無神論者の人達は何を根拠に神は存在しないと思っているんですか? 根拠がないとしたら、ニュートラルな考えで「分からない」とするべきですよね。

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哲学、倫理 | 宗教935閲覧

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どうしてわからないとするべきなんですか。 今から私がサイコロを振ります。 目は偶数でしょうか、奇数でしょうか。 偶数って答えてもいいし、 奇数って答えてもいいと思います。 わからない以外はダメってことはないでしょう。 偶数と思う根拠が脆弱だっとしたって、たとえば、 「そのサイコロは偶数の目がなぜかでやすいから」 それだって、別にそれを根拠に「偶数」と答えるのは自由では。 少し譲って仮に議論の対象がニュートラルなら、「わからない」が妥当かもしれませんが、 そのルールならば「存在する」という方も同じ理屈で、わからない、と するべきですよね。 そして、神の存在というのは、私にはニュートラルなものではないと 思います。 いることを証明できない=これだって、いない根拠になりますし、 現れない=も、いない根拠になる。いるというほうが設定した世界観が 歴史学、地質学、生命科学上、矛盾が生じるのも根拠になりますし、 いるというほうが語る設定が破綻していることもいない根拠になります。 一つ一つ根拠は「でもそれはだってあれで」と反論があるかもしれませんが、それらの根拠が積み重なれば、それはもうニュートラルとはいいがたい。 それでもニュートラルであるべきとするならば、 ありとあらゆるありえない空想が、「わからない」になってしまうのでは ないでしょうか。

サイコロの例はおかしいからスルーしますが、 有神論者がニュートラルになるのはおかしな話になりますよ。 なぜなら、神を信仰していて、その実在性の根拠は科学的でなくても良いからです。 というか、この質問に対して有神論者を出してくるのがおかしいんですよ。 質問は飽くまでも「無神論者」を対象としたものですからね。 >現れないから居ることを証明できない(ことが根拠になる) それは間違いです。 証明ができていないことは、居ないことの適切な根拠ではありません。 居ないというのは、可能性が0%になって始めて証明をしたことになります。 >いるというほうが設定した世界観が歴史学、地質学、生命科学上、矛盾が生じる 具体性が示されていないので何のことなのか分かりませんが、矛盾とはどういうことですかね?

日本に居たら実感できないかも知れませんが、国民の90%以上がある宗教信者な国で人々はことあるごとに祈っているのに、治安は悪いわ、些細なことで殺人事件起きるわ、盗人だらけだわ、貧富の差が激しいなんて現状を見れば、神なんて存在しないと肌で感じる事ができますよ。

存在が確認されたことも、存在の痕跡が確認されたことも、存在する合理的な根拠も、存在を仮定せねばならない必要もないので、存在が証明されるまでは無いものとして扱おうと考えているからです。 「分からない」というのが、99.99999999・・・・・・%存在しない、という状態を指すのであれば、「分からない」と考えています。

>存在が証明されるまでは無いものとして扱おうと考えている その考えは非科学的ですね。 もしそんな考えなら、科学は成り立ちませんからね。 そもそも無いものだという前提で検証をするということ自体が矛盾です。

神を信じる人は神は実在すると確信します 神を信じない人は神は実在しないと確信します 信じるか信じないかの違いだけです 神を信じるか信じないか決めきれない人はわからないになります

なぜ「分からない」としないで「信じない」という「ない」としているのかが疑問です。 というか、分からないとする方が適切ですよねってことです。

神が存在する「から」信じる<->存在しない「から」信じない・・・ではありません。 アイ・ビリーブ・イン・ゴッド を “神の存在を信じる” と訳すから引き摺られて本来の意味までまちがえているのが日本英語教育の欠陥でしょうな。 神を信じるひとは「神に拠り頼む人」。対する神を信じないで自分を信頼する人や、神といわないものに拠り頼む人がいっぱいいる。後者をまとめて「無神論者」と定義して、彼らは「神の存在を信じない」ときめつけるのは浅墓だとわかるかしらん。