「眼鏡の縁が、頭蓋骨とおぼしき骨片に溶け込み…」広島の原爆で全滅した一家の“異形の遺骨”を初公開〈遺族が語る〉
配信
広島に原子爆弾が投下されて、81年目の夏を迎える今、当時の惨状を伝える新たな「異形の遺骨」を、遺族が公開した。 【画像】変形した眼鏡や残骸と一体化した頭蓋骨。焼け焦げたような跡も 公開したのは、神戸市の 野口善國弁護士 (80)。野口弁護士は、ジャーナリスト・堀川惠子氏の取材に応じ、実際の遺骨と資料を公開することを決めた理由について、次のように明かした。 「遺骨や資料は、本来、個人が手元に大切に保管しておくものと考えてきましたし、息子にすら語ることができずにいました。今回、堀川氏に『本来は平和祈念館に置く意義のあるもの』と言われ、世に出すことを決めました。 世界中で戦争が始まり、ロシアは堂々と核使用をちらつかせるなど、今は広島や長崎の核被害が風化して軽んじられているように見えます。だからこそ、個人の記憶として留めてきた家族の話を『社会の記憶』として公にして、原子爆弾の惨禍が後の世代に至るまでどれほどの影響をもたらすか、改めて広く知ってもらいたい」
膨大な資料で、全滅した一家の記憶を蘇らせた
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文春文庫)など、長年、広島や原子爆弾をテーマに取材を重ねてきた堀川氏は、今回の公開の意義を次のように説明する。 「長く広島の取材をしていますが、野口家のご遺骨には原爆被害の実相を目の前に突きつけられたような衝撃を受けました。 いまだ万単位の行方不明者がおり、死者数の確定すらできぬ広島で、戦後81年の歳月が過ぎた今、これだけ詳細な取材が出来るケースはまずありません。野口弁護士が30年がかりで集めた膨大な資料、今回の取材で新たに判明した記録や事実から、広島で全滅した一家の記憶を蘇らせることができたと思います」
本来この世に存在しないはずの「異形の遺骨」
野口氏は1995年に父親が亡くなった際、墓じまいをしていてこの遺骨を発見した。 「ミカン箱くらいの木箱の中に、瓦礫がぎっしり入っていましてね、なぜこんなものがと思って探るうち、瓦礫の中に骨が混ざっているのに気づきました。それで、ピンときて……。ああ、これは広島で全滅したと伝え聞いている、祖父母一家のものに違いないと」(野口氏) 2026年2月、神戸市内の会議室で、堀川氏は初めてこの遺骨を目にした。 「野口さんは、小さな紙箱を大切そうに運んできました。そっと蓋を開けると、石ころのようなこぶし大の“塊”が3つ。顔を近づけて凝視するうち、白い骨片が目に入り、息をのみました。溶けかけたガラスやコンクリのような瓦礫の中に、人間の骨が混ざっていたのです」(堀川氏) 半分に引きちぎられた青銅のような眼鏡の縁が、頭蓋骨とおぼしき薄い骨片に溶け込み、その一部は真っ黒焦げの石くれにひっついていた。 「本来、この世に存在しないはずの、異形の遺骨でした」(同前) この遺骨を保管していた野口氏の父・正隆氏は生涯、広島の惨状をほとんど語ることはなかった。犠牲者の正確な数さえ把握されないその爆心の場所で、一体何が起こっていたのか。 遺骨の公開に先立ち、「原爆で全滅した家族と、残された者たちの足跡を徹底して追うことで、核兵器が使用されたら、町に、人間に何が起きるかを現場の目線から描きたい」と語った堀川氏。祖父一家の壮絶な運命と、無言で遺骨を守り続けた父の戦後についての詳細を綴った「 『異形の原爆遺骨』ヒロシマ81年目の真実 」は、月刊「文藝春秋」8月号(7月10日発売)、および月刊「文藝春秋」の電子版「文藝春秋PLUS」に掲載される。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2026年8月号
- 256
- 157
- 56