株価はおじいちゃんの古時計になった。市場という壊れた指標。
見えないはずのものが見えていない
ホルムズ海峡は封鎖され、米軍のイラン攻撃は停戦合意が結ばれたにも関わらず、今も続いている。バブ・エル・マンデブ海峡ではフーシ派の攻撃が行われ、湾岸のエネルギー施設は繰り返し破壊されている。イラン革命防衛隊は「未承認航路の船舶は攻撃対象だ」と宣言し、実際に船員の死者も出ている。船舶保険料は船価の5%まで跳ね上がり、機雷がどこにいくつ敷かれているかは誰も正確には知らない。
これだけの不確定要素が積み上がっているのに、原油価格はどうか。トランプ大統領のツイート一つで上下し、「合意間近」というちょっとしたニュースで下がり、また地政学ニュースで上がる。「市場は世界一敏感な感応装置だ」とよく言われるが、そんなふうにはとても見えない。
「市場は世界一の感応装置」——この看板はもう外したほうがいい。今の市場は、おじいちゃんの古時計になっている。かつては確かに、ある程度は機能したかもしれない。しかしそれももう時代に合わず、いつも実体経済という太陽の動きを、遅れて、あるいは見当違いに示す壊れた指標になっている。
古時計としての市場
古時計の比喩がしっくりくるのは、単に「壊れている」と言っているのではなく、かつては機能していた、由緒ある、家族の記憶と結びついた道具というニュアンスを含む点にある。市場に対する社会の態度が、まさにこれだ。
誰もが完全には信じていない。でも捨てるには惜しい。振り子の音を聞くと安心する。時々合っている瞬間もあるし、季節や気圧で少し進んだり遅れたりする程度なら「まあ、こんなものだ」と受け入れる。修理に出すのも面倒だし、そもそも修理できる職人がもういない。だから居間に置いたまま、ときどき眺めて「うちの時計は今日は3時を指しているな」と会話の種にする。
これが、株価に対する現代人の関係のあり方そのものだ。「日経平均が最高値を更新しました」というニュースを聞いて、多くの人は自分の生活がそれで良くなるとは思っていない。でも「まあ、上がったほうがいいんだろうな」と漠然と受け入れる。時計が指す時刻と、実際の太陽の位置がズレていても、それを問題視しない。時計を見る習慣だけが残っている。
実体経済という太陽
一方、実体経済は太陽である。太陽は、時計とは違って、故障しない。政治的に操作できない。誰かの都合で止まったり進んだりしない。人が生きて、働いて、食べて、暮らすという物理的な現実に根ざしている。ここには嘘がつけない。
ガソリンが200円や300円になれば、車で通勤する人の家計は圧迫される。米が高くなれば、食卓は変わる。給料が上がらなければ、消費は減る。これらは太陽が東から昇るのと同じくらい、動かせない事実である。
一方、株価は数字だ。中央銀行の判断で動かせる、政府の発言で動かせる、コンピュータの設定で動かせる、大口投資家の売買で動かせる。太陽ではなく、時計の針でしかない。しかも、その針を回している手は一つではなく複数あり、それぞれの都合で回している。
古時計はいつ狂い始めたか
では、この古時計はいつまで機能していたのか。
正直に言えば、市場が「世界一の感応装置」だった時期など、本当はほとんどなかったのかもしれない。1929年の世界恐慌、それ以前の何度もの恐慌、さらに古くはチューリップバブル——市場の歴史は、周期的な暴走と崩壊の歴史でもある。
そのうえで、まだ実体経済との連関を保っていた最後の時期を挙げるなら、1970年代半ばから1980年代半ばの約10年間、緩く見ても1990年代までだと思う。この時期は、金融の膨張はまだ限定的で、市場参加者は基本的に人間で、政府や中央銀行が株価そのものを政策目標にすることはあまりなかった。
この窓は、1987年のブラックマンデーあたりから少しずつ閉じ始めた。そして決定的に閉じたのが2008年のリーマン・ショック以降だ。
このとき各国の中央銀行は、これまで想像もされなかった規模でお金を刷って市場に流し込んだ。株、不動産、債券などの資産価格は、中央銀行がお金をどれだけ刷るかで決まるようになり、庶民の給料や仕事の実態とは切り離されてしまった。実質賃金は伸びないのに株価だけが史上最高値を更新し続ける、という現象が普通になった。
さらに2010年代に入って、株や商品の売買の主役が人間からコンピュータに移った。売買の6〜7割はアルゴリズム、つまり自動売買プログラムが担うようになった。「情報を読んで考える人間」から「パターンに反応する機械」へと、主役が交代したのだ。
古時計は2008年に完全に狂った、というのが私の見立てである。それ以降、私たちが見ているのは、由緒ある古時計の姿はしていても、中身の機構がすっかり別物になった何かだ。
なぜ現代の市場は実情に反応しないのか
古時計が現実を映さない理由が、いくつかある。
第一に、売買している人たちの時間感覚が短すぎる。原油先物を売り買いしているトレーダーたちは、数日〜数週間で持ち高を入れ替える。半年先の供給不安よりも、来週の統計発表のほうが儲けに直結する。長期的な実物リスクは、彼らの視野に入らない。
