『映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』という傑作について語りたい
先日、尊敬してやまないアニメ界の巨匠・芝山努氏の訃報の知らせが耳に届いた。ぽっかりと心に穴が開いた。しばらくの間放心状態になっていた。「ふー。そっか。そうだよな。80超えてるもんなぁ。」真っ先に口に出した言葉である。
私にとっては宮崎駿氏、藤子・F・不二雄氏と同等かそれ以上の尊敬の念を持っていた師がこの世を旅立った。
人生には終わりは来るのだ。どんなモノにも終わりは来るのだ。自分にもいつか終わりが来る。こうはしていられない。なにか動き出さなくては。
沸々と”なにかをしたい”という気持ちが沸き上がった。
このブログを始めたきっかけは間違いなくこの出来事が背中を押してくれた。
私が今まで観てきた映画で好きな作品を3つ挙げろ、と問われたら真っ先に候補に挙げるのが、『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(以下ワンニャン)、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~』、『トレマーズ』が思いつく。これに順序を持たせろと言われたら頭を悩ませるが、間違いなくこの3作品がトップ3に入ってくる。これらの作品は純粋に好きであるが、ただ好きではいけないなと思い、この機に好きなものをただ好きであるのではなく、きちんと言葉に表そうと試みた。
ドラえもん のび太のワンニャン時空伝
~ぼくたち、また会えるよね。~
監督 :芝山努
脚本 :岸間信明
原作 :藤子・F・不二雄
音楽 :堀井勝美
主題歌 :YUME日和/島谷ひとみ
制作会社:シンエイ動画
配給 :東宝
公開日 :2004年03月06日
興行収入:30.5億円
(敬称略)である。これ以上の詳細は本記事の目的を逸脱してしまうため省略させていただく。
私が初めて観たドラえもん作品は何であったかは定かではないが、一番印象に残っているのは間違いなくワンニャンだ。
幼少期飽きもせず繰り返し観ていた理由は今では定かではないが間違いなくアニメーション(キャラクターの表情や動き)・世界観(設定)・音楽。
この3要素がとても大きいことは間違いないことだ。
アニメーション(キャラクターの表情や動き)
1983年の映画ドラえもん第4作目『映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城』から22年目にあたる今作は芝山監督の集大成ともいえる作品である。
芝山監督が詰め込みたい内容をすべて詰め込んだものになっている。
チャンバラ劇やしずかちゃんが大人になる姿など、2004までのドラえもんでは、あまり観られない演出が今作では観ることができる。
ギャグの芝山努氏
『元祖天才バカボン』や『ちびまる子ちゃん』、『かいけつゾロリ』や『忍たま乱太郎』などで、たくさんのギャグアニメで、演出、アニメーターとして活躍してこられた芝山監督。
ドラえもんにおいてその本領が発揮されたのは、1999年を超えてからであると思っている。
『のび太の結婚前夜』冒頭の未来ののび太とタクシードライバーとの会話シーン、『映画ドラえもん のび太と不思議風使い』冒頭ののび太のアイスがジャイアンの頭に乗っかるシーンや終盤のジャイアンの付け髭が落っこちるシーン、『映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』のドラえもんとネコジャラが戦いドラえもんの名刀電光丸が電池切れで敗れかけてネコジャラが「しょうぶあったねドラちゃん(二ヤリ)」のシーンなど。
この3作のテンポ感やギャグセンス、ふいにクスっと笑ってしまう演出は本当に素晴らしい!何度観なおしてもおもしろい!
温かみのある絵
また、芝山監督は、その緻密で細部までこだわりぬかれた絵コンテの見やすさでも有名である。絵コンテを1コマ1コマを拡大したら原画で使えるほどの精密さで描かれていた。東映時代の同期にあたる宮崎駿氏や師匠筋にあたる大塚康生氏(大塚さんの場合はアニメーターとして)よりも絵が上手いという評判もあったという。これは完全に主観的な意見だが、私が今まで見てきた絵コンテやイメージボードでは、一番心に残り、何度も見返したいと思ったのが芝山監督の絵コンテである。2026年5月15日(金)に「芝山努作品集」が刊行される。もちろん予約済みである。楽しみ!
