奈良国立博物館 超国宝展 鑑賞ガイド① 1章・2章
奈良国立博物館で開催中の超国宝展の予習用にまとめました。
長くなりすぎたので記事を分けています。
こちらは1章と2章のまとめになります。
また、後期展示出品物のみになります。
おすすめ動画
展覧会の出品物複数点をわかりやすく解説してる動画ですー
個別の解説は、その出品物の最後に紹介
いつもどおりの掛軸塾
たぶんうちのnoteで一番登場回数が多いw
大阪の国宝展のときも紹介したVtuberのらでんさん
今回は主に聞き役
ガチ勢同士の会話で楽しさが伝わってくる感じ
アーカイブは6月15日の会期終了までなので注意
ざっくり解説と仏像の見方についてのガイド
軽く見るのにちょうどいいですー
第1章 南都の大寺
1 観音菩薩立像(百済観音)
「いつ誰が作ったのか、どこにあったのか全くわからない謎の仏像、そもそも百済関係あるのかすら謎」
🌸 時代:飛鳥時代(7世紀前半 - 中期)
🌸 所蔵:奈良県斑鳩町 法隆寺
🌸 指定:国宝(木造観音菩薩立像(百済観音)1躯)
🔹 像の概要
像高:210.9cm(『特別展百済観音』図録等による。「209.4cm」とする資料もあり)
制作年代:飛鳥時代、7世紀前半〜中期
作者:不明
材質:
像身:クスノキ
水瓶・蓮華座:ヒノキ
🔹 像容(デザインの特徴)
ポーズ:
平面五角形の反花座(ハスの花を伏せた形)に直立。
8頭身に近い細身の体型。
右腕は肘で直角に曲げ、前に突き出し掌を上に向ける。
左手は下げて水瓶(すいびょう)を持つ。
装飾・衣装:
上半身には僧祇支、下半身には裳(巻きスカート状の衣服)
天衣(てんえ)が大腿部正面でX字状に交差。
頭部には宝冠、首飾、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)など。
光背:
宝珠形の頭光(ずこう)で、中央部に八葉蓮華を表現。
同心円状の文様帯と火焔文様が外周部に描かれる。
支柱は竹を模した木製。
台座:
五角形の反花座、下部に2段の框(かまち)。
🔹 文化財指定
明治30年(1897年):「観世音菩薩乾漆立像(伝百済人作)1躯」として国宝指定。
昭和26年(1951年):文化財保護法に基づき「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」として再指定。
🔹 所在の変遷
法隆寺金堂の北面 → 帝国奈良博物館(1895年開設) → 法隆寺大宝蔵殿(1941年) → 大宝蔵院(1998年完成)
🔹 伝来と名称の由来
明治時代までは「虚空蔵菩薩」と呼ばれていた。
1897年に国宝指定の際に「観世音菩薩」とされた。
1911年に宝冠が発見され、宝冠の阿弥陀如来の化仏により観音菩薩と認識された。
「百済観音」の呼称は『法隆寺大鏡』の解説(1917年)が初出。
🔹 美術史的評価と様式
止利式の仏像と異なり、写実性と立体感が強い。
垂髪(すいはつ)や天衣の優雅なカーブが特徴。
南朝の作風が影響したとする説、北斉・北周・隋の様式に源流を求める説がある。
🔹 影響と評価
和辻哲郎『古寺巡礼』(1919年)にて「形そのものの美を超えた抽象性」と評価。
亀井勝一郎『大和古寺風物誌』(1943年)では「大地から燃えあがった永遠の焔」と評された。
1997年、ルーヴル美術館で特別展示。
2 四天王立像 広目天・多聞天
「これが日本最古の四天王! 静かに見つめる眼差しは何を思う?」
国宝 飛鳥時代(7世紀) 奈良・法隆寺
🔹 特徴
現存する日本最古の四天王
保存状態が良く彩色も残っている
後世の四天王像とだいぶ違い、怒ってるというより真剣に見つめている表情
下の邪鬼も暴れまわるというよりすでに改心している
邪気には左手には槍、右手には刀を持っていたと思われる
光背には作者名「山口大口費(おおぐちのあたい)」が描いてあって日本書紀にも登場する仏師
3 地蔵菩薩立像
