参政党の人脈をたどると、笹川良一に行き着く。
では、笹川良一とは何者だったのか。
笹川良一は戦前、右翼政治運動を率いた人物であり、敗戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監された。
岸信介も同じだった。
しかし二人は裁判にかけられず、1948年、不起訴のまま釈放された。
なぜか。
占領初期の米国は、日本の軍国主義者を排除し、民主化と非軍事化を進めようとしていた。
しかし冷戦が始まり、日本国内で共産主義運動や労働運動が拡大すると、占領政策の優先順位は変わった。
軍国主義者の排除よりも、
日本を親米反共国家として作り替えることが優先された。
その政策転換の中で、岸信介と笹川良一は戦後体制へ戻された。
岸信介は保守政治を担い、
笹川良一は資金と民間組織を担った。
そして統一教会が人員と共同体を作り、
国際勝共連合が反共宣伝、保守政治との接続、選挙運動を担った。
ここに掲載した画像は、CIAが保管・公開した1978年のワシントン・ポスト記事だ。
文鮮明の側近が、韓国中央情報部の工作員から現金3000ドルを受け取ったと、米議会で認めたことを報じている。
これはCIA自身が作成した報告書ではない。
しかし、統一教会側と韓国の情報機関との資金的な接点が、米議会証言として記録されている資料だ。
統一教会を、単なる宗教団体として見てはいけない。
信者と共同体を基盤に人員を集め、
国際勝共連合を通じて反共思想を広げ、
保守政治と接続し、選挙運動を支える。
宗教組織であると同時に、
政治動員の基盤でもあったということだ。
岸信介と笹川良一の釈放。
統一教会の日本進出。
国際勝共連合の結成。
競艇収益を基盤とする日本船舶振興会の設立。
これらは別々の出来事ではない。
戦前の国家主義者を排除するのではなく、
親米反共という戦後体制の担い手として再配置する。
その戦後体制の中で、これらの組織と人脈は形成されていった。
それが、戦後日本の保守政治の起点だった。
岸信介の流れは、自民党と安倍政治へ続いた。
笹川良一の流れは、日本財団を中心とする資金、人材、政策ネットワークへ続いた。
そして現在、その人脈の先に参政党がある。
参政党は、体制の外から突然現れた反体制政党ではない。
戦後に作られた親米反共体制の人脈と思想が、
新しい看板をまとって現れた政党ということだ。
参政党は、突然現れた庶民発の反体制政党ではない。
神谷宗幣の経歴を見れば、参政党が生まれた理由がわかる。
ここで、笹川財団と日本財団の人脈は外せない。
日本財団の前身である日本船舶振興会は笹川良一を初代会長として設立され、笹川財団も日本財団とモーターボート競走界の拠出で設立された。