第二に、取引の主役がコンピュータになった。アルゴリズムは、ニュースの見出しの単語に反応して自動的に売買する。トランプが「合意した」と書けば、内容が空っぽでも買いのサインになる。「馬鹿げたハッタリ」で価格が動くのは、機械が言葉に反応しているからだ。市場は賢くなったのではなく、単純になった。
第三に、「原油価格」という言葉自体があやしい。ニュースで報じられるWTIやブレントの価格は、実際にタンカーで運ばれる原油の値段ではなく、それを参照する金融商品の値段だ。実物需給よりも、金利や為替や株式市場との連動で動く傾向が強い。私たちが毎日目にしている「原油価格」は、実は原油そのものの価格ではない。
第四に、政府が絶えず市場に手を入れている。「陰謀論」と片付けられがちだが、公然の事実だ。米国は2022年に戦略石油備蓄から1.8億バレル放出して価格を抑えた。日本もLNG市場に手を入れた経緯がある。中国も石油備蓄を戦略的に使い分けている。サウジやOPEC+の生産調整も含めれば、原油市場は「政府が絶えず介入している市場」であり、純粋な自由市場ではない。
「株価は景気のバロメーター」というもう一つの嘘
原油や金の話は専門的に見えるかもしれないが、もっと身近な例がある。「株価は景気のバロメーター」というフレーズだ。これも実態を反映していない。
株価と、私たちの生活実感——給料、雇用の安定、暮らしやすさ——のズレは、1980年代以降ずっと広がってきた。特に2008年以降、中央銀行が大量にお金を刷って株価を持ち上げても、その恩恵が下に流れてくることはほとんどなかった。
数字で見ると分かりやすい。米国では、株を持っている資産全体のうち、上位10%の世帯が約9割を保有している。日本でも上位10%が金融資産の6割ほどを持っていて、下位半分の世帯は株も投資信託もほぼゼロだ。株価が2倍になっても、株を持たない世帯には何の関係もない。むしろお金を刷りすぎたせいで住宅や食料の値段が上がり、給料は追いつかず、生活は苦しくなる。
隠れ蓑としての古時計
さらに問題なのは、株価という古時計が、格差の問題を隠す道具になっていることだ。
「株価が高い→経済は好調→今の政策は正しい→大きな改革は要らない」という論法が、貧困対策や賃上げや社会保障の充実を先送りする口実として使われてきた。日本のアベノミクスがまさにそうだった。日経平均が上がれば「景気回復」と報じられ、実質賃金の低下や非正規雇用の拡大は視界の隅に追いやられた。
株を持たない層——中流と下流の人々、つまり多くの人々——にとって、株価上昇は自分の生活とは無関係の現象なだけでなく、しばしば自分たちへの支援を削る口実として使われる。「景気は良いのだから、生活保護を絞ってもよい」「株価が上がっているのだから、消費税を上げても大丈夫」——こういう論理が、株価を根拠に成立してしまう。
株価は景気のバロメーターではない。株価は株を持っている人のふところのバロメーターである。この二つを混同させることで、政治的にどれだけの得をした人たちがいたか。株価という言葉の使われ方自体が、一種のごまかしになっている。
古時計を崇拝する社会
本当の問題は、古時計が壊れていることそのものではないかもしれない。この壊れた古時計が居間の一等地に置かれ、家族の会話の中心にあり続けていることのほうが、より深刻な問題だ。
太陽(あるいは極めて正確な日時計)を見れば時刻はわかるのに、みんなわざわざ古時計を見て「今何時か」を確認している。太陽を見る習慣が失われているのだ。
さらに、この古時計の針が「進んだ」ことを祝う文化がある。政治家は針の位置を自分の政策の成果として誇り、メディアは針の動きを毎日報じ、投資家はどう針が動くかで一喜一憂する。針が実際に何を意味しているかは、誰も真剣に問わない。針が動いているという事実そのものが、社会的な意味を持ってしまっている。
これは古時計の問題というより、古時計を崇拝する社会の問題である。
八十年前にも針は押さえられていた
こういう「政府が針を押さえる」構造は、実は今に始まった話ではない。日本には身近な先例がある。第二次世界大戦中の日本の株式市場だ。
戦時中、大本営が「勝った勝った」と発表し続けている裏で、政府は株価が下がらないように必死に手を打っていた。株価下落は「経済が悪い→戦争がうまくいっていない」という連想を生み、国民の戦意が下がる、体制批判につながる、と恐れられたからだ。だから政府系の資金を使って買い支え、事実上の下限を設定し、株価がそれを下回りそうになると介入する仕組みが作られた。
大本営発表で嘘の勝報を流している一方で、株価という時計の針も政府が押さえていた。太陽は本当は西に沈もうとしているのに、居間の古時計だけは「まだ昼です」と示し続けていたわけだ。
