それも、魔獣の不意打ちではない。
魔獣が嫌う臭いを発している木々が立ち並んでいるこの辺りに、魔獣は一切出ないのだから。
(―――来るなら来い。シキさん、もしアナタが襲ってきたら、僕たちは躊躇なくアナタを殺せる)
ルーカスの心の声は、『紅』のメンバー全員を代表するものだった。
シキが宿に戻っていないことを知った時、真っ先に危惧したのは、シキが自分達に害を加えようと目論んでいるかもしれないという事だった。
ソフィアが発破をかけたことで、何かしらの行動に出たのだろうと。
そして、次に考えたのはトトナをあちらに取り込ませないこと。
もし、シキが自分たちを殺そうと動いているのであれば、間違いなく自身の従者であるトトナに接触するはずだから。
(サーシャに監視させていたけど、トトナはずっと『従者』のままだった)
だからと言って安心は出来ないが、先程の取り乱しようは演技のようには見えなかった。
(もしトトナが『ミタマ様』に操られているなら、トトナがシキさんに固執するのはおかしい)
嫉妬深く、欲深いあの神様のことだ。
トトナを自分の『信徒』として取り込むことに成功したのであれば、自分に執着するように誘導するはすだろう。――――シキのように。
(シキさんは、あの『ミタマ様』にすっかり変えられてしまった)
ルーカスの中に、悔しさが宿る。
ルーカスは、元々はシキと良く話す間柄だった。本来であれば同じ信仰術を扱う神官は仲が悪い。
しかし医療術を扱う同じ神官として、シキの人となりには尊敬出来る部分があった。
それがシキが『ミタマ様』の神主になった辺りからシキの足音に異音が混じるようになった。
性格が変わってしまったのだ。
同時期にあった、シキの故郷の事は聞いていた。
家族が魔獣に襲われたのだ。普通でれば落ち込むはずなのに、シキの足音から感じたのは、どこまでも手を叩いて喜ぶような感情。
それが、シキ本来の暗い感情を塗り潰すように蔓延っていた。
(『ミタマ様』がどこまで自分の信徒を支配出来るのかは分からない。けど、シキさんは僕の事を覚えていなかったみたいだし。認知機能、一部の記憶なんかも弄る事が出来るんだろう)
ルーカスについての記憶を狙ったかのように忘れさせている。
『ミタマ様』による当てつけなのだろう。
自分の信徒が、自分以外の医療術の恩恵を持つ神官と仲良くしているのが気に入らなかったのだろう。
そんな事の為に、シキは感情を弄られているのだ。
(トトナをシキさんの二の舞にさせたくない)
唾を吐き捨てたい程の怒りを、決意に変える。
(殺すつもりならいつでも来い、『ミタマ様』。準備は出来ている。僕たちを襲おうと考えているのなら、好都合だ)
『ミタマ様』が何を企んでいるかまでは分からない。
わざわざシキが足跡を残して消えたのは、恐らくこちらを誘っているのだろう。
本当ならそれを逆に利用して都市から応援部隊を呼び、シキを捕縛するつもりだった。
神官の中には度々「発狂」をする者がいる。
それを理由にすれば、例え神主であれ滅ぼす事すら可能だった。
応援は期待できない。
しかし、ルーカスたちはシキにいつ襲われてもいいようにずっと備えて来た。
『紅』は『ミタマ様』に一縷の希望も与えず、シキを殺す事が出来る。
生きている状態での捕縛が理想だったが、応援が期待出来ないこの状況では無傷での捕縛は少し厳しい。
シキがこちらの指示に従わなかった場合、トトナには悪いがシキを殺すことになる。
ただ、唯一、分からないのは――――。
(なんでシキさんは、トトナのことを『従者』のままにして消えたんだろう)
『従者』というのは神様に仕えている訳ではなく、神官に仕えている存在だ。
シキは神官なので『ミタマ様』に仕えているが、『従者』であるトトナは『ミタマ様』ではなく、神官であるシキに仕えている。
その為、どの神様も『従者』には手出しが出来ない。まだ、自分のものではないから。
トトナの足音を聞く限り、かなり乱れているが異音は微塵も混じっていない。
だから、分からない。
もし何か行動に移すつもりなら、トトナを無理やりでも神官にしてから向かえばいいのに。
何か、急がなければいけない理由があるのか。
それか。
(シキさんに、まだ自我でも残っているんだろうか。もし、そうなのであれば、もう一度――――)
手を緩めるつもりはない。
それでも討つべきは『ミタマ様』であって、シキを殺したい訳ではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます