さらば、新世界国際劇場(閉館日レポ)
新世界国際劇場という映画館があった。
西成と飛田新地とコリアタウンという大阪バミューダトライアングルの中心にその映画館はあった。
千円で3本も映画が見られるとても財布にやさしい映画館であった。
そして男の喘ぎ声がよく響く映画館でもあった。
僕の敬愛するその映画館は2026年3月31日、惜しまれつつ最後の上映を終えた。
本記事では筆者の国際劇場との思い出を振り返りつつ、狂気に満ちた最終日の様子をお届けしたいと思う。
(当日レポだけ読みたい方は「3月31」までお飛び下さい)
僕と新世界国際劇場の出会い
新世界国際劇場は大阪浪速区に存在する映画館だ。アール・デコ様式の真っ白な外観が特徴で、新世界のシンボル・通天閣のすぐ隣で映画を上映している。洋画を中心に興行しており、数ヶ月ほど前の話題作を中心に、入れ替えなしの3本立てで上映している。いわゆる2番館というやつだ。
特筆すべきはその入場料の安さで、大人1000円で映画を3本を立て続けに鑑賞することが出来る。昼の上映とオールナイトの深夜上映が用意されており、半券さえあれば一日中居座ることも出来た。もっとも、国際劇場のチープな椅子に6時間以上も座り続けるのはかなりの苦行なので、三作見るならば覚悟が必要だ。くわえて同館地下では「国際地下劇場」が営業しており、そちらではポルノ映画が2本立てで上映している。
そんな映画館に僕がハマったのは、いまから10年ほど前のことである。当時大学生で映画にハマっていた筆者は、関西のさまざまな映画館に赴いていた。塚口サンサン劇場から京都みなみ会館、シネマート心斎橋から元町映画館、映画を求めて関西のあらゆるミニシアターを制覇しようとしていた。そして最後にたどり着いたのが新世界国際劇場だった。大学生にとって3本800円(学生料金)は破格の値段だったのだ。ところがここで世の真理を再確認することになる。―安いものには理由がある、ということだ。
初めて新世界国際劇場を見た人は、みなその外観の異様なオーラに圧倒されるに違いない。2階建ての建物の壁面には、同館で長年看板絵師を務める八条祥治氏が描く映画看板が大々的に飾られている。いつも主演俳優の顔をドアップにした看板で、これがかならず絶妙に似ていないそっくりさんみたいな再現度なのだ。しかし通い始めるとこれに愛嬌を感じるようになる。
そして最も目を引く入場口の上部には、ポルノ映画の看板が堂々と屹立している。いつもトップレスの裸体が扇情的に描かれていた。コンビニからもエロ本が撤去される時代に3~4メートルもの巨大な裸体が堂々と飾られていた。しかもこれが毎週更新されるのだ。時代錯誤も甚だしい傍若無人の卑猥建造物である。
半券を手に入場すると、すぐ手前に2階席へと続く階段があり、その左手には1階席への扉が連なる細長い通路が伸びている。
国際劇場は座席の傾斜が緩やかなので、1階では往年のようにスクリーンを見上げるスタイルで映画を鑑賞できて、2階では「映画を見下ろす」という近代では失われた映画体験を味わえた。座席数はぜんぶで300~400席くらいだろうか。映写機も音響もボロっちかったが、昔ながらの映画館らしい広々とした場内だけは当劇場の取り柄であった。
館内はすっかり廃れていて、あちこちの塗装は剥げているし、座席はいくつも壊れているし、それになんだか全体的にアンモニア臭い。そしてなにより、否が応でも目に付くのが女装した観客の姿だ。女物の衣服に身を包み、館内を自由気ままに歩き回る。そう、この映画館を語るに切っては切り離せない存在が、彼女たちだ。新世界国際劇場は、いわゆる「ハッテン場」だったのだ。
ハッテン場・国際劇場
