声オタおにじくんの声学審問H!

過激派で有名な(?)おにじさんが、声優の事を語ったり。

伊藤美来はなぜ「下手」と言われながらも第一線で起用され続けるのか?

おにじと申します。

 

筆者、コレを書き始めているのはGW真っ只中。

長らくブログネタとして考え続けたものの、言語化が非常に難しく悩んでいた話題にチャレンジしてみようかなと…

なんというか、最近ポジりまくってたので、やはり下手に下手とどう言語化するのか。この方向性もちゃんとやっていかないと、オタクとして公平ではないと思うわけです。

 

じゃあ、まぁ伊藤美来やろうよと。

なんというか、いろんな声優いますし、下手という声優はいますけども、今最もそれをいろんな所で、多くの頻度で感じる声優の言語化は大事だろうと。

でも、ここまでやってこなかったのはそれが難しいの分かってるからなんですよね。

まぁやってみようかという感じではあります。

 

でもまぁ、伊藤が下手という漠然とした評価自体は、ネットでも良く見ることではある。それと当時に長年にわたりある種の奇妙なねじれ現象を引き起こしているともいえる。

「演技が下手である」という厳しい批判が、SNSやアニメで定期的に巻き起こる。しかしその一方で、彼女の出演作が途切れることは決してなく、常に新作アニメの主要なヒロイン役にキャスティングされ、大型ソーシャルゲームの中心人物として起用され続けているし、明確にファンがいることも間違いない。

 

この明白な矛盾を前にした時、話すときに単なる「アンチの的外れな叩き」や、逆に一切の批判を許容しない「信者による全肯定」といった、浅薄な二元論から脱却しなければならない。そこはちゃんとやらないといけない。

特に近年の声優ファンダムに蔓延する、推しに対する客観的な技術的指摘すらも「悪意ある攻撃」とみなし、ひたすらに称賛と擁護だけを繰り返す「キラキラオタク的」な同調圧力は、声優という職業の奥深さや、表現という芸術のシビアさから目を背ける行為に他ならないわけで、本当にクソゴミなわけである。

プロの表現者である以上、そこに技術的な不足や表現の限界があれば、それは論評の対象となるのが健全なエンターテインメントの姿のはずなんでね。

 

今回は、筆者の見解としての「純粋な技術論・演技論」と、世間的・業界的な「タレント価値の力学」という二つの視点をなんとか持って、伊藤美来という声優の事を考えていきたいと思う。

 

「致命的な下手さ」ではない。「絶妙にしっかり下手」というややこしさ

まず、純粋な音声表現としての「芝居」という土俵において、伊藤美来がどのような技術的現在地にいるのかを客観的に定義して、何がどう下手なのかを言語化しなければならない。

この人、この言語化が何故かむずい。この人明らかに明確に下手なのに、下手であることの言語化は難しいという特異な人なのである。いわゆる定石通りの下手さではないということなのかもしれない。

 

ネット上の極端な言説では「聞くに耐えない」「放送事故レベル」といった言葉が飛び交うこともあるが、筆者の見解はそこまでではないと思う。

彼女の演技は「決して聞くに耐えないとまでは言わないが、他と比較して明確に下手であることは確実に認識できる」という、極めて絶妙なラインに留まっていると思う。

 

というかまぁそもそも、令和の現代アニメ・ゲーム業界において、文字通り「聞くに耐えない」レベルの素人がメインキャストとして出てくることはほぼあり得ないと思う。

まぁ強いて言えばブシロード系列の極端なメディアミックスキャスティングではあり得るとは思う。発表当時のMorfonicaとかは、全員が全員本当にちゃんとヘッタクソでこの時代にこんなん出てくるんだと逆に感心したものである(あそこから直田がそこそこできるようになったの凄いよな)

そのブシロードでさえ、新作の『アツドリ』等においては比較的基礎の出来た若手有望株を並べてきているし…(

全体のボトムアップが進んだ現代において、伊藤美来の芝居は決して「致命的な崩壊」を起こしているわけではない。しかし、確かな「技術不足」はあって、それがごまかしきれないレベルで透けて見えるから、下手と言われているはずなのである。

