明治期
明治初期から日本人は玉撞きが
大好きだった。
体力よりも技法を伴うスポーツ
なので、日本人に合っていたの
かも知れない。
昭和初頭のモガ(モダンガール)
たち。正確にはモガよりも若年
層のティーンだろう。
皇室の人たちも撞球は必ずやっ
ていた。
これは天皇の御玉突所。
御用邸には撞球室が必ずあった。
テーブルの脚の下部の床は床板
を退けて石の基礎が出ている。
これはつい最近まで老舗のビリ
ヤード場にもあった建築構造だ。
礎石から直に石の基礎を出さな
いと、1台で600kg~700kgはあ
るビリヤードテーブルを床板で
支える事は不可能だからだ。
我が家でも、ピアノを置く場所
の床下は極太根太をバリバリに
渡しているが、撞球台の場合も
通常の木造建築の床上に置くの
は無理がある。確実に床が抜け
る。
天皇の御玉突所。
カウント用紅白のそろばんは日
本独特の方式だ。
これはかなりのスグレモノだが、
現在ではほぼ見なくなった。
日本にビリヤード台が本格的に
入って来たのは長崎の出島だっ
た。
まだ、新しい穴無し台のキャロ
ムが登場する前の紅白玉の穴入
れ台からはじまり、のちに新式
のキャロムも出島には設置され
ていた。
遠山の金さんが長崎奉行だった
頃から。
ビリヤードはまだ台上ゲートボ
ールのルールだった頃から。
キューではなくゴルフクラブの
ような「メイス」という道具で
打って玉を転がしてゲートをく
ぐらせている。
やがてゲート通しゲームから、
台の中央や隅に穴を設けて玉を
落とすポケットビリヤードが誕
生し、早速出島でも英国式ポケ
ット台が置かれた。
さらに後、穴を塞いで玉と玉を
当て合うキャロムが登場して世
界中で大人気となった。
メイスとキューが並立していた
のは1860年あたりまで。
1860年あたり以降からはメイス
の棒の部分を使って玉を撞く事
が主流となり、それからキュー
が生まれた。
フランス軍人が収監中にキュー
先に革を着ける事を発案し、以
降それがキューの定番となった。
さらに後年、白墨を粉にしてタ
ップに着けて滑り止めとする発
明がなされ、それが現在までも
続いている。チョークの発明に
より、マッセショットや超絶フ
ォローやドロー、スピンをかけ
るイングリッシュが可能となっ
たのだった。
これも長崎の出島。江戸幕末。
すでにメイスからキューになっ
ているので、1860年以降だろう。
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