「パンツ一丁でリラックスして、好きなお酒だけ飲んで寝る」元TOKIO・山口達也さん(54)気づけなかった依存症のサイン 不祥事と飲酒運転事故【第3話】
元「TOKIO」山口達也さん(54)は2018年、未成年にわいせつな行為をしたとして、芸能界を去りました。 【画像を見る】アルコール依存症患者として病気との向き合い方を伝える山口達也さん 所属事務所の契約を解除され、仕事も、仲間も、信頼もすべてを一度に失ったと話す山口さん。 2020年には飲酒運転で交通事故を起こし、その後、「アルコール依存症」と診断されました。 あれから6年。山口さんは今、全国の講演会場に立ち「アルコール依存症患者」として、病気との向き合い方を伝えています。 この記事では、2026年6月、北海道苫小牧市での講演会で語られた山口さんの当時の想いや、これまでの道のりなどを紹介します。 《5回連載の3回目・1回目・2回目・4回目・5回目》 ■「酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢」 私の飲み歴を少し振り返ってみます。 20歳でお酒を飲めるようになって、先輩たちに連れられてお酒の世界に入りました。 最初は弱かった。気持ち悪くなっていた。でも飲み続けるうちに強くなっていった。それが誇らしかった。 30歳を過ぎる頃には、好きなお酒があって、好きなお店があって、飲み仲間もいた。 仕事も充実していた。このまま死ぬまで飲んでいこう、そう思っていました。 ところが、35歳から40歳にかけて、少しずつ「飲み方が変わって」いきました。 帰宅してから飲み会に行く前に、一人でビールを飲むようになりました。飲み会の席では、ラストオーダーのタイミングで焼酎ダブルを5杯注文するようになりました。 帰宅してからもまた飲んで、寝るギリギリまで飲んで眠る…そういうルーティンが出来上がっていました。 仲間と飲むよりも、1人で家で飲む時間のほうが好きになっていきました。 パンツ一丁でリラックスして、誰にも見られずに好きなお酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢に感じていました。疲れていても、朝が早くても、「今日は飲み会に行かない」と断って、家でひとり飲む。飲み方が変わったのです。 ■あの頃すでに依存症だった ある朝、起きたとき、記憶がない夜があることに気づきました。
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