「涙の跡が伝える、廃仏毀釈の悲しみ──法隆寺 地蔵菩薩像」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良・法隆寺
🔹 概要
材質:一木造り(頭から台座の蓮肉部まで一木で制作)
特徴:内刳(うちぐり)なしの重量感のある彫像。
衣文の表現:切れ味鋭く、力強い彫りが施されている。
表情:威厳に満ちた顔立ちで、左頬には涙のようなシミがある。
🔹 歴史と背景
元は「大神神社」の神宮寺である「大御輪寺」に安置されていた。
慶応4年(1868年):廃仏毀釈の影響で聖林寺に移される。
明治6年(1873年):聖林寺から法隆寺北宝院に移され、現在に至る。
「大御輪寺記」によると、聖徳太子の作という伝承もある。
🔹 涙の伝承
左頬に残るシミは涙のように見える。
廃仏毀釈の混乱で大御輪寺を離れ、数奇な運命をたどったことが、その涙の跡を象徴しているとも伝えられている。
4 釈迦如来および脇侍像
「蘇我の祈り、止利の技。光背に刻まれた、飛鳥最後の祈りのかたち。」
重文 飛鳥時代 推古天皇36年(628) 奈良・法隆寺
📝この像のポイント、ざっくり整理すると…
制作時期:628年(推古36年)
銘文の「戊子年」から確定できる。
造立者:蘇我氏関係者(蝦夷?)
銘文に「嗽加大臣(そがのおとど)」とあり、馬子の追善と推定。
様式:止利派の典型
金堂釈迦三尊像とほぼ同じ形式で、一光三尊形式。
特に光背の文様(八葉蓮華・火焔・雲気文・化仏配置)は非常に似ている。
✨造像技法も超ハイレベル!
像内部が頭頂部まで空洞(中型を使って鋳造後、鉄心を抜いた)
銅の厚さが薄くて均一=技術力の高さがわかる!
中尊と懸裳が一体鋳造=安定感+造形的な美しさ
💡文化史的にめちゃくちゃ重要なのがここ!
この止利様式、大化の改新を境にパタッと消える。
蘇我氏と強く結びついていた止利一族は、政変により失脚
それにより仏像様式自体がガラッと変化
つまり、これは“政変で終わった様式”!!
📣ここがポイント!
この像を見れば、「日本の仏像はどう始まり、どう時代と結びついていたのか」が丸ごとわかる!
そして、「仏像の背中に、歴史が刻まれている」って実感できる…!
(参考)法隆寺釈迦三尊像
※最初これと思ったけど違いました、せっかく調べたので残しておきます
「飛鳥の微笑──止利仏師が紡いだ1300年の時を超える釈迦三尊像」
🔹 像の概要
作者:司馬鞍首止利(鞍作止利)
形式:銅造鍍金
構造:
中尊:釈迦如来坐像
脇侍:薬王菩薩・薬上菩薩(法隆寺伝承による)
光背:大型の蓮弁形光背(挙身光)
台座:木造二重の箱形台座(宣字形台座と称する)
大きさ:
中尊:87.5cm
東脇侍:92.3cm
西脇侍:93.9cm
台座総高:205.2cm
光背の高さ:177cm
台座から光背最上部まで:382.2cm
🔹 特徴とデザイン
釈迦如来坐像
右手を上げて掌を前に向ける「施無畏印」、左手は腰あたりで掌を上に向ける「与願印」を結ぶ。
衣服は僧祇支(そうぎし)と大衣を身にまとい、胸前には僧祇支の線が斜めに見える。
面長で優雅な微笑(アルカイック・スマイル)、長い耳朶、円筒状の首。
衣の裾は台座前面に「裳懸座(もかけざ)」として長く垂らされている。
脇侍菩薩像
頭に三山冠をいただき、右手を胸、左手を腹のあたりに構える。
銅製の蓮茎の上に蓮弁と蓮肉が載せられた台座に直立。
胸には菱形の装飾、両肩には垂髪が左右対称に描かれている。
光背
中心には蓮肉の大きな単弁蓮華文、その周りに同心円状の文様帯。
外周にはS字・逆S字の火焔を表現し、7体の化仏が配されている。
🔹 歴史的背景
推古天皇31年(623年):聖徳太子の追善のために造立された。
作者:止利仏師は中国からの渡来人の一族で、仏像制作の技術を日本に伝えた。
様式:北魏様式を受け継いだ「止利式仏像」の代表作。
光背の損傷:670年の火災によるものと考えられている。
