プロフィール
三鷹市議会議員
石井れいこ
子どもが安心して育ち、
誰も孤立しないまちを、
三鷹から。
三児の母として、
介護や医療の現場で働いた経験をもとに、
生活の現場から市政を考える活動を続けています。
三鷹で取り組んでいること
市民から寄せられる声をもとに、
三鷹市議会で暮らしに関わる課題について取り組んでいます。
子育てや学校、福祉、地域環境など、
日々の生活の中で感じる困りごとを出発点に、
議会質問や提案を行っています。
特に関心を持っているテーマは次の分野です。
子ども・教育
- 学校に行きづらい子どもへの支援
- 子どもの意見が尊重される学校環境
- 安心して学べる教育環境
福祉
- 介護や生活支援を必要とする人への支援
- 障害のある人も暮らしやすい地域づくり
地域環境
- 三鷹の自然や街路樹を守る取り組み
- 安心して暮らせるまちづくり
市民から寄せられる声をもとに、
生活の現場から市政を考える活動を続けています。
市民との対話
三鷹駅での街頭活動や地域での対話を続けながら、
市民の声を直接聞くことを大切にしています。
政治は特別な場所だけで行われるものではなく、
日々の暮らしの中にあるものだと考えています。
市民の声を市政に届けることが、市議会議員の大切な役割だと思っています。
子育ての中で見えた三鷹の課題
三人の子どもを育てる中で、三鷹は子育てしやすいまちである一方、
「もう少しこうだったら安心できるのに」と感じる場面にも出会ってきました。
学校に行きづらくなる子ども、支援につながりにくい家庭、
忙しく行政情報が届きにくい保護者。
こうした課題は特別な家庭の問題ではなく、
多くの家庭が経験しうることだと感じています。
子育ては家庭だけで背負うものではなく、地域と社会で支えるもの。
そうした環境を整えることが、地域の安心にもつながると考えています。
生活の現場で働いてきました
政治に入る前、私は
介護や医療に関わる仕事をしてきました。
介護ヘルパーとして働く中で、
高齢者や家族が抱える不安に直接向き合う経験をしました。
介護を必要とする人だけでなく、その家族も大きな負担を抱えています。
制度があっても、現場では支援につながりにくいことがある。
そうした現実も見てきました。
また、医薬品登録販売者として働く中では、
健康や生活に関する相談を受けることも多くありました。
体調の悩みだけでなく、生活や家族の問題が背景にあることも少なくありません。
こうした経験から、社会の制度と生活の現場にはまだ大きな距離があると感じました。
生活の現場で見てきた経験が、今の議会活動の原点になっています。
私の思い
私が大切にしているのは、
一人ひとりが尊重され、安心して暮らせる社会です。
子ども
障害のある人
高齢者
生活に困難を抱える人
誰もが排除されず、
尊重される社会であることが大切だと考えています。
特に子どもは社会の中で弱い立場に置かれやすく、
大人の都合の中で声が届きにくい存在でもあります。
子どもの権利が尊重され、
安心して学び、成長できる環境を整えることは、
地域の未来にもつながります。
また、三鷹の自然や地域のつながりも
大切な財産です。
人と人が支え合い、
誰も孤立しない地域をつくること。
そうした社会を、
三鷹から少しずつ実現していきたいと考えています。
プロフィール
石井れいこ
- 1980年4月生まれ/三鷹市下連雀在住
- 3人の子育てと政治活動中
- 元PTA役員・三鷹市公立学校PTA連合会所属
現在
三鷹市議会議員
会派:
れいわ・市民自治の会
委員会:
文教委員会、国立天文台特別委員会、環境保全審議会、ネットワーク大学推進機構経営諮問会議
経歴
2001年6月
介護付き有料老人ホームでヘルパーとして勤務
2007年12月
登録販売者としてドラッグストアで勤務
2011年9月
大型メディアファッションイベント会社で勤務
2023年4月
三鷹市議会議員選挙 初当選
資格
- 介護ヘルパー
- 医薬品の登録販売者
- 自然再生士補
講座受講歴
- こども哲学ファシリテーター
