【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第1回)早稲田大学生時代に立ち上げたピースボート クルーズ船レンタル料を1億円値切って初出航

【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第1回)早稲田大学生時代に立ち上げたピースボート クルーズ船レンタル料を1億円値切って初出航

女性初のゲストは立憲民主党の辻元清美参議院議員。福田客員編集長とは地元が大阪府高槻市で一緒ということもあり、終始打ち解けた雰囲気での対談となった。

辻元議員の原点であるピースボートの創設から、国会議員になったいきさつなど半生を振り返った。リベラルの急先鋒と見られることについて、高市早苗首相にエールを送ったわけ、さらに2月の衆院選の敗因についても赤裸々に語り尽くした。全3回でお送りする。

福田 僕は高槻病院で生まれて、高槻中学・高校の出身。清美さんの選挙区も高槻市で一緒なんですよね。

辻元 今は比例代表の参議院議員やけど衆議院議員の時代が長くて、高槻市と島本町が私の選挙区。間もなく91歳になる父と87歳の母と私、今も3人で高槻に住んでる。福田さんと知り合ったのは10年ぐらい前になりますよね。「家、近くやったんや」ということで友達になっていただいて。

福田 国会議員になられる前はピースボートで世界中を回られていたんですよね。いつ頃の話なんですか?

辻元 1983年に1回目の船出をしたので、今から40年以上前。私が早稲田大学の学生だった頃で、学生仲間4人で「船を借りて国際交流をしよう」が始まりです。80年代は冷戦時代だったので世界がすごく緊張していた。当時はロシアじゃなくってソ連の時代だったからね。私たちは東側諸国でも、西側諸国でも、港のあるところだったらどこでも節操なく行くというポリシーだったの。

福田 港って、海があれば世界中どこにでもありますよ。すごい発想と行動力。

辻元 最初に商船三井客船(※現・商船三井クルーズ)の1万トンの大きな船を借りようってことになった。だけど、お金はないから「私たちの未来を買ってください」 って言って。

福田 誰に言ったんですか? そのプレゼンが通った?

辻元 最初から通るわけないやん。私は当時22、23歳くらいで、最初に話を聞いてもらった人から商船三井客船の営業の人を紹介してもらったの。その営業の人に会いに行ったら「また来て」って帰されて、「もう一回、話を聞いてください」って何度も会いに行ったわけ。

ある日、昼前に行ったとき、「昼ご飯、食べに行こう。おごったるわ」と誘われて、だんだん親しくなっていったの。昼ご飯に鍋焼きうどんをごちそうになりながら、その営業の人は「僕は会社辞めたいんですよ」って突然言い出すのよ。どこの会社にも「辞める、辞める」と言うて辞めへん人っているよね。その典型。私は「じゃあ、辞める前にイチかバチか夢を懸けて、一緒にこのプロジェクトをやろう」って説得したんですよ。

福田 その営業の人にやらせちゃったんですか?

辻元 いやいや、その人が上司に言ってあげるって、だんだん話が上にいったわけ。そうしたら、「お金を払ってくれたら貸してもいいよ」って。そりゃそうやわ。私が「1日いくらですか」って聞いたら「1日600万円」って言われた。20日間借りるつもりだったから、1億2000万円でしょ。当時、1万トン級の外航客船っていうのは国内に2隻しかなくて、そのうちの1隻だったから1億2000万。でも止めようと思わなかったの。

福田 行けるっていう確信はあったわけですよね。

辻元 例えば、20万円出す人を600人集めたら1億2000万いけるやんか。だから、企画さえ面白かったらお金を出す変わりもんがおるかもしれんと思ったわけ。それで「お金出したら貸してくれるんですね」って答えたの。1円もないバイト少女やったのに。

福田 ここからが清美さんの真骨頂ですね。

辻元 福田さんと私の共通点って“大阪人”やろ。まず値切ること考えるやん。一番安いシーズンはいつやろうって考えたの。だって、お正月とかお盆は飛行機の料金も高いやん。年がら年中同じ値段っておかしいと思ったから。

調べていくと、大型クルーズ船って(稼働以外で)港に係留しているだけでもクルーを雇っておかなあかんくて、経費がかかっていたの。それやったら動かした方が得だっていう原価があるはずだと。思いついたのが台風のシーズンやった。9月あたりやね。

福田 台風で大揺れの船に乗るのもちょっとね……。

事務所前で待ち伏せして手塚治虫に参加をオファー

辻元 それで9月2日出航っていうプランを立てたの。20日間だと1億円を超えてしまうので、期間を半分の10日間にしたら半額になるんじゃないかとか、ああだこうだとしぶとく言って値切った。