🔹 美術史的評価
日本最古の銅造仏像の一つであり、止利式の象徴。
面長で清らかな表情、衣文のシャープな線が特徴的。
正面観照性と左右対称のデザインが、飛鳥時代の美意識を象徴する。
長年の再建・非再建論争があったが、現在は7世紀末の再建説が定説。
5 天人 鳳凰(金堂天蓋付属)
「わたしら、白鳳時代の天人と鳳凰でございます。普段は法隆寺の天蓋にいて見えにくい私達だけど、今回展示で降りてきました。ぜひ見てね」
※大阪市立美術館の国宝展でも出品されているが、別個体なのでポーズが違う
国宝 飛鳥時代(7世紀) 奈良・法隆寺
🌸作品の概要
法隆寺金堂の釈迦三尊像を守る天蓋(てんがい)に附属する木彫の天人と鳳凰。
天蓋本体とともに、2020年に令和初の国宝指定を受けた。
ふだんは金堂の高い天井付近に設置されているため、間近で観られる機会は非常に少ない。
現在は展示のために地上で公開され、その姿・技巧をじっくり堪能できる。
🌸特徴とポイント
白鳳時代の繊細な木彫技術を伝える現存最古級の装飾彫刻。
天井装飾という構造上、下から見たときの見栄えを計算した造形と配置になっている。
金堂建築・釈迦三尊像・天蓋が三位一体となった、古代仏教空間の粋を体現。
🌸時代背景と意義
白鳳時代(飛鳥〜奈良前期)は、仏教が本格的に日本文化に根付いていく時代。
天蓋とその装飾は、仏の世界を立体的に表現するための“空間の仏画”のような存在。
これらの附属物が単なる装飾ではなく、仏教の宇宙観と祈りを体現した重要な文化資産であることが、国宝指定に繋がった。
✨ロマンの視点🌌🎵
天井の高みに宿り、千年のあいだ仏を見守り続けてきた**“空の住人”たち**が、いま、わたしたちの目の高さに舞い降りた奇跡――
その柔らかな表情、流れるような羽のライン…
祈りと音楽と光が交錯する、白鳳の空がここにある
こちら、もともとはどんなかんじで飾られてたのかがわかる記事ですー!
8 花鳥彩絵油色箱
「鸚鵡と鳳凰が舞う、奈良時代の華麗なる彩絵の結晶」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・東大寺
🔹 概要
材質:木製
技法:黒漆塗り、花鳥文様、透明の乾性油(油色技法)
形式:印籠型の蓋を持つ箱
🔹 法量
蓋高:3.3cm
身高:24.2cm
身縦:60.0cm
身横:71.3cm
🔹 デザインと特徴
黒漆の上に彩色された花鳥文が華やかに描かれている。
鸚鵡(おうむ)や鳳凰、宝相華(ほうそうげ)などが精緻な筆致で表現。
乾性油を施すことで、艶やかな光沢と長期保存が可能になっている。
唐草模様のように配置された文様が全体に広がり、立体感のある装飾美を生み出している。
🔹 美術史的評価
奈良時代の漆工技術の結晶であり、特に油色技法は後の日本の漆工芸にも影響を与えた。
平面ながらも奥行きを感じさせる描写が特徴で、当時の宮廷文化の豪華さを象徴する一品。
10 弥勒仏坐像(試みの大仏)
「私が初代大仏のプロトタイプです(ジト目)」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良・東大寺
🔹 特徴
この像は、東大寺の盧舎那仏(大仏)の試作として造られたと伝わるため、通称「試みの大仏」と呼ばれる。
どっしりとした体型とインパクトのある面相。
現在の東大寺大仏とは異なる印象を与えるが、当時のスタイルを感じさせる。
手の形は施無畏印(せむいいん)、安心感と威厳がある。
11 重源上人坐像
「平家の南都焼討で荒廃した東大寺を再建しました」
国宝 鎌倉時代(13世紀) 奈良・東大寺
🔹 概要
作者:快慶(伝)
材質:檜(ひのき)の寄木造
目:彫眼(ちょうがん)を採用(水晶玉眼ではない)
特徴:念珠を手に持ち、真剣な表情で念誦する姿が描かれている。
製作意図:
一説では、重源が亡くなった後に追慕のために作られた像。