- こどもアドボカシー養成講座
- インクルーシブ教育定例研究会
- モンテッソーリ子育て講座
- 子どもの権利連続講座
- アドラー心理学子育て講座
- 環境植栽学・造園学講座
エピソード
田んぼや畑、小川、雑木林——自然に囲まれた環境で育ちました。土の匂い、草の根、虫、木の幹。「なぜ?」「不思議」と問い続けながら、五感で世界を感じていた幼少期でした。今思えば、有難い経験だったと思います。
一方で、家の中は違った。いつも忙しく、喧嘩の声が日常にあった。末っ子だった私は、相手にされたくて、命令されたことをこなして、それでも誰かに振り向いてもらいたくて必死でした。「生きていて、何が楽しいんだろう」と、ふと思うことが何度もあった。死にたいと思うほど、追い詰められていた時期がありました。
今思えば——あれは私が弱かったのではなく、逃げ場のない子どもが追い詰められた状態でした。
核家族で、近所との繋がりもなく、子どもが安心して話せる大人がいなかった。「子どもだから」と命令され、感情を無視され、子どもの意思や感情が尊重されない関係性——これは今でいう”アダルティズム(子どもへの抑圧)”そのものです。
子どもは弱くて未熟だから守ってやる、というのは一見やさしい言葉に聞こえる。でも実際には「だからコントロールしていい」という権力関係に変わることがある。その構造の中に、幼い私はいました。
そしてそのストレスは、外へ向かった。保育園では毎日誰かと喧嘩していた。小学校では何か起きるたびに疑われた。「協調性がない」と通知表に書かれ続けた。
でも、今の知識で振り返ると——あの喧嘩は、はけ口を失った子どもの、精一杯の表現だった。問題は私の「性格」ではなく、逃げ場のない環境だった。これが障害や困難の原因を「個人の問題」とするのではなく、環境や社会の側に問う「社会モデル」の考え方につながっています。
音楽に救われた
小学校3年生のとき、楽器と出会い、何かが変わった。
ハーモニカ、リコーダー、トランペット、ボンゴ。演奏しているとき、嫌なことが全部消えた。そして気づいたのは——1人では出せない音が、誰かと合わさると生まれる。誰かが必要だと、初めて思えた瞬間でした。
それから、周りが見えるようになった。元気のない子が気になる。逆上がりができない子と一緒に練習する。話しかけてみると、自分からは言い出せなかった悩みがある。
「寂しいのね。相手にされたいのね。」ある先生にそう言われたとき、図星でした。怒りという表現しか持っていなかった。それが、友達の困りごとを解決することへ、少しずつシフトしていった。
今の言葉でいえば、あの先生の関わり方はトラウマインフォームドな視点——「なぜその人がそう行動したか」を、責める前に環境や経験から理解しようとすること——そのものだったと思います。
中学では陸上部に打ち込んだ。成績が良くなると、周りが喜んでくれた。その笑顔が本当に嬉しくて、もっとストイックに練習した。
でも、ある日気づいた。1位になっても、嬉しくない。いつの間にか「周りの人のために1位になること」になっていた。一体誰のために走っているのか——分からなくなって、急に走れなくなった。
今思えば、これは幼少期と同じ構造だった。「相手にしてもらいたくて、命令されたことをこなす」。場所が家から陸上に変わっただけで、誰かに喜んでもらうために自分を使うというパターンが繰り返されていた。自分が何のために生きているのか、また分からなくなっていった。
でも中学後半になると、音楽も陸上も、それだけでは救われない日々が来た。
学校に行きたくなかった10代
中学後半から高校にかけて、学校に行きたくなかった。怒られるから行く。それだけだった。植木鉢を持って登校し、水をあげることだけを理由にしていた時期があります。無理やり学校まで送られる日々でした。
無気力で、なぜ生かされているのかさえ分からない状態だった。気分には波があって、楽しそうに見える日もある。でもそのあとの落ち込みが、また辛かった。自分ひとりで、理解できない自分自身の状態にもがき苦しむ10代でした。
