私が「ASD」「発達」と公言する理由
(まえがき)
私の立場として常用漢字による置き換え(熔岩→溶岩、函数→関数、障碍→障害)に否定的であるため、あえて「発達障碍」との表記をしています。
本題
「なぜ発達障碍と公言するか?」について「同情されたいからか」「免罪符にしたいのか」と受け取られることがあるが、そうではない。
私の場合、″同胞″と繋がるためだ。勿論これは、ただ境遇を嘆いてただ傷を舐め合いたいということではない。
私は発達障碍を国のない少数民族のように捉えている。実際に私の感覚では、大抵どこに行っても私だけ″異邦人″のように感じる。言葉こそ同じでも相手の言わんとすることがわからないし、私は私でうまく言いたいことが伝えられない。まるで多くの人はテレパシーで交信し合っているようにすら感じられる。私はそれを全く読み取れないわけではないが、受信の精度が致命的であるのだ。(途切れ途切れに聞こえるラジオのように)
そしてその″異国″の地で″同胞″を見つけるのは至難の業だ。当然ながらこの社会を生きる以上、私たち──″同胞″であろうがなかろうが──は色々な立場の人とうまくやりくりしなければならない。
一方で、(主にインターネットにおいて)″出自″(ここでいう障碍)を公言すれば同胞を見つけだしやすくなる。同胞と繋がれる。同胞が複数人集まればコミュニティや界隈を築けるし、そこでは互いに気を遣わずに趣味や愉しみを共有できる。これは、たとえば海外に行ってその地で生きる日本人と出会ったような感覚だ。実際に私はそのようにして、かれこれ1〜2年ほどTwitterやDiscord等で他の発達″同胞″らを包括した組織を運営している。
今日も孤独を感じて辛い思いをしている″同胞″がたくさんいることだろう。僭越ながら、彼らの力になりたい。そして″同胞″であろうがそうでなかろうが、確かなセーフティネットが担保されることで、孤独を感じるすべての人が生きやすい社会に少しでも近づけばいいと思う。
2025年12月1日 13:29更新


コメント