近年の研究では、80歳の功績をたたえた「寿像」として生前に製作された可能性も指摘されている。
🔹 背景
重源(しゅんじょうぼうちょうげん):
1121年生まれ、武士の家に生まれるが13歳で出家。
真言密教を学び、宋(中国)に3度渡り、建築技術や仏教文化を学んだ。
1180年の平家による南都焼き討ちで灰燼に帰した東大寺の再建を指揮。
後白河法皇や源頼朝の協力を得て、南大門の「大仏様」建築を完成。
86歳で生涯を終えるまで、東大寺復興に尽力した。
🔹 美術史的評価
写実的表現:
木目まで生き生きと表現された肌や服のシワ、左右非対称の目の開き、への字の口元。
落ち着いたたたずまいながら、内に秘めた意志の強さが表現されている。
天才仏師・運慶の作ではないかという説もあるが、快慶の作という見方も強い。
仏師・快慶:
重源に師事し「安阿弥陀仏(あんあみだぶつ)」と称された。
仏像彫刻の傑作を多く残し、写実と静謐さを表現する天才仏師として知られる。
14 金剛力士立像 像内納入品 宝篋印陀羅尼経
「南大門の金剛力士像が完成したから、像内に経典とか文書とか色々納入するよー!」
(約800年後)
「金剛力士像を修理してたら、中から文書見つかったー!」
国宝 鎌倉時代 建仁3年(1203) 奈良・東大寺
🔹 概要
金剛力士像:東大寺南大門に安置されている、阿形と吽形の2体の力強い仁王像。
像内納入品:仏像の体内に納められた経巻や文書、墨書銘などの品物。
宝篋印陀羅尼経:重源上人や仏師の名前が記された、納入品の一つ。
修理:昭和63年から平成5年にかけて、南大門の金剛力士像の修理が行われ、像内納入品が発見された。
16 華厳五十五所絵巻
「善財童子の修行スタンプラリー!?55人の先生に会いに行く大冒険!」
国宝 平安時代(12世紀) 奈良・東大寺
🔹 概要
典拠:『華厳経(けごんきょう)』
内容:善財童子(ぜんざいどうじ)が55人の善知識(ぜんちしき)を訪ね、菩薩の悟りを得る遍歴の旅。
伝承:鎌倉時代に制作、明恵(みょうえ)上人筆との伝承あり。
様式:紙本着色。淡彩で仏教図像的な人物と、大和絵風の山水草木。
🔹 特徴
構成:絵巻1巻。もとは55図あったが、断簡が諸家に分蔵され、東大寺には37図が残る。
描写:山中、水辺、殿舎など変化に富んだ場面構成で、善財童子の成長と修行が繊細に描かれる。
詞書:ない代わりに、上部に色紙形の枠で各善知識の名称、所在、賛文が記される。
🔹 歴史的背景
12世紀後半、東大寺を中心とした華厳宗復興の象徴的な作品。
中国伝来の原本が存在したとされるが、日本独自の雅味を持つ。
🔹 別称
善財童子絵巻とも呼ばれる。
**無礙法界(むげほっかい)**の悟りを得るまでの旅路を象徴的に描く。
18 金銅八角燈籠火袋羽目板
「火災も盗難も乗り越えた奈良時代の灯籠の一面です!」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・東大寺
🔹 概要
平家や松永久秀の焼き討ちでも焼失せずにすんだ創建当時のもの。
昭和37年に盗難されたが、、重くて運びきれず、裏庭に捨てられた。
そのせいで破損し、色が変色したと言われる。
盗まれたのは、東北面の一面で、その際に傷つき、現在はプラスチックの複製品が取り付けられている。
19 東大寺金堂鎮壇具
「東大寺の地面の中から発見された魔除けのタイムカプセル!」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・東大寺
🔹 概要
発見場所:東大寺大仏殿の修理工事(1907〜1908年)で発見。
発見場所の詳細:須弥壇(しゅみだん)上の蓮華座(れんげざ)周囲、深さ45cmほどの場所から出土。
役割:地鎮の際に寺院建立の守護と魔除けのために埋納されたもの。
関連記録:「続日本紀」にも都城や寺院建立時に金銀や玉、鏡、刀剣を埋める風習が記載。
