JASRACからの警告と、その後のこと。
一昨日書いた、JASRACからの警告に関しての、続きです。
既に何度も書きましたが、去る2026年7月8日、JASRACから著作権侵害の警告文が来ました。2022年にマザーランドの歌詞考察記事を書いたとき、わたしは法的に正当な引用の要件を満たすように注意を払って記事を書いたつもりでしたが、4年ほど経過した昨日、JASRACから警告が来ました。
主張に無理があると思ったから削除したわけではありません
わたしはこの警告を受けたとき、削除に不同意の意思を一度は伝えました。
なぜなら、引用は法律で認められた正当な権利行使だからです。
しかしながら、実際にはJASRACが裁判なりを起こしてわたしを訴えるという行動に出るよりも前に、noteの運営側がわたしのアカウントを凍結・削除する可能性が高いわけです。たとえ法的にわたし側に利があったとしても、noteの運営側が面倒事を嫌ってわたしのアカウントを削除することは、充分に想定できますし、警告にはそのような趣旨の内容が書かれていました。
しかし、noteにはマザーランドの歌詞の考察以外にも、旅行記や創作活動の記録、などなど、これまでに想像地図の人が経験した様々な思い出が書かれています。それらもろとも削除されることは、わたしにとって日記を燃やされるのと同じです。そこまでのリスクを冒すことはできません。
リスクにコストが見合いません。仮にJASRACと裁判をして勝ったとして、note運営にアカウントと記事を復活してもらえる保証がありません。
従って、不本意ながら「記事自体は残して、歌詞引用部分を削除して曲の時間と行数を指定して論じる」という方向に変更しました。
なお、当該noteは、マザーランドの歌詞を、当時膾炙していた「スポーツ選手の苦悩を歌った曲」という解釈ではなく、「理不尽な侵略戦争に立ち向かう人々を歌った曲」という新しい解釈を提示する目的で書いたものです。その「侵略戦争」というのが具体的にどの戦争のことを言っているのかについては、投稿日が2022年2月28日であることから察していただければと思います。
侵略戦争って、侵略側が身勝手に始めて、罪もない人の思い出の品が詰まった家々を燃やす行為ですよね。
だからこそわたしは、引用部分を削除する際、当該記事に「邪悪なJASRACは、わたしに対して不当な警告という侵略戦争を仕掛けた」というナラティブを加えました。
このようなnote記事を見つけましたが、概ねわたしが言いたいことは代弁してくれたという感じがします。
ちなみにその後、note運営からは、「請求者から指摘のあった部分について問題がなくなったことを確認した」という旨の連絡が来ています。
つまり、わたしが引用部を削除した理由は、「主張に無理があると思ったから」ではなく「日記を燃やされるのは受け入れられないから」だということは、ご認識いただけますと幸です。
いくら自分が正しくたって、侵略軍が目の前に迫っている中、自分の思い出の品を守りたいなら、それを持って避難するしかありません。
わたしは、JASRACという侵略軍から自分の思い出の日記を守るため、「引用部を削除」という「それを持っての避難」を実施しただけです。
それを「かっこ悪い」だなんて、言われたくない。
皆様が、戦場から避難してきた難民に対して「自分が法的に正しいと思うなら避難する必要なんてないはず」という酷いことを言うような人でないと信じたいです。
ですので、わたしは今回の問題で「自分が被害者の立場である」という主張を変更するつもりはありません。
何故わたしが怒ってるか分かってますか?
わたしが怒りを覚えたのは、人を一方的に「著作権侵害者」だと決めつけて、脅迫まがいの高圧的な警告文を送りつけるというJASRACの手段に対してです。
もしJASRACが誠実に冷静に「さすがにここまで引用の量が多いと著作権侵害になってしまう恐れがあるので、たとえば時間と行数で指定するなどの工夫をして、可能な限り歌詞をそのままのせない方法をお考えいただけますか」のように、恭しく丁寧な提案という形でのメッセージを送ってきていれば、ここまで怒りを覚えることはなかったかと思います。
わたしのツイートは、わたしの想定を大きく超えて伸びました。結果、わたしに対する誹謗中傷や冷笑も相次いで寄せられています。
望んでも求めてもないのに、上から目線のアドバイスをよこして、その言葉遣いをやめてほしいとわたしが声を上げたら「こっちはアドバイスをしてやっているのに」と講釈を垂れ流してわたしをブロックした人もいました。
正直な所、今はもう「JASRAC」という名前を聞くだけでしんどいです。
いや、それどころか、
しばらくの間、音楽を聴くという行為から離れたいとさえ思いました。
特に、Adoさんの曲からは、暫く離れていたいですね。Adoさんに罪はないはずなのに。
あれ、音楽文化を振興するのがJASRACという法人の役割でしたよね。
でもいま、ひとりの人間が、音楽文化から離れることを望むようになってしまった。誰のせいでしょうか。
あーあ。
それではまた、もう一度わたしが音楽を聴きたくなった頃に会いましょう。
それまでしばらくさようなら!


お疲れ様でした。 00年代のネット文化圏はこうした横暴にみんなで反発して支える文化があったのに、最近はすっかり業界団体・大企業寄りにネット世論が変わってしまったから大変ですね。