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正直wikipediaに大体のことが書いてあります。 が回答してみます。 ①演義のみに記載 ・83万の大軍、さらにそれがほぼ壊滅 ・諸葛亮が張昭はじめ並みいる呉臣を言い負かす ・10万本の矢を記載 ・諸葛亮が東南の嵐を起こす/周瑜と諸葛亮との絡み全般 ・龐統が連環の計で活躍 ・蔡瑁・于禁が水軍提督になる下り ・撤退戦で曹操がボロボロにやられる ・華容道で関羽に見逃してもらう じゃあ歴史書の記述はどうなのかと言うと 歴史書のほうでも結構違う部分があります。 ②歴史書の三国志(陳寿が書いた歴史書)に記載 ・諸葛亮の説得で孫権が軍を動かす ※周瑜・程普らは劉備に'詣でる' ・劉備と周瑜は同等、どちらかと言うと劉備の主将っぽく書かれてある。 ※劉備は周瑜と共に赤壁で大破(それとは別に追撃戦でも活躍、と記載) ・周瑜の部下の黄蓋発案の火計で大勢の曹操軍が死んだ ・火計以上に疫病が酷くて曹操は残りの船を焼いて撤退した。 ③陳寿の三国志以外の歴史書(呉賛美傾向のある江表伝、という歴史書)に記載 ・孫権が机を斬って派手に開戦 ・周瑜は劉備に対して自分達だけで戦えるから見とけ、と豪語 ・劉備は見てるだけで戦わなかった(周瑜だけが戦った) ・曹操が「周瑜に負けたならしょうがない」という趣旨の発言 ④山陽公載記(あまり信憑性はないとされる。) ・劉備に船を焼かれた曹操は 撤退中の曹操軍は華容道で自軍の一部兵士を踏み殺して撤退 撤退後「劉備は計略を考え付くのが遅い」とイきり出す。 ⑤呉書(韋昭という呉の人が書いた。陳寿の呉志のベースになったとされる) ・関羽が「劉備は鳥林の役で自ら戦った」と発言 ②④を見る限り曹操が敵将と認識してるのは周瑜より劉備のほうですが ③のみ取り上げて 「劉備は史実では戦ってなかった」みたいに言う人もいたりします。 そっちのほうが目立つので ヤフーニュースの煽り記事みたいに注目度は高いかもしれませんが、 ①を取り上げるだけではなく②~⑤まで取り上げて、 劉備軍が活躍したかどうかは歴史書によって違う、 みたいなまとめ方をすれば良いかと思います。そっちの方が深く考察できてます
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質問者からのお礼コメント
分かりやすい説明、 ありがとうございました(*Ü*)
お礼日時:2021/11/7 23:55
その他の回答(2件)
kumさんの言う通りだと思います。 簡単に言うと諸葛亮が関係するところは基本的にはフィクション 曹操軍の規模も100万もいませんし、壊滅的な被害でもないです。
演義では周瑜が諸葛亮に10万本の矢を集めさせると言う難題をクリアしたり、火計のために必要な東南の風を諸葛亮に吹かせる等、諸葛亮の尽力があったからこそ勝利できた、と言う風に描いています。 また赤壁で曹操軍100万が大敗北して多くの戦力を失い、更に逃走する曹操の脱出経路にあらかじめ張飛や趙雲、関羽等を配置して、最後は関羽に命乞いをする曹操、と言う図式にして、あくまでも勝利は諸葛亮の采配、読みによるもの、と言う図式にしています。 正史の方は詳細な記述はなく、曹操の主力軍(張遼や楽進等)は別の地域に駐屯しており、赤壁はあくまでも曹操と彼に降伏した荊州軍が主力で、それと孫権・劉備連合軍の戦いになります。当然規模も100万も兵がいるはずなく、曹操軍で10万ちょっと程度。 赤壁で曹操が敗北したのは確かですが、その被害がどの程度かははっきりしないのが実情です。元々疫病が流行っていた、と言う話もあるので、一度敗北したのをきっかけに退却した、と言う可能性もあります。 劉備や諸葛亮は呉との同盟、最後の追撃戦に参加していたことぐらいしかはっきりせず、追撃戦も演義と違い、曹操を待ち伏せする、とまではいっていないですね。10万本の矢とか東南の風とかと含めて、この辺りは全てフィクションですね。