🔹 出土品の内容
銀製鍍金狩猟文小壺(ぎんせいときんしゅりょうもんしょうこ):1合
水晶合子(すいしょうごうす):2合
銀製鍍金蝉型鏁子(ぎんせいときんせみがたさす):1箇
漆皮箱(しっぴばこ)残欠:一括
金鈿荘大刀(きんでんそうたち):3口
金銀荘大刀:2口
銀荘大刀:1口
玉類:一括
刀子(とうす)残欠:一括
挂甲(けいこう)残欠:一括
🔹 美術史的評価
地鎮(ちじん)という風習の貴重な遺品。
鎮壇具としての豪華さと技術の高さを示す。
金銀装飾や水晶の使用、鍍金の技術は当時の高度な技術を物語っている。
当時の宗教観と結びついた地鎮の儀式が視覚的に確認できる。
20 興福寺金堂鎮壇具
「興福寺の守り神! 地中に眠っていた1800点の豪華な宝物たち」
国宝 奈良時代(8世紀) 東京国立博物館
🔹 概要
発見経緯:
明治7年(1874年):東京国立博物館所蔵
明治17年(1884年):興福寺所蔵
平成13年(2001年):興福寺所蔵
発見場所:中金堂の須弥壇下
目的:堂塔の永続的な安泰を祈り、地の神を鎮めるために埋納された。
🔹 内容の概要
供養具
金銀の容器、脚杯(きゃくはい)、鋺(わん)など
宝飾品・貨幣
水晶念珠玉、金銀の玉、銅銭、刀剣類
装飾品
鏡、玉類、飾り金具
その他
1800点にも及ぶ豪華な品々が出土。
🔹 美術史的評価
出土した品々は非常に豪華で、他の鎮壇具と比較しても圧倒的な豊富さ。
金銀装飾や水晶の使用、唐草文や唐花文の精密な彫刻が特徴的。
興福寺の堂塔の守護として、祈りを込めて地中に眠っていた。
鎮壇具の全体数が1800点を超えるという規模も他に例がなく、歴史的・宗教的な重要性も非常に高い。
リンク:
中金堂鎮壇具(ちゅうこんどうちんだんぐ) - 法相宗大本山 興福寺
21 勤操僧正像
「空海が唐に行く前に師事したお師匠さん! 手や口を動かし、一生懸命説法する姿が親しみやすいよ!」
国宝 平安時代(12世紀) 和歌山・普門院
🔹 概要
空海の師匠で記憶力が超人的になる虚空蔵求聞持法を授けたといわれる。
非常に動きがあり、手を動かしたり口を開けて説法している珍しい肖像画。
空海が賛を送ったとも言われる
22 慈恩大師像
「玄奘三蔵の教えを受け継いだ唯識の達人、慈恩大師の凛然たる姿」
国宝 平安時代(11世紀) 奈良・薬師寺
🔹 特徴
唐の都・長安で活躍した**慈恩大師 窺基(じおんだいし きき)**の肖像。
魁偉(かいい)な容貌、身長8尺の大柄な姿が伝えられ、風格が見事に表現されている。
右手を組み、左手には数珠を持ち、穏やかな表情で座している。
背景には仏教の経典や供物が配され、学僧としての威厳が感じられる。
🔹 人物解説
慈恩大師(632〜682):
玄奘三蔵(602〜664)の弟子で、法相宗の大成者。
中国の唐時代の僧侶であり、日本の法相宗の祖とされている。
『成唯識論』の編纂にも携わり、唯識教学の発展に尽力した。
晩年は大慈恩寺に住し、翻経院にて経典の翻訳に従事。
永淳元年(682)11月13日、大慈恩寺で入寂(亡くなった)。
🔹 背景と制作意図
この肖像画は、康平4年(1061年)から始まる薬師寺の慈恩会の本尊として制作されたと考えられる。
現存する慈恩大師像としては最古のもので、平安時代の仏教絵画の貴重な資料。
慈恩大師の命日の11月13日には、興福寺と薬師寺が交代で慈恩会を催し、この画像が掲げられて講経論談が行われる。
23 伝多聞天立像
「北方を守護する力強き守護神、多聞天…またの名を毘沙門天! 天に向かい拳を振り上げん!!」
重文 奈良時代(8世紀) 奈良・大安寺
🔹 特徴
四天王の一つ、多聞天(たもんてん)は北方守護の役割を持つ天部。
一般的には天に塔を捧げる姿で表現されるが、大安寺の多聞天像も力強い構えを見せている。
甲冑を身にまとい、激しい忿怒の表情を浮かべ、左足を軸に右膝を曲げ、岩座に立っている。