そして1945年8月、敗戦が確定すると、政府は取引所を強制的に閉鎖した。8月10日に売買停止、それ以降1949年の再開まで、公式の株式市場は日本には存在しなかった。約4年間、日本には公式の株価が存在しなかったのだ。理由は単純で、押さえていた手を離せば大暴落するからだ。針を押さえる力がなくなった以上、時計を止めてしまうしかなかった。
実際には闇市場で株の取引は続き、そこでの価格は公式の最終値の何分の一という水準まで落ちていた。太陽の光が当たった瞬間、時計の針の位置が嘘だったことが露わになった。
この歴史は、今の私たちに二つのことを教えている。一つは、国家が株価を政治目的で操作する動機は、戦時に限らないこと。国民心理の安定、政権支持率の維持、資金調達の維持——こういった動機は、平時の政府にも常に存在する。手段が洗練されただけで、思想は変わっていない。日銀が長年続けてきたETFの大量買い入れも、規模と手法は違うが、発想としては戦時中の株価維持策と地続きの部分がある。
もう一つは、人為的に押さえられた価格は、支える力が失われた瞬間に崩れるということ。1945年8月の取引所閉鎖は、まさにそれを示している。針を押さえていた手が離れれば、時計は本来指すべき時刻に一気にジャンプする。市場が長い間おとなしくしているように見えても、それは平穏なのではなく、押さえつけられているだけかもしれない。押さえつけが外れる瞬間の値動きは、普段の変動とは比較にならないほど激しい。
危険な鈍感さ
そして、この歪みが最も危険な形で現れるのが、今のような複合危機の時期である。
地政学リスクが積み上がっているのに価格が反応しない状態は、リスクが消えたのではなく、リスクの計量が失敗している状態だ。市場が急に「気づいた」瞬間、価格は数日で数十パーセント動く。2020年3月のコロナショック時に原油価格が一時マイナスをつけたのは記憶に新しい。
現在の原油市場が「気づく」のは、おそらく次のいずれかのタイミングになるだろう。米国の戦略石油備蓄が底を突いて放出停止が公表される時。ホルムズ海峡で大型タンカーが撃沈されて代替不能な物理的損失が生じる時。湾岸諸国の主要積出港が数週間停止する事態が確定する時。あるいは中国が人民元決済圏の拡大を明示的に宣言し、ドル建て原油価格の基準性そのものが揺らぐ時。
どれもすでに芽は出ている。しかし古時計は、それらを一つずつ、事実が確定した後で、遅れて針に反映する。予測装置としての市場は、この局面ではほぼ機能していない。八十年前と同じで、押さえつけが限界に達したときに、初めて針は本来指すべき場所に飛ぶ。
太陽を見る
では、どうすればいいか。答えは比喩の中にすでにある。時計を見るのをやめて、太陽を見ればいい。
実体経済の指標——スーパーで買う食パンの値段、電気代の請求書、近所のガソリンスタンドの表示価格、給料明細の手取り額、貯金残高で実際に買える物の量——こういったものが、あなたにとっての太陽だ。日経平均やドル円やビットコインの値動きは、居間の古時計に過ぎない。眺めて安心したり不安になったりする対象ではない。
これは技術的に難しい話ではない。視線の向きを変えるだけの話だ。ただし、社会全体が古時計のほうを向いている中で、一人だけ太陽を見るのには、それなりの精神的な自立が要る。「みんな時計を見ているのに、あなたはなぜ見ないのか」という同調圧力に、日々さらされることになる。
しかし、いま起きているホルムズ危機、骨太方針による金利上昇と円安、食料危機の予兆——これらは古時計には映らない。太陽の動きを見ていた人だけが、朝が来ることに、そして夜が来ることに、事前に気づける。
市場価格を信じない、という実務
だから、市場価格を「現実の反映」として信じる戦略は、今の局面では特に危険だ。
原油が下がっているから安心、株価が上がっているから景気が良い、金価格が動いていないからリスクは低い——こういった判断は、古時計の針を額面通り受け取ってしまう誤りだ。
備蓄と実物資産の確保という方針は、市場の歪みを見越した合理的な自衛策として、むしろ論理的に正しい。市場が現実を映していないのなら、現実を自分の手で確認し、自分の手で保有するしかない。ガソリンの実物、食料の実物、金銀の実物、そして信頼できる人間関係——これらは古時計の針が何を指そうと、実物としてそこにある。
古時計との付き合い方
古時計は、由緒あるものだ。捨てる必要はないかもしれない。居間に置いておいて、たまに眺めて、動いていることを確認するくらいはいい。しかし、正確な時刻を確認するために古時計を見るのは、もうやめたほうがいい。時刻は、窓の外の太陽が教えてくれる。
株価が上がっても喜ばず、下がっても悲しまず、自分の実生活の数字——食費、光熱費、可処分所得、備蓄の量——だけを本当のバロメーターとして扱う。この視点を持つ人が増えれば、政治や社会の空気も少しずつ変わっていくかもしれない。
市場が現実を反映しないなら、私たちが現実を見るしかない。窓の外にはちゃんと太陽がある。見上げさえすれば、そこにある。
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