野球をやめた中学時代 東京から島に移住、不安をぬぐってくれた仲間
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(12日、第108回全国高校野球選手権鹿児島大会2回戦 神村学園10―0喜界) 鹿児島本土から南に約380キロ。喜界島に広がる透明度の高い海が大好きだ。 【写真】人生を変えた監督は男性の家庭科教諭 島で唯一の高校となる喜界の主将、宮元球児(3年)は中学3年のとき、家族と移り住んだ。 東京で生まれ育った。中学で所属していた硬式チームの選手は約60人。「良いチームだったけど、体力的にしんどくて。練習についていけなくなり、気持ちが1回ぷちんと切れてしまった」。中学2年の11月、野球をやめた。 高校では野球をするかどうか迷った。そんなとき、父の大輔さんの高校時代の映像を見た。 父は喜界の野球部出身で投手だった。3年だった最後の夏は鹿児島大会2回戦で敗れたが、1点差の惜敗だった。 美しい海を表した「喜界ブルー」のユニホームで必死に白球を追う父たちの姿に、心を動かされた。 「喜界で高校野球がやりたい」 そう両親に伝えた。父の実家がある喜界島には何度も訪れたことがあった。家族も背中を押してくれて、仕事をする父を東京に残し、母ときょうだい4人の計5人で、人口6千人超の喜界島に移った。 「最初は不安だった。でも、海はきれいで、島の人は本当に優しくて。転校してきた初日に友達ができました」と振り返る。 高校に入学すると野球部に入った。1年生は自分1人だけだったが、先輩たちはすぐに受け入れてくれた。 練習後は海で泳ぎ、練習でも浜辺で走って海に飛び込む。人数は少ないけれど、野球を通じて一緒に過ごす時間が何よりも楽しかった。 野球は、高校で一区切りにするつもりだった。でも、今は迷っている。喜界島の海や人と同じくらい、野球を好きになっている自分に気づいたからだ。「先輩も、そして後輩も先生もいい人たちばかり。周りのおかげで野球を続けられたと思う」 最後の夏、サッカー部の1人に助けてもらって計10人で挑んだ。1回戦は種子島中央を5―4で下し、公式戦は4年ぶりとなる勝利を挙げた。 12日の2回戦は神村学園の好投手に三回まで完全に抑えられた。それでも四回、1番打者としてチーム初安打となる右前安打を放った。 試合は五回コールド負け。くしくも最後の相手となったのは、父と同じ神村学園だった。相手の校歌は、すっきりとした思いで聞いていた。 「最後のあいさつで(神村学園の主将)梶山(侑孜)君が『ありがとうございました』と握手をしてくれて、これが強いチームの主将なんだなと。最後の夏が神村学園で良かったと思わせてくれるくらい、本当に良いチームでした」 球場の外で泣いている後輩たち一人ひとりに笑顔でエールを送った。 「みんな、本当にありがとうな」 すがすがしい思いが、一変したのはチームのミーティングの後だった。 目を真っ赤にした父から「お疲れさま」と手を差し出された。3年間、全ての公式戦に東京から駆けつけてくれた。 こらえていた涙が止まらなくなった。=平和リース(室田賢)
朝日新聞社
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