岩座は須弥山(しゅみせん)を象徴するような山塊をイメージしている。
頭部には兜を装着し、眉は逆立て、上歯で下唇を噛むことで怒りの表現を強調している。
一木造で作られている。
🔹 背景と制作意図
大安寺の四天王像は四方を守護する役割を持つ仏教の護法神である。
四天王は飛鳥時代から造立され続け、時代とともにより躍動的な表現へと進化している。
この像も天平末期の作であり、力強いポーズと迫力ある表情が特徴的。
24 伝獅子吼菩薩立像
「鑑真とともに渡来した仏師により作られた金色の不空羂索観音、今は獅子吼菩薩として拝まれる」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・唐招提寺
🔹 像の概要
材質:カヤの一木から彫り出した一木造
特徴:
額には縦にもう一つの目が刻まれ、左右の腕の付け根には本来さらに二本の腕があった痕跡がある。
本来は三目四臂(さんもくしひ)の不空羂索観音として制作されたと考えられる。
頭部から蓮肉(台座)までは一本の木で構成され、量感豊かな力強い作風が見られる。
🔹 デザインと技法の特徴
翻波式衣文:
衣服の表現には「翻波式衣文」という、波のような立体的な線が強調されている。
腰布の縁には細かい刻線で房が表現され、緻密な技法が施されている。
鹿皮の帯:
左肩から右脇腹にかけて、皮のような質感をもつ帯状のものを掛けている。
これが鹿皮であるとすれば、不空羂索観音としての特徴を表している。
🔹 制作背景と鑑真との関わり
獅子吼菩薩立像は、唐招提寺の建設に深く関与した鑑真と共に中国から渡来した仏師によって作られたと考えられている。
「招提寺建立縁起」には、鑑真在世中に「金色の不空羂索観音像」が羂索堂に安置されていたことが記録されている。
「招提千歳伝記」によれば、元禄十四年(1701年)時点で御影堂に安置されていた三目四臂の像が記されており、その記載からこの像が該当すると推定される。
25 薬師如来立像
「鑑真と共に伝わった技法、天平の息吹をそのままに──カヤの一木から生まれた薬師如来」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・唐招提寺
🔹 概要
材質と技法:
頭から台座まで一木造で彫られている。
カヤの一木から掘り出されたことが特徴的で、木心(内部の芯)は後方に外されている。
内刳りは一切行われていない。
台座の蓮肉や葺軸(ふきじく)下の心棒まで含め、一本の木材から彫り出された。
彫刻の特徴:
筋肉質で力強い体躯を持ち、特に肩や胸の張り出しが顕著。
衣文の表現も非常に力強く、波のような形状が体の隆まりを際立たせている。
彫刻技術は見事で、衣の質感や肉体の曲線が柔らかく再現されている。
彩色の痕跡:
当初は檀像(だんぞう)として造られたと考えられ、白檀材の色合いを活かした彩色が施されていた可能性がある。
現存する像には淡褐色の顔料が残っている。
🔹 鑑真との関わり
この像は、鑑真(688〜763)と共に渡来した中国の仏師によって制作されたとされる。
鑑真が日本へ渡る際、彫刻師や工人も連れてきており、唐の進んだ木彫技法が伝えられた。
それがこの薬師如来像に反映され、日本の仏像彫刻の進化に大きな影響を与えたと考えられる。
🔹 評価と意義
奈良時代の木彫像は非常に希少で、ほとんどが金銅や乾漆で作られていた。
この像は、唐の技法がもたらされたことを示す証拠であり、木彫仏像の先駆けとして評価されている。
その威厳ある表情と力強い造形は、奈良時代の仏像には珍しい「大陸的な気宇の雄大さ」を持っている。
26 薬師如来立像
「Yの字になった衣紋と翻波式衣紋が目を引く薬師如来」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良・元興寺
🔹 概要
一木造の木像。
量感に富み、神秘的な面相を持つ。
両脚の前面を覆う衣は長卵形の面をつくり、厚みのある衣は翻波式の襞を刻む。