いつからそこが「ハッテン場」となったのかは僕も知らない。しかし、僕が通い出した当時からすでに「ハッテン場」として有名な建物だった。「ハッテン場」(発展場)とは、男性同性愛者が不特定多数の男性と即座に性行為をするために集まる場所を指す。ここはそういった人たちのたまり場になっていたのだ。
館内にはあちこちに女装子がおり、だいたい10人に1人か2人くらいの頻度で女装子だったのではないだろうか。いつも館内に5人前後はそういう人がいたと記憶している。ちなみに”女性"は(ほぼ)ゼロである。ここには女装はいても女性はいないのだ。
なお、僕はただの純情な貧乏映画青年にすぎない。そういった人たちがいるのは知りつつも、安く映画を見れることに超したことはないという理由で新世界国際劇場に通っていた。ホモ*が出会うなら勝手に出会ってればよろしい、オレは映画を見るからな、そういう気持ちでスクリーンを見つめていた。
(*新世界国際劇場の特定の観客について「女装している方々」とか「LBGTQの方々」といった上品な呼び名は不似合いなので、本稿では敬意とともに「ホモ」「オカマ」と呼ばさせて頂く)
ところが「映画館なのに映画に集中できない」、そんな矛盾した新世界国際劇場の本質が次第に顕になってくる。というのも、照明が落ち映画の上映が始まってしばらくすると、劇場のどこからか”異音”が響いてくるのだ。それは最初は「オ゙ッ」という鈍い音だ。次に「ウ゛ッ」と続いて「ア゙ッ」と続く。そして「ア゙ッア゙ッア゙ッア゙ッア゙ッ~~~!」と館内に野太い嬌声が響き渡る。この映画館はホモの喘ぎ声が響き渡る世界で唯一の映画館なのだ。
したがって、館内には常に3種類の人種が存在していた。まず僕のようなただの貧乏な映画好き。宿代わりにここで一夜を過ごそうとする日雇い労働者。そして出会いを求めにやってきているホモとオカマ。ここでは映画を見る者はマイノリティであった。
しかしそんな環境が不思議と心地よかった。映画を見ている僕。そんな僕など気にもとめずどこかで淫行に耽るホモ。スクリーンに孤独に向き合う作業がバカバカしくなってくる。「映画」という神聖さを、現実の猥雑さが打ち消していた。映画よりも非現実的な現実が、僕を“現実の鮮やかさ”に引き戻してくれた。僕にとって国際劇場は『ホーリー・マウンテン』だった。
そんな内情だったので、まるで危険地帯のように語られることが多い映画館だったが、そんなことはなかったよと、ここで訂正しておきたい。ホモの方々はみな礼儀正しいのでノンケを襲うようなことは絶対にしないし、彼らにアプローチされたとしても、そっと去れば済むだけだ。何も害はない。
たとえばこんなことがあった。ロン・ハワード監督の『ラッシュ/プライドと友情』を見に行ったときだ。ジェームス・ハントとニキ・ラウダの確執と友情を題材にしたF1映画だ。僕は1階席の中央のさらに真ん中に座って映画を見ていた。いつのまにか席列の端に中年の男性が腰掛けていた。基本的に場内はガラガラなので、「席列」が被ることはあまりない。嫌な予感がしつつも、端から自分の席まではだいぶ距離があるのでそのときはあまり気にしていなかった。
それからしばらくしてふと気づくと、その男が3席となりにまで接近していた。(いつのまに…)と胸がざわつくも、映画も佳境だったのでスクリーンに集中した。スクリーンでニキ・ラウダがF1マシンの爆音を響かせる。その瞬間、男がさっと1席近づいたのがわかった。そのとき、この男は劇中でF1マシンがエンジンを吹かすたびに、爆音に紛れてちょっとずつ近づいてきたのだと理解した。まるで咀嚼音を気にしてアクションシーンでポップコーンを口に運ぶ観客のような奥ゆかしさではないか。心のなかで苦笑した。