今思えば——あれは「意志の弱さ」でも「性格の問題」でもなく、長年の逃げ場のない環境に心と体が消耗しきっていた状態だったと思います。誰にも言語化してもらえないまま、ひとりで抱えていた。
今でいう「不登校」の子たちの気持ちが、だから分かる。「怠けている」「意志が弱い」ではない。追い詰められた心と体が、限界を示しているサインだと。そしてそれは、その子だけの問題ではなく、その子を取り巻く環境が発しているシグナルでもある——これも社会モデルの視点です。
社会への疑問、政治との出会い
高校生になると、友達から悩みを相談されることが増えた。家族の問題、人間関係の問題、まちで出会う人々のストレス。「全部解決したい」と思っていた。
でも同時に、自分の中に矛盾もあった。競争社会から蹴落とされたくなくて、「自己責任」「弱肉強食」という言葉を自分に言い聞かせていた時期もあった。差別意識があるなんて、思ってもみなかった。
その考えの先に何があるか——追い詰められる人が出続ける社会、弱い立場の人がストレスのはけ口にされる構造。それは、幼い頃の自分が経験した「末端にしわ寄せが来る」あの構造とまったく同じだと気づいた。
外の社会から持ち帰ったストレスが、家庭の中で弱い者に向かう。家庭の末端にいた子どもが最終的に受け取る。これは個人の問題ではなく、社会のつくりの問題だと。
それから、デモに出るようになった。20歳の頃から、反戦イベントを自分で開いたり、毎年8月6日に広島へ行くようにもなった。
戦争は、弱い人が一番先に犠牲になる。それが許せなかった。
音楽と政治をつないだ時間
私を支えてきたのは、ずっと音楽だった。DJとして、音楽と政治をつないできた時間があります。
子育て中のお母さんが政治に関心を持ちにくいのはよく分かる。暗いニュースは子育てにマイナスだから、見なくなる。私もそうだった。
でも気がついたら、改憲へ向かっていた。しまった——と思った。子どもたちの未来が壊されようとしている。
戦争に反対の姿勢を行動で示していた政党はれいわ新選組だった。ゼレンスキー大統領へのスタンディングオベーションをしなかった唯一の政党。そこにボランティアとして関わり始め、三鷹市議会議員になった。
なぜ政治家を目指すのか
「赤ちゃんが大きくなるまで待てなかったの?」とよく聞かれました。
でも私のゴールは「政治家になること」ではなく。社会を変えることです。
経済は回っていない。高齢者は切り捨てられようとしている。教育費は世界最低水準で、軍事費が膨らんでいる。子どもが「未来」や「宝」と言われながら、生み育てやすい社会はつくられていません。
子どもに「産まれてきてよかった」と感じてほしいなら、大人が社会を変えなければなりません。
逃げ場や、はけ口や、聞いてくれる人がいれば、人は変わる。環境が変われば人は変わる。私がそうでした。それを自治体がつくれると信じています。
自治体は国の命令を聞くだけの機関ではありません。三鷹市からでも変えられることが、必ずあります。
議員になって
議員になって3年が経ちました。
「こどもアドボカシー養成講座」を修了し(2025年)、続いて「こどもアドボカシー養成講座2.0」も修了しました(2026年)。子どもの声を、ちゃんと聴く。子ども自身が自分の意見を持ち、それが社会に届く仕組みをつくること——これが今の私の中心にある考えです。
給食費無償化が実現しました(2024年度)。市民から相談を受けた防犯グッズ助成制度が、三鷹市・東京都でスタートしました。
まだ変えられていないことの方が多い。でも、動けば動く。声を届ければ届く。その手応えを、3年間で感じてきました。
子どもが安心して育つまちは、誰にとっても暮らしやすいまちです。自然や樹木が大切にされ、住み続けたいと思えるまちは、地域の魅力やまちの価値を高めます。その魅力が人を呼び込み、三鷹の豊かさや未来の財政にもつながります。子ども・暮らし・自然を大切にしながら、安心と豊かさのある三鷹をつくっていきます。
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