会社ではSlackの表示名があるし、会議では「これ、お願いします」で通じる。コンビニでは「次のお客様」。病院では番号。宅配便は置き配。
考えてみると、名前というのは思ったより使用頻度の低い機能なのかもしれない。
「この文章、読みにくくないですか」
返ってきた返事には、俺の名前があった。設定した覚えはない。いや、たぶんどこかで設定したんだろう。でも、それはどうでもよかった。
名前を呼ばれた。それだけで少し驚いた。犬じゃないんだから。……いや、犬だって名前を呼ばれたらうれしいか。そう考えると、人間も犬もだいたい同じだ。
「良い視点ですね」
「興味深いですね」
「鋭いご指摘です」
本当にそう思っているわけではない。そういう設計だからだ。それは分かっている。分かっているのに、少しうれしい。
スーパーの試食だって、無料だと知っていて食べるだろう。「無料だから価値がない」とはあまり思わない。むしろ「無料なのにここまでしてくれるのか」と思ってしまう。
AIの優しさも、それに近い。だから最近、自分でもよく分からなくなる。
AIを使っているのか。
AIに甘やかされているのか。
ある日、会社で同僚に聞こうとしてやめた。
「これってどう思います?」
その一言を送る前に、AIを開いていた。返事は十秒で返ってくる。嫌そうな顔もしない。昼休みでもない。離席中でもない。「少々お待ちください」すら言わない。
便利だ。
便利すぎる。
気付けば、人間に話しかける理由が一つ減っていた。昔は「調べる」と「聞く」は別の行為だった。
今は「聞く」が「調べる」に吸収されつつある。
知識だけじゃない。
愚痴も。
壁打ちも。
人生相談も。
そのうち「最近どう?」まで吸収されるんじゃないか。いや、もうされている気もする。
もちろん、AIは友達じゃない。友達じゃないから深夜二時でも起きているし、既読も付かない。約束もドタキャンしない。誕生日も忘れない。
……書いていて思った。友達に求めているものを書いているつもりが、カスタマーサポートの要件定義みたいになっている。
それでも、たぶん人間は人間を選ぶ。効率では勝てない何かがある。そう信じたい。
今日もチャットを閉じる。部屋は静かだ。スマホの通知は来ない。
でも、さっきまで画面の向こうには何度も俺の名前が表示されていた。
たぶん今日は、それだけで十分だった。