「90番がお呼びだ」1軍デビューで初ヒット 部屋子なのに…やっぱり大物ですよ、松井は

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<13>

デビュー戦で初安打を記録=昭和52年8月5日、川崎球場

《意識が変わった…》

〝穴ぐら〟で打ったり、ミスターに頭をめがけてボールを投げられたり。それからバッティングに対する考え方が変わりました。きわどいコースは絶対に見逃さない。少々ゾーンから外れたボールでも、打っていこうという意識になりました。

プロに入ったころ、たいていは「ストライクを打て」と言われましたよ。でも審判もボールをストライクとコールすることだってある。それを見逃すと悔しい思いもする。だったらボール1個、ボール1個半くらい外れていても「打てる」という技術、振れるという意識を持ってやろうと思ったのです。

同じころ、打つときに右腰が上がる癖があった。それもミスターが見てくれて「その右足、地面に潜るように、グッと下に押し込むんだ」ってアドバイスを受けてね。で、その癖も出なくなったんです。

《「90番がお呼びだ」。待望の1軍デビュー》

プロ2年目の昭和52年、開幕は2軍でした。8月4日のことです。2軍の北海道遠征で池田町にいました。十勝ワインが有名なところです。そこで岩本堯2軍監督に「90番(長嶋茂雄監督の背番号)がお呼びだ。川崎に行け」と言われた。僕1人ですよ。池田町から電車で札幌まで行き、ホテルに1泊して翌5日、午前の便で羽田に着き、川崎球場へ向かいました。大洋(現DeNA)戦でした。

河埜和正さん、土井正三さんにリンドもけがで休んで二遊間が手薄だった。すげぇ不安でしたよ、初の1軍ですから。(僕が)何者なのかわからないじゃないですか。とにかく球場に入って、三塁ベンチでずっと大洋の練習を見ていたんです。

巨人の選手で最初に球場に姿を見せたのが張本勲さんでした。で、直立不動で挨拶しました。「がんばれよ」って言ってもらった。選手たちも徐々にやってきて、ミスターは結構遅かった記憶があります。ま、ビジターですから。それから呼ばれたので挨拶に行きました。

すると「お前、先発だから」って急に言われて。ドキッとしましたよ。7番ショートです。緊張してましたが、一回裏の守備で1番・山下大輔さんの打球がいきなり飛んできたのをうまくさばけた。それからは結構リラックスできたんです。

大洋の先発は斎藤明夫(現明雄)さん。1打席目は確かカーブを見逃して三振でした。斎藤さんは新人でしたが、すごくいいカーブを投げていた(※ドラフト1位で入団、52年は38試合登板、8勝9敗で新人王)。

五回の2打席目、高めのストレートをとらえてセンター前にプロ入り初ヒットを打ったんです。一塁ベース上でベンチを見ました。長嶋監督や王貞治さんらみんなが「ナイスバッティング」って手をたたいてくれた。1年前の同じ日に2軍戦で初ヒット。〝8・5〟は僕の記念日です(※守備でも上田武司二塁手とのコンビで4併殺を決める)。

《試合は2本塁打の張本さんの活躍で快勝。1軍初遠征はその張本さんと同室…》

当時は旅館で2人部屋です。超ベテランと一緒、勝手な行動はできない。緊張しましたよ。張本さんはナイターが終わったら部屋で必ず素振りをする。20分くらいですが、僕はずっと正座して見ている。その後、風呂です。大浴場で他の選手も一緒ですが、僕は後から行ってサッとシャワーを浴びて先に帰る。その後の夕食会場も同じ。サッと食べて部屋で待つ。〝部屋子〟はしようがないですよ(笑)。

余談ですが、松井秀喜が入団して最初の宮崎キャンプ(平成5年)では選手最年長だった僕が同室でした。松井は部屋子ですね。でも朝は僕が起こして、窓のカーテン開けもやった(笑)。ヤツは連日、取材対応とかで大変だったからね、疲れて。でもしばらくしてからカーテンは開けてたけど。やっぱり大物なんですよ、松井は…。でも本当によく練習していたよ。(聞き手 清水満)

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