料理研究家のリュウジが「名古屋はマジで美味しい店ないです」と発言し、連日大炎上している。
謝罪後も鎮火することなく、「二度と名古屋に来るな」と批判される事態となった。
あれだけネット民から好かれ、ネットの空気を読むのが上手いリュウジが、なぜ今回ここまで反感を買ったのか分析したいと思う。
まず、リュウジは名古屋という街そのものを読み違えたことが大きい。
前提として、名古屋は全国でも珍しい「地元だけで生活が完結する街」だ。
東京のように全国から人が集まる街でもなく、大阪のように関西全域を商圏にしている街でもない。
一方で人口は全国有数で、仕事も大学も商業施設も揃っている。
進学も就職も結婚も地元で完結しやすく、一生名古屋で暮らす人も少なくない。
だから地元への愛着は自然と強くなる。
さらに名古屋は昔から、「名古屋飛ばし」「ダサい」「都会のくせに何もない」など、全国から何かとネタにされてきた街でもある。
「名古屋だから何を言ってもいい」
そんな空気でお約束のようにイジられ続けてきて、地元の人たちは自分たちの文化を否定される事にもうウンザリしていたのだ。
そして、もう一つ見落としてはいけないのが、名古屋特有の「ご当地チェーン文化」だ。
リュウジは「名古屋の人に美味しい店を聞くとチェーン店ばかり勧められる。だから食に興味がない人が多そう」と話していた。
でも、ここは因果関係が逆なのである。
名古屋は全国でも珍しく、美味しい店だからチェーンになった街だ。
コメダ、スガキヤ、ブロンコビリー、あみやき亭、CoCo壱番屋、サガミ…
全国では「チェーン店」と聞くと、どこか無難なイメージを持つ人もいる。
しかし名古屋では違う。
地元で何十年も支持され、人気が出て、店舗が増え、結果としてチェーンになった店が数多くある。
つまり、
「チェーンだから美味しくない」のではなく、「美味しいからチェーンになった」のだ。
だから地元民がおすすめとしてチェーン店を挙げるのは妥協ではない。
本気で「ここが美味い」と思って紹介しているだけなのだ。
この価値観を知らずに見ると、「おすすめを聞いたらチェーンばかりだった=食に興味がない」と映るのかもしれない。
しかし名古屋では、それが食文化として完成している。
しかも、リュウジは過去に案件で名古屋発祥のチェーン店を紹介し、「美味しい」と評価していたこともある。
だから今回「言っていることが違う」「一貫性がなくて不誠実だ」と炎上したのだろう。
そして炎上をさらに加速させたのが、その後の対応だった。
炎上直後、リュウジはスガキヤラーメンの再現レシピを投稿した。
しかし、これが完全に裏目に出た。
名古屋の人からすれば、
「名古屋はマジで美味しい店ないです」
と言われた直後に、
「でもスガキヤは好きです」
と言われても、
「いや、そこじゃない」
となる。
だから「スガキヤでご機嫌取りをするな」という批判が広がり、結果的に火に油を注ぐ形となった。
そして最後に、一つだけ言わせてほしい。
私は大阪の人間で、普段から味噌文化の中で育ったわけではない。
それでも、毎年東日本方面に旅行する際は必ず名古屋へ寄ることにしている。
理由は一つ。
名古屋飯が食べたいから。
年に一度、名古屋飯でしか摂れない栄養がある。
まず、ひつまぶし。
私は毎回、あつた蓬莱軒へ行く。
ここは本当に別格だ。
皮は香ばしく、身は驚くほどふっくら。
一杯目はそのまま、二杯目は薬味、三杯目は出汁。
食べ方まで含めて完成された料理だと思っている。
美味しすぎて、大丸松坂屋であつた蓬莱軒のひつまぶし弁当まで買い、新幹線や家でもう一度味わうのが毎年の恒例になっている。
夜はやきとり千亀。
ここは焼き鳥の概念が少し変わった。
火入れが絶妙で、香ばしさと肉の旨味が共存している。
何を食べてもレベルが高く、「焼き鳥ってここまで美味しくなるのか」と素直に驚いた店だ。
味噌カツ、ひつまぶし、手羽先、台湾ラーメン、きしめん、天むす。
毎年食べているのに、毎年また食べたくなる。あの味噌の味付けが恋しくなる。
これだけ名物を生み出した、名古屋の飲食店や食文化は非常に優れていると断言できる。
もちろん味覚なんて人それぞれだ。
リュウジが「自分には合わない」と感じることまで否定するつもりはない。
しかし、「口に合わない」と、
「名古屋はマジで美味しい店ないです」
では意味がまったく違う。
さらに、「名古屋の人は食に興味がない」という評価まで加えた。
だから今回の炎上は、単なる味覚論争ではない。
名古屋飯ではなく、名古屋の飲食店そのものを否定し、名古屋の人の食に対する価値観まで見下した。
名古屋を腐して炎上商法の出汁に利用しようとした。
そこが多くの名古屋人の怒りを買った最大の理由ではないだろうか。