27 維摩居士坐像
「鑑真和上像と並ぶ奈良時代の肖像彫刻の傑作! 古代インドの商人は文殊菩薩と問答中!」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・法華寺
🔹 概要
維摩居士とは:
古代インドの裕福な商人で、架空とも実在とも言われる人物。
在家(僧ではなく一般人)でありながら菩薩行を実践した高僧として知られる。
「維摩経」 では、文殊菩薩と仏教の教えについて深い問答を交わし、悟りの境地を示したことで有名。
像の特徴:
木造と乾漆の併用:
長らく乾漆造とされていたが、2017年のX線CT撮影調査で本体は木造、衣の一部が乾漆であることが判明。
これにより重要文化財から国宝へ昇格した。
写実的な表現:
骨の浮き立った体、理性的で慈愛に満ちたまなざし。
あごを引き、体を反らせた座り方は、まるで生命を宿しているかのようなリアリズムがある。
東大寺の良弁僧正坐像や唐招提寺の鑑真和上坐像と並び、奈良時代の肖像彫刻の傑作とされる。
伝説とエピソード:
維摩会(ゆいまえ)の会場が法華寺から興福寺へ移された際、この像が自ら南東を向いたという伝説がある。
興福寺を懐かしんで向きを変えたとされ、今もその方向を向いている。
28 義淵僧正坐像
「行基、玄昉、道慈、良弁…名だたる高僧を育てた伝説の師、ここに顕現!」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・岡寺
🔹 概要
義淵(ぎえん)僧正は、白鳳時代後期から奈良時代にかけて活躍した高僧で、奈良仏教の中心的な指導者。
弟子には玄ぼう、道慈、良弁、行基など、日本仏教史に名を残す逸材が数多く存在。
728年(神亀五年)に岡寺にて入寂し、廟塔は本堂南の小高い場所にある。
この像は、義淵僧正の肖像として伝えられ、古代日本の僧形彫刻の代表作とされている。
骨太で力強い体躯、太い眉、目尻の下がった大きな眼、肉厚の唇、そして幾重にも刻まれた皺が、義淵の気高さと精神の深さを見事に表現している。
🔹 造形の特徴
骨太な体躯:深い奥行きと幅を感じさせる力強い作り。
表情の写実性:太い眉や目尻の下がった眼、刻まれた皺が生々しいリアリティを持つ。
彫刻技術:木屎漆(こくそうるし)の層が薄く、木材の彫り込みが完成度高く施されている。
29 薬師如来坐像
「台座も合わせて全部1本の木で作っちゃった超大作!千年を超えて癒しを与える薬師如来」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良国立博物館
🔹 像の特徴
一木造りの大作:
全身と台座の蓮肉部分までを一本のカヤ材から彫り出し、内刳(中をくり抜く処理)は施されていない。
この技法は、強固でしっかりとした構造を保ち、長く保存できる特徴がある。表面の加工:
黄土を塗布し、檀色(だんじき)で仕上げたとされる。
表面の一部には漆箔(しっぱく)が見られるが、後世の補修の可能性もある。衣文表現:
抑揚のある顔立ちと、鋭い彫りの衣文(着物のひだ)は、平安時代の檀像の特徴をよく示している。
特に脚部の薄さや、膝が蓮肉からはみ出す表現、茶杓形(ちゃしゃくがた)の衣文彫法が際立っている。耳の形状:
非常に意匠化されており、東寺(教王護国寺)の講堂諸像(844年開眼)との類似が指摘されている。
同時期の同一工房による制作の可能性があるとされる。
🔹 文化財的価値
薬師如来坐像は、若王子社から伝わり、平安期の檀像様式を伝える貴重な遺品。
鋭く力強い彫刻技術と、同時期の京都の仏師の手による可能性が高く、平安仏像の粋を感じさせる。
30 光背(十一面観音立像所用)
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・聖林寺
こちらの記事で、光背残欠を復元した話がありますー!