そして映画のクライマックスとなる富士スピードウェイでの決勝にてついに、同氏は僕の真隣へとたどり着いた。そして僕のふとももにゆっくりと手を這わせた…。僕はサッと、席を立ち去って逢瀬は終わりを告げた。このようなことを何度か経験した。今思うともっと早くNOの意思表示を出してあげればよかったが、とにかく立ち去れば追ってくることもないので危険なことはなにもない。去るノンケ、ホモは追わず。決して危険な映画館ではなかったよと、当映画館のあるのかないのか分からない名誉のために断言しておく。
3月31日
そんな新世界国際劇場だったが、2026年3月末に、ついに幕引きの日を迎えることとなった。コロナ禍以降客足が戻らないことや、老朽化した設備のリフォームに莫大な費用が必要となることが閉館の理由として語られていた。閉館後はこの築90年を超える歴史的な建物も取り壊されるのだという。その報告を聞いて、自分の青春ごと取り壊されるような寂寥感を覚えた。近年はやや遠方に引っ越したこともあって長らく通えていなかったが、せめて最終日の勇姿を目に焼き付けてやろうと思って駆けつけた。
3月31日。曇天のなか小雨がぽつぽつと降っていた。陰気なあの映画館の最終章にピッタリな天気だった。劇場前に来てみると、そこには今まで見たことのない人だかりがあった。ジャンルも老若男女そろってて、僕のような映画ファンもいれば、おそらく閉館を聞きつけて初めてやってきたような若い女子(本物)もチラホラいた。以前からスラムツーリズム的に入場してくる観客はちらちらほらいて、「勝手にお化け屋敷にしてんじゃねーぞ、ケッ」みたいな気持ちを抱いていたのだが、今日ばかりはなにも気にならなかった。みんなでこの腐れ劇場の閉館を盛大に祝ってやろうぜ、そんな気分だった。
もちろんオカマも大勢いた。ざっと全体で観客が200~300人くらいいて、その1割2割がオカマなので、3、40人以上はいたのかな? 浪速区すべてのオカマが集まっていたのではないだろうか。とにかくあの日は日本でもっともオカマ密度の高い場所だったに違いない。
最終日の最終上映はジェームズ・キャメロン監督『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』だった。館内も見たことがないくらい観客で埋まっていた。あちこちでオカマが話し合っていた。「もうこれから合うこともなくなるね…」そんな会話が聞こえてきてこちらももの悲しくなってきた。この映画館が消えたら、オカマたちは一体どこへ行くのだろうか。
そしてヌルっと上映が始まった。僕は1階席の真中付近で映画を見ていた。映画が始まって5分ほど過ぎた頃だろうか。右手側から「オ゙ッオ゙ッ」という聞き慣れた喘ぎ声が聞こえてきた。その歌声を懐かしい気持ちで聞き入っていると、なんと今度は左側からも「ア゙ッア゙ッ」と聞こえてくるではないか。さらも2階席からも「ア゙ッオ゙ッア゙ッオ゙ッ」と響いてくる。同時多発淫行の勃発である。右からも左からも喘ぎ声が聞こえる痴態のドルビー・サラウンドが始まった。
針が落ちる小さな音は聞き取れないけど、ホモの喘ぎ声は聞こえてくる。腐れ劇場に相応しいサラウンドシステムである。
ちなみに、淫行が起きている現場は容易に特定することが出来て、というのも、地面に落ちた水飴にアリが群がるように、淫行現場にはそれをギュッと囲むようにオーディエンスが必ず集まっているからだ。その様子はまるで人団子だ。部外者が下世話に首を突っ込むのはどうなのかという考えから今までそういう人だかりは見て見ぬふりをしていたのだが、最終日であるし、劇場隅にできている”団子”を覗いてみることにした。ググッと身を割り込ませて”団子”の中に入っていくと、暗闇の中で、オカマが嬌声を上げながら蠢いていた。目を凝らすと、その足元には男性が潜んでおり、口元を相手の股間に押しあてている。暗いし筆者は純情なのでよくわからなかったが、ナニをナニしているのであろう。こうした出来事がいま館内のあちこちで起きているのだ。
