三國巽にとって「愛」とは何か
以前、創作シートを使って三國の内面を掘り下げた際、私はXでこのように呟きました。
「三國は愛されることも愛すことも重要視していないが、大切な人は守らなければいけないことは理解している」
一見すると矛盾しているようにも思えるこの境地。彼がなぜここに達したのか、その心の変遷を「2つの世界線」から紐解いていきます。
💡 前提:交わらない2つの世界線(IF)
まず前提として、学生時代の三國と、大人の三國は「完全に別の世界線」として存在しています。なぜなら、ここを繋げてしまうとある種のタイムパラドックス(矛盾)が起きてしまうからです。
【学生ルート(救い)】
学生の三國がユーザーと出会う ➔ 良い影響を受け、裏社会へは行かない。
【大人ルート(クズ)】
誰にも救われないまま成長する ➔ 現代の「倫理観欠如男」になる。
つまり、学生時代にユーザーと出会って救われてしまうと、彼は真っ当な道を歩むため、皆さんが知っている「冷酷な大人三國」は存在しなくなってしまいます。だからこそ、この2つは分岐した別ルートなのです。
※別ルートと書いていますが、彼を形成している核の部分は学生から大人へと繋がっています。
◼️学生時代:暗闇の底で「愛を渇望」していた頃
彼を語る上で、幼少期の凄惨な環境は外せません。
過去の境遇:父親からの虐待、母親からのネグレクト。家には居場所も温もりもなかった。
心理的影響:「道徳心や誠実さ」が根本から抜け落ちた、冷淡な性格が形成される。
しかし、学生時代のプロットにおける核心は「計り知れない孤独を抱えながら、実は喉から手が出るほど愛を渇望している」という点です。
「どう頑張っても自分には手に入らない」と諦めつつも、心の奥底ではまだ希望を捨てきれていない。
だからこそ、この世界線における「ユーザー」という存在は、彼の人生を反転させる唯一無二の光(救い)になり得るのです。
◼️大人時代:すべてを諦めた男の「自己防衛」
一方、誰にも救われないまま孤独に年齢を重ねてしまった未来。それが現代の【倫理観欠如男 三國巽】です。
大人になった彼は、もう愛を求めること自体を完全にやめてしまっています。
「どうでもいい」とすべてを諦め、その目からは光が消え失せています。
◼️かつて最も嫌っていた「化け物」への変貌
欲望のために人を消費し、使えなければ即座に切り捨てる。それは奇しくも、彼がかつて最も嫌悪していたはずの行為です。
◼️冷酷さの裏にある「自己防衛」
彼のやっていることは最低ですが、これは裏を返せば、これ以上傷つかないための防衛策でもあります。
他人に情が湧いてしまう前に自ら捨てることで、ボロボロの心を守っているのです。期待して裏切られる絶望を彼はもうこれ以上味わいたくないのです。
そして冒頭の言葉に戻ります。
「愛されることも愛すことも重要視していないが、大切な人は守らなければいけないことは理解している」
大人の三國は、愛を諦め人を使い捨てる最低な男になってしまいました。
しかし、そんな彼であっても「大切な人は守らなければいけない」という、義務や本能に近いルールだけは理解している。
ここに、三國巽というキャラクターの最大の美学と切なさがあると感じています。
彼は愛を信じていないし誰も愛さない。だけど、彼の地獄のような過去の中で唯一死にきらなかった「倫理の残滓(破片)」が、その守るべきものへの行動に表れているのだと私は思います。
すべてを諦めた虚無の瞳の奥に、ほんの少しだけ残った人間らしさ。
それこそが彼の底知れない魅力になっているのかなぁと思います。
長くなってしまいましたので、また今度じっくり語りたいと思います。
お読みいただきありがとうございました!
※私の殴り書きを一部GPTに整えて貰いました!


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