そんなとき、朝日新聞が、若者たちがピースボートの企画で「にっぽん丸」を使用する予定という記事を書いてくれた。その記事を持って行ってさ、「すごい宣伝になってますよね。これ宣伝費にしたらすごい金額」とか言って。もう、だんだん向こうもうっとうしいのか、全部で3500万円ぐらいに下がっていた。

福田 すごい、まるで小さな電通じゃないですか。いや、全然小さくない規模ですね。

辻元 だけど、最初に戦争で激戦地となった太平洋の島々に行くという計画を立てたんだけど、これが人が集まらなかったの。出港の1週間くらい前になっても支払いができなくて、それでまた値切りに行ったんですよ。もう、向こうも引くに引かれへんわけよ。お客さん募集してしまっているわけだから。

福田 どれぐらい集まった?

辻元 500人乗りの船に200人ぐらい集まった。そこからさらに何日か粘って値切って、「ちょっとこれは上まで話を通さないとできません」と社内で会議してくれはって、最終的に2300万円に下がったのね。ほんでお金も借りまくって、払って、なんとか1回目のピースボートは出航したんです。

福田 最初が1億2000万でしょ。すごい。

辻元 後日談があってね、後に私、国会議員になるやんか。国土交通副大臣とかもやるやんか。商船三井客船は国交省管轄なわけ。そしたらね、ある日、商船三井の人が国交省に来たの。帰り際にエレベーター前で、その人がタタタタって近付いて来て、私に小声で「2300万」って言ったのよ。社内で有名な話になっていたらしい。

福田 いきなり2300万って。それぐらい印象的だったんでしょうね。

辻元 2回目は1984年で中国に。当時の中国ってみんな人民服着て自転車ばかりで北京に車なんか走ってへんっていう時代。そういう時に一般公募で中国に行くのは難しかった。

福田 ビザが要りますものね。

辻元 事前に中国に交渉に行くと、当時、鉄腕アトムが北京で流行っていて、何にでもアトムの偽物が書いてあんねん。現地で「これ流行っているんですか」って聞いたら、「流行ってる」って言うの。その偽物を市場とかでいっぱいかき集めて買ったの。手塚治虫さんに伝えて、船に乗ってもらって、「日中漫画平和の集い」みたいなのを上海でやろうと企画したわけ。

福田 むちゃくちゃな企画ですね。

辻元 それで、どうすれば手塚さんに船に乗ってもらえるかを考えた。当時、私は高田馬場に住んでいて、「手塚プロダクション」も高田馬場にあったのね。手塚さんの事務所の前で待ち伏せしていたら手塚さんが出てくるかもしれないってなったのよ。

福田 ネットも何もない時代だからすべて“力技”ですよね。

辻元 手塚さんがあるとき出てきはって、「手塚治虫さんですよね。私たちはピースボートというグループで……」と話しかけたら、手塚さんは「車の中で話を聞いてあげる」と言って車に乗せてくれた。手塚さんの横で、「私たちは若者で作っている団体で」とか「上海で平和を目指す漫画大会をやりたい」って一生懸命に説明したの。そうしたら手塚さんは「じゃあ、行きましょう」って即答してくれた。

福田 すごいですね。手塚さんの対応も素晴らしい。

辻元 よくよく聞くと手塚さんのお父さんは職業軍人で、手塚さん自身も子どものときから戦争でたくさんの人が亡くなったことを見聞きしていたそう。「二度と戦争はしない」、それと「中国のために何かしたい」と言っていましたね。私が「中国の子どもたちはアトムが大好きなんですよ」って偽物の鉄腕アトムのハンカチとか見せたら、「絵、下手やな」って。

福田 そうだ、手塚さんも関西出身の人ですね。

【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第2回)土井たか子から突然の出馬要請 筑紫哲也の一言で立候補を決心 に続く

《プロフィール》
辻元清美(つじもと・きよみ)1960年奈良県生まれ、大阪府育ち。早稲田大学教育学部卒。学生時代にNGOピースボートを創設。1996年衆議院選挙で初当選。2009年国土交通副大臣、2011年災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官などを歴任。2017年立憲民主党を立ち上げ、女性初の国対委員長を務める。衆議院議員は7期。2022年から参議院議員(比例代表)。著書に「女の子でも総理大臣になれる? 国会への道」(偕成社)など。

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