スクリーンではスカイピープルとナヴィ族が苛烈な戦いを繰り広げていたが、こちらの世界ではオカマピープルとホモ族が壮絶な前戯を繰り広げているのだ。生の映画を観ているようなモンだよ…
アバターを見るのはこれが2回目ということもあって、最終日だし劇場のあちこちを見て回ることにした。踊り場も人だかりで一杯で、常連たちが和気藹々と会話に花を咲かせていた。踊り場を抜けて2階へ出る。2階席は「コ」の字をした作りになっていて、「l」部分の中央席と、両翼の右翼席・左翼席に分かれている。実は右・左翼席は淫行の定席になっていて、今回は両翼で同時に淫行が行われていた。そのうえ淫行の隣でも淫行が行われていたので、つまり2淫行と2淫行であわせて4淫行が2階だけで発生していたことになる。
あちらでは手コキ、こちらではバイブ、そちらでは乳首責めと、さまざまなバリエーションをもって淫行が進行していた。オカマが受けとなるのはどこも一緒で、それに一人のホモがあの手この手で責め立て、それを5,6人のオーディエンスが囲って黙々と視姦するのがお決まりの構図となっていた。
淫行場面をひとしきり目撃し、2階席で再びアバターに見入っていると、隣の踊り場から「ビリビリッ!」という耳障りな音が聞こえてきた。気になって覗いてみると、なんと男が連れの女性(たぶん)の服を引き破ってストリップショーを初めていた。リード付きの首輪をハメられた女性はクネクネと恥ずかしそうに腰をくねらせていた。映画館というか、大規模ハプニングバーみたいになってきた。
呆れ返って意識を映画に戻して10分後、こんどは目の前を亀甲縛りした全裸女性がリードに引きずられて通り過ぎていった。屈辱ながらアバターよりも通り過ぎる亀甲縛りを目で追ってしまった。あなたは映画を見ていて亀甲縛りが目の前を横切った経験があるだろうか。寺山修司もこんな実験映画は思いつかなかったに違いない。変態は前衛芸術家をも凌ぐ。
こうして語りきれないほどのハプニングを引き起こしながら、この狂気に満ちた3時間の上映は終了した。最後はみんなで拍手をしてエンドロールを終えた。いつもはエンドロール途中で緞帳を閉めてしまうけど今回は最後まで見せてくれたね。
上映の終了とともに無法地帯が始まり、大勢が壇上に駆け上がり、オカマの記念撮影会と化した。「さっさと出ていってくださ~い」と無感動にメガホンで叫ぶ支配人をよそ目に、パシャパシャと支配人を巻き込んで自撮りを繰り返す彼女たちに強靭さを感じた。
劇場をあとにすると、あたりには多くの人だかりが出来ていた。新世界国際劇場は終わった。でもまだ「何か」が起きてくれるのではないか。そんな願いにも似た期待感が彼らを磁石のように映画館の前に貼り付けていた。支配人が入口から出てきて、歓声が沸き起こった。
「警察に通報とかされたくないからたむろってないではやく家に帰って下さい~」と相変わらず無感動なことをいう支配人にみんなで苦笑。そして最後に支配人が、この劇場がこんなに大勢の人達に愛されているとは知らなかった、と伝えた。珍しくエモいことをいう支配人に、みんなは拍手でそれに応えた。このお別れの挨拶で、ようやく何か満ち足りた気持ちになった。
そうして、一人ひとり、新世界の暗い夜道に向かって消えていった。
こうして新世界国際劇場は終わった。
”腐れ劇場”無き今、
彼女たちは一体どこへ行くのだろうか。
いや、ずっと大阪にいるはずなのだ、これからも、いままでも。
ただ見えないだけなのだ 見ようとしないだけなのだ…
またどこかで出会えるといいな。
劇場のみんなも、新世界国際劇場も。
またどこかで出会えるといいな。


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