彼女の芝居の何がそうさせるのかを考えていこう。

 

棒読みではない、でも平坦ではある

彼女への批判として最も多く用いられがちなのが「棒読み」という言葉である。

近々でも、そういう言葉でXで少しバズっていたような…

ただ厳密な演技論の観点から言えば、彼女は「棒読み」ではないと思う。そこまでの棒ではない。

真の意味での「棒読み」とは、イントネーションとか抑揚が完全に崩壊し、発声的にもマイク乗りが悪いとかで、作品の世界観から完全に分離し浮き上がってしまう状態を指す。

伊藤美来ってなんやかんやそこまでではないんですよ。なんやかんや。下手なんだけど、棒ではない。下手では間違いなくあるが、棒とまでは言えない。棒といえる瞬間や役はあるかもしれないが、基本的棒ではない。

彼女の演技を正確な言葉で評するならば、それは「明確に平坦」という表現が最も言語化できているのではないかと考えている。

彼女の芝居には、感情の「起伏」と「緩急」がまぁ本当にしっかり欠けている。

優れた声優は、セリフの端々に微細なグラデーションを込め、感情の波を表現してきてくれる。

しかし伊藤の場合、出力される感情のパラメータが基本的に「中」と「強」しか存在しない感覚を受ける。なんというか明らかに他の声優よりパラメータの段階が極端。の上で「弱」がある感じもしない。繊細な心理描写、静かな葛藤といった「弱」の芝居を要求されるとそれが単なる「ボソボソとした喋り」とかになりがちというか…それは弱でもないだろみたいなことになる。

逆に強い感情を出そうとすると、ただ音量が大きくなるだけで感情の深みが伴なってこない。

なんというか、わざとらしいというか、不足している選択肢の中で最も近いものが選ばれているみたいな感じなんだよな。ずっと浅瀬で遊んでる感じというか。

感情の上下の幅がそもそも小さいというか、演じる上での感情の振れ幅が他の声優に比べて小さい。

結果として「人工的で平坦な芝居」という印象になる。

一部の層が直感的にこれを「棒読み」と評してしまうのは、この「感情のうねりの無さ」に起因していると考えられる。

ただ、棒と言うほどではないんだよななんやかんや。その致命的な所をギリ回避している。

 

でもって、その平坦な演技に拍車をかけているのが、「声幅の狭さ」と「引き出しのなさ」なのかなあと。

彼女の発声のアプローチは、極端に言えば「高い」か「低い」かの2つしか存在しないに近い。

いつもの伊藤美来か、五等分の花嫁の伊藤美来のほぼ二択に分類できてしまうきらいがある。

中間の微細なチューニングがほぼない。自転車でも2速のチャリはないぞ。

 

この声幅の狭さゆえに、彼女は「演じ分け」という声優の基本技術を事実上ほぼ放棄せざるを得なくなっている。

どのようなキャラクターを振られても、結局はこの2つのギアのどちらかに落とし込むことしかできないため、結果として「何をやっても同じような声になる」「すべてが伊藤美来に聞こえる」という批判につながってくる。

いやまぁ厳密に言えば、いつもの伊藤美来側にもうちょっと種類がないわけじゃないんだけども。けども…まぁそのそれをあるって言いすぎると、大多数の声優に失礼になってしまうので、ハイ。

 

で、彼女のキャパシティを超える役柄を無理に求められた場合、普通にめっちゃ暴投する。

まぁ、そんなものを求められることはほぼないので、各種暗黙の了解があるのかなとは思うのだが、普通に暴投する。

小倉唯がHUGっと!プリキュアで大暴投した感じ。まぁ小倉みたいに一年暴投し続けている状態でやり続ける醜態を晒したことはないが(普通そうはならないんだよ)

 