世界観(設定)
SF(サイエンスフィクション)
”進化退化光線銃”は22世紀の発明であり、進化や退化にはそれぞれ限りがある。進化の場合は、22世紀の人たちのレベルまで、あるいは、彼らが予想しうる限りの進化までである。そして退化の場合も同様で22世紀の彼らが調査してわかる限りのレベルまでしか退化できないと思われる。つまり、その生物相応の正当進化であるとは限らない。
イチたちの進化が人型になった理由もここにあると思われる。22世紀での進化の最適化は人型になることである。そして、イチたちのレベルも22世紀の人たちと同等になった。
ゆえに、一代で国をまとめ上げ、イチの一生にうちにタイムマシンを創れるレベルまで上がった。
そして、ここからが本題でありイチがタイムマシンを創ってのび太に会いに行こうとしたのは本当にのび太に会うためだけだろうか?ほかに伝えることがあったから未来に行こうとしたのではないか?
そこで私が思ったイチが未来に行こうとした理由は2つある。
1つ目は、言葉通り「のび太に会いたいから。」
2つ目は、「ズブたちの狙いを知っていて、のび太たちに知らせようとした。」
ズブとは、のび太がイチたちと一緒に引き取った猫の一匹である。ズブは人間に捨てられた捨て猫であり、人を信じる・待ち続けるイチとは対照的に描かれているキャラクターである。
人間に捨てられ、魚屋で魚を盗んでは店主に怒鳴られ、物を投げつけられるような生活を送り、人への信頼がなくなった。
そしてそのズブが進化したあとの目的は、人間世界への報復・犬猫だけの世界に変えることである。ただ、これはズブ本人の狙いかどうかは、定かではない。ズブの側近ともいえる猫が、千年後のワンニャン国でもいるのを見ると彼ら側近がそそのかしたという可能性も捨てがたい。というのも、ズブは人間を信頼していなかったが、のび太には少し信頼感を寄せていたかもしれない。この人は信じてもいいのかもと。
ネコジャラの部屋に飾られているズブの写真は、とても楽しそうに笑っている絵だった。このことから、のび太が未来に帰った数年はイチ同様待ち続けていたのかもしれない。(または、人類がみないない世界を楽しんでいるのかもしれないが)
しかし、のび太は未来に戻ったきり再び会いに来ることはなかった。
イチは再び千年後の未来で会うことはできたが、ズブやほかの犬猫たちはだれものび太に会えずに終わった。このことが、ズブの胸を深く傷つけたと思う。そして、人間に対する信頼を完全に絶ち復讐の道に行こうとしたと思われる。
つまり犬猫のほうが人間よりも情が深い分、プラスに働けばいつまでも待ち続けるイチのようになるし、マイナスに働けば千年たった子孫にすら人間に対する絶対悪の心を持ち続けることができるのである。
ここで、本題に戻るが、ズブの子孫のネコジャラの狙いは「タイムマシンを使い、21世紀に行き全人類に”進化退化光線銃”を使い、ペット・家畜にする」というもの。この人間家畜化構想はイチたちの3億年前の時代からすでにあったものだと思う。その筆頭がズブたち、人間に対する絶対悪の心を持つ犬猫であろう。そしてイチの狙いはこの悪しき計画を止めることにある。
だから、イチはタイムマシンができてほかの犬猫を連れて行かずにわざわざ一人で行ったのではないか?ズブたちにタイムマシンのことを知られると悪用されかねないため。
つまりは冒頭のイチがのび太たちがいる未来に行こうとした強い思いというのは、「のび太に純粋にもう一度会いたいことと、ズブたちの計画を知り、その計画を伝えて一緒に阻止してもらうこと」の2つであろう。
そしてイチは再びのび太を3億年前の世界に連れていき、ズブたちに再び会わせることで、人間を信頼してもらおうとした。つまり、イチはのび太に会いに行くだけではなく、再び過去の世界に連れて行こうとしたと思われる。
だからイチが乗っていたタイムマシンのサイズは、極小の一人、多くて二人しか乗れないものになったと思う。
皮肉
人間のエゴにより、ペット捨てる問題や、他の生物の生態系を壊しかれらの住処を奪ってしまっている。それを危惧したのび太たち、そして誰からも縛られない3億年前の誰も何もまだ住んでいない過去へ”イチ”たち犬猫を連れて行った。そして過去に到着して、のび太がイチ”に”無料フード製造機”を使えるようになってもらうため”進化退化光線銃”を当ててイチを進化させた。のび太の手によって。
そしてのび太はイチたち犬猫に「明日また会いに来る。」と約束した。
