短編小説──曖昧村──曖昧好きな民衆
ここは、あやふやが好きで、どんなことも曖昧な人々が集まる村、すなわち曖昧村である。犬も、鹿も、鳥も、羊も、みな知識に関しては曖昧で、かつ曖昧な態度をとることがしばしばあった。犬は、人様に、「牛乳は飲みますか」、と打診する。人様は、「牛乳かぁ、いるかもしんねえが飲まないかもしれない」と曖昧に応じた。犬は、この方に牛乳を与えなくてよいかもな、と曖昧に捉える。こうした曖昧なやり取りが曖昧村の諸々の特徴であろう。
人様は、さっきあやふやになったことが一件あっても、苦しむことはなかった。むしろあやふやになったことで気概を燃やしていた。「私はすべてあやふやでいいんじゃないのか」という思想が根底にあるからだ。あやふやな人間がずっとあやふやでいるということは、7000名以上に該当していた。鹿も、鳥も、羊も、みな曖昧を願った。鹿は、「今日は雨が降るのか曖昧だ」と嬉しがり、鳥は、「人様は鳥のように飛びたいんだろうか」と嬉しがる。羊は、「本当に羊を数えれば眠れるのか」と嬉しがった。曖昧村に住むすべての者たちが、曖昧であることを希求していた。しかし、神を信仰することには追求的であった。神様が素晴らしい、という共感覚が村中で起こっていたのだ。神様がこの世界や村を安寧へと導く、このことについては理解と正確な知識があった。


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