この人、言語化が明らかに難しい

前述した部分と重複する部分もあるのだが、不思議なことに、彼女の演技の「どこがどう下手なのか」を具体的に言語化するのは意外と難しい。

先述の通り「絶妙にしっかり下手」なのであって、「壊滅的に下手」ではないからである。

の上で、伊藤の下手さって、定石通りの下手さとはまた違う部分があるというか、下手の種類が少し特殊な雰囲気がある。

これがまぁ伊藤美来の下手さを論じる際、通常の物言いをするとどうも合致感が薄い理由な気がする。

間違いなく下手くそなのだが、壊滅的といえるほどではなく、また通常の下手くそともまた違う方向での下手くそさを持っている。

この極めて絶妙なラインに留まっていることによって、あらゆる言語化を阻んでくる。

なんでそんなコピーガードみたいなことしてくるんだろうなこの人。

この謎のセキュリティによって、伊藤美来を下手と言う人間を逆説的に攻撃してきているまである。恐ろしい声優ですね(適当)

 

で、この人、作品の根幹を単独で破壊したという事例が、この下手さの割に明確に存在しないということもある。

前述した小倉唯とかでさえ、初期メンツがほか2人は新人・若手にも関わらず、それと比較しても下手で、歌ったらただの小倉唯なので、声優として一年機能しない醜態を晒したりしているのだが、意外と伊藤美来ってそういう醜態の晒し方をなんかしていない気がする。

 

もちろん、根幹を破壊しない程度には演技で役柄の説得力を貶めている程度の事例であれば全然ある。

そもそも伊藤は別に滑舌が良いタイプではないので、近々で言えば『真夜中ハートチューン』においてアナウンサー志望の雨月しのぶをやっているが、説得力が流石にないだろと思う。

いくらキャラ設定に噛み癖があるとかがあっても、そもそも滑舌とか発声の面でその設定のキャラクターを伊藤美来にやらせるんじゃあないよと思った。

まぁ現代の女性アナウンサーは、昔と異なり滑舌も良くなければビジュアル重視であるというところを皮肉めいたキャスティングなのであれば、それはそれで面白いと思うがそんなキャスティングは流石に伊藤美来だとしてもやめてやれよとなるので、どっちにしてもダメである。

 

伊藤美来は明確にツキもある

ということで、まぁ不足要素を言えばキリがないのが伊藤美来だが、前述した通り、このレベルであれば普通は何かしらのタイミングによって、その能力不足がよりわかりやすく出る事例というのが出てきてしまうもの。ただ、伊藤美来に関しては、その感じが小能力の割に薄い感じがする。

そんな伊藤美来の演技能力の限界が、明確に全国に晒される危険性があったのが、大ヒット作となっている『五等分の花嫁』の中野三玖役であったとは思う。

同作の姉妹役には、花澤香菜、竹達彩奈、佐倉綾音、水瀬いのりというトップクラスの実力・人気を誇る声優陣が顔を揃えていた。少なくともここに並ぶと明確に能力として伊藤が劣っていることは間違いなく、そういう流れになることは十二分に考えられrた。

 

しかし、結果は全く違ったと言って過言ではない。

同作のアニメ版のキャスティングは、明らかに「名前と人気」を最優先した座組となっており、役柄と役者の本来の持ち味が必ずしもベストマッチしているとは言い難いものとなっていた。

まぁ、キャスティングセンスがないというか、強い名前を揃えておけば売れるだろうという軽率な商業的なキャスティングとなっていた。

その結果、花澤、竹達、佐倉、水瀬といった実力者たちが、それぞれの能力をフルに発揮しきれない(あるいは役の制約で発揮しにくい)状況が生まれたような感じがある。

辛うじて佐倉はもともと5役やってた所からまだ一番適していそうな所には置かれていたのでマシな部類という言い方は出来たものの、それも比較的という感じ。

水瀬はああいう役もできることはしっかり示しはしたが、水瀬の声的な強みはほぼほぼ殺すことになったので、これも良いとまでは言い切れない感じに。

 