イチたちはのび太の言葉を会いに来て『進化しても』のび太たちが来るのを待っていた。何十年も何十年も。
イチから”ハチ”になり、そして再びイチに戻った際も最初に発した言葉は「ずっと信じて待ってました。」である。
この言葉が表していることは、結局イチを進化させたのも、約束した日にこれなかったのものび太たちのエゴである。つまりは人間のエゴである。
一方でイチは、進化してもその心が変わることなく、一途にのび太たち(人間)の言葉を信じて待ち続けていた。人以外の動物、今作では犬猫限定だが結局は彼らの方が信じる心が強かったのである。
音楽
今作の主題歌である『yume日和』、この曲は本当に素晴らしい。
作中に登場するシャミーちゃん(ワンニャン国の女性歌手)が、ドラえもんたちがワンニャン国に来て初めて出会った重要人物であり、彼女が悠々と歌うさまが、「ああどんな世界にも、どんな時代にも、歌というものが生活するうえで必要不可欠なんだな」と思った。島谷ひとみ氏が歌うこの曲はもともとテレビアニメ版ドラえもんのEDで使われていた曲である。
それを今作の主題歌として抜擢された理由としては、メロディーはケルト風でワンニャンの世界に合っていることはもちろんのこと、歌詞がこのワンニャンの世界で暮らす犬猫たち、主に”イチ”に合ったため使われたと思う。
なので少しばかしだが、歌詞についても語りたい。
1番 解放された犬猫の思い
黄金(きん)のシンバル鳴らすように
囁(ささや)くのはお日様
「一緒においで木々の宴(うたげ)に」
耳を澄ましましょう
シャボンの雲で顔を洗い
そよそよ風と散歩
「大丈夫きっと・・・」羽根になるココロ
ヒカリへと放してごらん
虹を結んで空のリボン
君の笑顔へ贈り物よ
願いをかけましょう夢日和(ゆめびより)
明日またしあわせであるように
お日様、風と散歩、これは野良犬・野良猫目線のことである。特にこれは3億年前に連れていかれた犬猫たちの誰も自分たちの生活を害する存在がいない、平和な野生生活を送る彼らの自由の歌である。羽根になるココロをヒカリへと放す、つまり縛られることから解放されて虹をもつかんで結んでリボンに変えれるという犬猫たちの心に様子を比喩したもの。
「明日もまたこの生活が送れるようにあれ」という願いが込められている。
2番 再びのび太に会うことを信じるイチたち
雲の綿菓子(わたがし)つまんでは
ひと休みの草原
「風はどこへ帰ってゆくの?」
鳥に尋ねましょう
夕日のレース肩にかけて
伸びてく影と駆けっこ
「見守ってるずっと・・・」光る宵月(よいづき)の
優しさに抱かれてごらん
星を列(なら)べて空のボタン
夜のカーテンを留めてあげる
明日も逢えるよ夢日和
その笑顔忘れずにいるなら
だんだんと夜が来て、昼間は遊ぶことや学ぶことで忙しかった犬猫たち。
しかし、夜になると物思いにふけってしまう。そういえば今日ものび太が来なかったな。と。大丈夫、のび太の「絶対来るからね」という言葉と、そのとき自分たち(犬猫)に見せた笑顔を信じていれば必ずまた会える。また会えるさ。と思うイチたちの心情を表している。
もちろんこれらの歌詞の正解は、当時の制作チームしか知らないことである。なのでこの考えがかすりもしないか、はたまた少し惜しくあるのかはまったくもって検討もつかない。だが、私はこの曲を聴いて、上記のように思い込んでしまった。
何度も繰り返し聴いた曲。これからも何度も聴くだろう。
まとめ
世界観(設定)にて、一見ワンニャンを批判しているように見えるかもわからないが、それは違う。批判ではなく考察をしただけであり、なにも今作が「良くない作品だ」なんて思ったことはない。単純に、作中のキャラクターの行動原理や設定、裏話などが気になりあくまで自分なりに考えただけのものである。なので正しいわけでもない。映画を観た感想文である。
そしてこのような設定を考えることが好きなので、ほかの見解を持った方はぜひその意見を聞かせていただきたい。
ドラえもんはどの作品も本当に語りがいのあるものばかり。
これからもまだまだ語っていきたい。
次は、『新魔界大冒険』か『ザ・ドラえもんズ』について語りたいな。
最後に
芝山先生本当に長い間お疲れ様でした。たくさんのドラえもん映画をはじめとした作品をどうもありがとうございました。本当に多くのことを学ばせていただきました。
これからも何度も何度も観返します。



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