コラム・寄稿

美輪明宏さん 横尾忠則さんが悼む 僕の涙に見た三島由紀夫の憑依

 僕が寺山修司主宰の「天井桟敷」に参加して、1967年初演の「青森県のせむし男」の舞台美術の制作時に美輪明宏さんに会ったが、この時点では彼はまだ丸山明宏さんだった。

 彼がシスターボーイとして「メケ・メケ」(1957年)で衝撃の登場を果たした時、神戸新聞会館の大劇場で僕は彼の舞台を観(み)ていた。そんな彼の出演する芝居のポスターを何年か後に描くなんて想像だにしていなかった。

 だけど美輪さんとの邂逅(かいこう)は同時に決別でもあった。というのは「毛皮のマリー」の舞台美術の装置のサイズを寺山修司の助手の勘違いで間違って発注したために舞台に装置が設置できなくなった。その責任を美術の僕に転嫁したので、僕は怒ってその場で作業を放棄したために、美輪さんとの関係が終わってしまった。

 ところがそのトラブルを知った彼は僕の妥協を許さない態度が気に入ったと、二人の濃密な交遊が再開することになった。彼とのコラボは「黒蜥蜴(とかげ)」のポスターをはじめ、お互いの家を訪ね合う創造と生活が一致する関係が始まるのだが、彼の純粋で素朴、無垢(むく)な生き方に僕は共鳴、共感、示唆され続けることになっていった。

 また彼の霊能力と思える力によって、僕の画家転向を前もって暗示し、作品のイメージまで具体的にビジョン化して見せた。彼は時間を自由自在にコントロールするかのように、僕の未来にタイムスリップして、次々と偶然を必然に変えていった。まるで生きながら死者の領域を自由自在に往還しているように見えた。

 そして自らの霊的能力をメディアを通して社会化していった。そして現時点を超えたような神秘的な存在と化していくのだが、このような自らの存在に対しては彼は常に因果応報を恐れながらも、その罪を覚悟しているようにも思えた。

 彼の演出する舞台作品の「黒蜥蜴」や「双頭の鷲(わし)」や三島由紀夫作「『近代能楽集』より 葵上(あおいのうえ)・卒塔婆(そとば)小町」には毎回のように身の毛もよだつ不思議な怪異があった。30年ほど前、「卒塔婆小町」を見終えると同時に突然、僕の目から涙があふれ出した。感きわまったわけでも、悲しいわけでもない。

 一体僕に何が起こっているのかわからないまま、美輪さんの楽屋に駆け込んだ。そんな僕を見た美輪さんは顔色ひとつ変えないで、「きっと三島さんが芝居に感動して、喜んで、横尾ちゃんの身体を借りて感涙したのよ」と、当然のような顔をして嬉(うれ)しそうに笑った。

 小町を演じた美輪さんを、僕は最後まで別の俳優が演じているとばかり思っていた。一種の心霊的な憑依(ひょうい)現象のように思えて恐ろしくなった。だから僕の目からあふれる涙は三島霊の憑依と決めていた美輪さんは、僕の涙にぬれた顔を見て、満面嬉しそうな笑みを浮かべた。

 美輪さんはアールデコや大正ロマンが好きで、情緒とか、ノスタルジーなどの一見後ろ向きの思想を機会あるごとに主張しながら、その想念を前向きの社会的通念としての思想に変容していくのだった。

 美輪さんはまるでこの世をあの世のシミュレーションのように考えているのか、それとも自分自身も死者であるかのように振るまい、一方現実では核を否定しながら美の伝道者として民衆の最前線でドラクロアの旗を振る「自由の女神」を見事に演じるのだった。

 美輪さん「ありがとう」。

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    雨宮処凛
    作家・反貧困活動家
    視点

    20代の頃、美輪明宏さんの『紫の履歴書』をバイブルのように読んでおりました。 戦争のこと、恋愛のこと、そして人前に立つ時の覚悟などなど、本当に多くのことを教えてくれた一冊でした。 もう一度、読み返してみたいと思います。

    2026年7月7日 15:38

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