ということで、全員が力を100%発揮できない状況となった結果、伊藤がいつも通り低い方でボソボソと感情の起伏少なく三玖を演じていた伊藤美来の「平坦な芝居」が、キャラクターのダウナーな設定と比較的合致している側になってしまった。

周囲の実力者たちが不完全燃焼を起こしている中で、伊藤の芝居が「相対的にまだ能力を出せている側」に回るという謎の逆転現象が発生。

実力派に囲まれてアラが目立つどころか、座組の不完全燃焼によって謎に評価されるまであった。

伊藤美来の演技力不足によって明確にコケた作品が歴史上存在しない背景には、こうしたツキがある意味であったという所もあったのかなと思う。

 

割と声質のゴリ押しでどうにかなっているように見える部分も?

演技の幅は無いし、基礎技術も足りていない。しかし、彼女を第一線に踏みとどまらせている能力的な要因は、「伊藤美来の声質自体は、間違いなく声優向きの素晴らしいものである」ということではあるとは思う。

この天性の「THE・アニメ声」があるため、どれほどスキルが不足していても、声質の良さだけで「一応のキャラクター性」を成立させ、ゴリ押しできる範囲が確実に存在するとは思う。

『笑顔のたえない職場です。』などの作品においても、に伊藤以外の技術のある役者が演じた方がより深い表現になったであろう場面はあったとは思うが、それでも声の魅力によって「作品を致命的に邪魔する」という最悪の事態には至っていなかったような気はする。

この「決して上手くはないが、決定的な戦犯にもならない」という絶妙なバランス感が、彼女の立ち位置を極めて特殊なものにしている。

明確に下手ではあるのだが、誤魔化せるポイントもあり、なんか言語化しにくい。ギリギリ赤点回避してそうでしてないみたいな声優なんよな…

 

だが、どれほど強運と声質に恵まれようとも、厳しい見方をすれば「どうしても伊藤美来の芝居でなければ成立しない」という唯一無二のキャラクターは、業界全体を見渡しても極めて少ないのが現実ではあると思う。

 

では、彼女に全く強みがないのかと言えば、そうではない。彼女の特異な引き出しが唯一輝く領域がある。それが「等身大な主人公キャラ系統」である。

キャリア初期の『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』の宇佐美奈々子役や、『アイドルマスター ミリオンライブ!』の七尾百合子役などに代表される、どこにでもいる普通の女の子、あるいは等身大の悩みを持つ主人公キャラクター。

この系統の役柄においてのみ、伊藤美来の能力が逆に「飾らない自然体」としてシンクロし、彼女ならではの強みを発揮している感じがある。

ああいう系統だけをやらせておけば、そこまで明確に問題にはならないんじゃないか?という感じはまああるっちゃある。

 

しかし、最大の問題は、彼女にはこの「等身大キャラ」という『一本槍』しか存在しないに等しいことである。

彼女のキャリアの長さを考えれば、とうの昔に中堅の域に達している(デビューは2013年)。キャリアを重ねる以上、やはりもっと他の引き出しを持ってもらわなければならないし、様々な役柄で作品に深みを与える役割が期待される。

それにもかかわらず、彼女はずーっと、声優としてのキャリアが「3〜5年目」であるかのような演技水準に留まり続けている感じがある。

そして最も苦しいのは、等身大以外の複雑な役柄や、大人のキャラクターを振られた際にも、結局はこの「3〜5年目の等身大キャラ」のアプローチでしか処理しようがない所。

声優としての確かな「成長が見られない」というのが、なんなら一番の問題なのかもしれん。

 

ということで、まぁクソミソに伊藤美来を言ってきたわけだが、じゃあなんで第一線で起用され続けるのかを考えてみよう。

まぁ腐ってるなあ声優業界はって言いたいだけなのかもしれんが(

 

資本・興行面での確立に勝てるものはいないのか

伊藤の能力を考えれば、まぁしんどいというのが実情である。

それでもなお業界(プロデューサー陣や製作委員会)が彼女を重宝されるのか。

まぁこれは現代の巨大なアニメビジネスを成立させるための極めて冷徹で合理的な理由という所があるっていう言い方をするのが一番良いんじゃないだろうか(

やっぱり、日本という資本主義の世の中において、やはりお金になるというのは大事なのである。

で、まぁ伊藤美来は一定の金を生み出す存在であることはまぁ結局明らかではあって。

現代のキャスティングは「演技力の品評会」というよりは数億円規模のプロジェクトの投資を回収するための「タレントとしての総合的なアセット(資産)価値」の算定な部分もある。

という所で、商業的に伊藤美来は使えるのではないか?という話ですね。

 

それこそ、伊藤美来は日本コロムビアに所属している声優アーティストとしての一面もある。

声優アーティスト全盛期の時期に伊藤はデビューしており、タイアップという所もコンスタントに獲得してきた声優。

レーベル側の「自社の売れっ子声優をメインヒロインやキャラとして投入し、主題歌のタイアップを獲得し、盤(CD)の売上を最大化する」というビジネスモデルにおいて、伊藤美来は抜群の知名度と固定ファンを持つ最強のカードなのである。

この上で、現在はソロ声優アーティストが一定以上のレーベルからデビューすることはかなり減っている印象がある。

全盛期を考えると、生きをするように声優ソロデビューを日本コロムビア、Lantis、フライングドッグ、キングレコード、ポニーキャニオン等、アニメの出資に関わっているような企業がおこなっていた感じがあるが、今はかなり減少傾向で、ソロデビューしていたとしても、このレベルのレーベルでのデビューは極めてレアとなっている。

いわゆる売れるアニメはJPOP系アーティストに頼むことが増えていることによるものだが、これで伊藤は対声優アーティストで戦う相手が少なくなっているため、いくらアニメのレベルが昔より多少落ちていても安定して仕事とタイアップを貰える環境にいるので、こういう部分でも伊藤にツキがある。

 

で、まぁ現在のアニメビジネスにおける最大のマネタイズポイントは、リアルイベントやライブ興行になってくる。

この興行という戦場において、伊藤美来のタレント価値というのは無視できない。

声優というジャンルの割にはルックスに優れ、激しいダンスをこなし、何万人もの観客を熱狂させるアイドルスキルというのはまぁ流石にあるとしないと伊藤美来にも失礼だろう(ここまで失礼なことしか書いてないだろ)

彼女をキャスティングすれば、彼女自身の熱狂的なファン(いわゆる「太客」)が確実にチケットを争奪し、高額なグッズを買い支えてくれる。

現場からしたら芝居が「3〜5年目」のままであっても確実にアリーナを熱狂の渦に巻き込める伊藤美来は、ビジネスパートナーとしても、マネタイズとしても信頼できる部分はあると思う。

 

いや~~むずいっす、伊藤美来の言語化。

こんなんすぐ出来たらいつでも記事にしたけど、出来ないからこうなってるんだよなと。

でもなんでその言語化が難しいのか、その上で何が不足しているのか、でもって、なんでそれが致命的ではギリギリなくて、なんで起用されているのか。

そういうのを考えてみた。

 

能力のなさと、時代の流れ、そしてツキ。この辺りが複雑に絡み合って、今の伊藤美来がいるような感じがする。言語化が明確にしにくい程度の明確な下手くそさという奇跡的なバランスによって、下手さが明確に仕切れないため生き残ってる説まである。

なんか逆にキセキの存在なのかもしれないが、こういう声優は申し訳ないが生まれないに越したことはないんじゃないだろうか。

まぁ、ある意味でこういうのを量産していた事務所がほぼ瀕死状態な上、残したゆいかおりの企画すら進められない所にまで終わり散らかしているのは、やはり朗報なような気はする。

言語化が難しい上に、ギリギリ致命傷を回避するせいで各種アニメにちゃんと下手なやつがいるみたいなことになる声優なんかいないほうがいいんだから。

 

以上。

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