31 十一面観音立像
「平安時代の謎デフォルメの仏像いかがですかー?」
重文 平安時代(9世紀) 奈良・霊山寺
🌸 技法:
一木彫成像
口唇に朱、眼や髭に墨書き
無彩色の素地仕上げ(壇像)
🌟 特徴:
独特な体型:
頭部が大きく、胴体は圧縮されたような短さ。両腕は非常に細く、全体的にアンバランスな造形が目立つ。壇像:
素地仕上げの技法は「壇像」と呼ばれ、白檀系の渡来名木を用いるのが一般的だが、本像もその流れを組んでいる。素朴な彫り:
彩色を施さず、木の持つ質感を活かしているため、平安初期の仏像特有の素朴な雰囲気が残る。
✨ 見どころ:
この十一面観音は、通常のバランス感覚から外れた異色の造形美を持っており、どこか愛嬌が感じられる。平安初期という早い時期に制作されたことで、後の観音像にはない独特の存在感を示している。
32 地蔵菩薩立像
「快慶の息吹を感じる来迎形地蔵、極楽へ導く優雅な一歩」
重文 鎌倉時代(13世紀) 奈良・東大寺
🌸 特徴
髪際高(はっさいこう)にして一尺の立像
蓮華座の下に後補ながら雲が表され、来迎形(らいごうぎょう)の地蔵菩薩
両手先が胸前の高い位置にあり、左手に宝珠、右手には錫杖を持っていたと考えられる
🌸 作風と背景
理知的な切れ長の目元や、足の運びに合わせた着衣のひだの流れが特徴
東大寺公慶堂や藤田美術館所蔵の快慶作の作品と共通するスタイル
実際に快慶本人の作ではないものの、快慶の技法に近い仏師が手掛けたと考えられる
🌸 来迎形の地蔵
来迎形は、亡者を迎えに来る姿を意味し、特に浄土信仰で地蔵菩薩が極楽へ導く姿として表現される
宝珠は願いを叶える象徴、錫杖は迷いを断ち切り、道を開く役割を持つ
🌸 歴史と保存
現在も東大寺に安置され、来迎形の美しい立ち姿が残されている
風化や損傷はあるものの、当時の美しい彫刻技術を今に伝える重要な作品
33 弥勒菩薩立像
鎌倉時代(13世紀) 奈良・林小路町自治会
「快慶っぽい弥勒菩薩は、歩んだ場所に花が咲く。自治会によって大切に守られてきました」
🌸 概要
制作時期:鎌倉時代
材質:木造、金泥塗り
高さ:約1メートル(3尺)
台座:踏割蓮華(ふみわりれんげ)
特徴:快慶工房の作風に近いとされる
預託元:林小路自治会から奈良国立博物館へ
🌸 特徴
踏割蓮華:
仏が歩んだ場所に花が咲くことを象徴する特別な台座
東博の観音菩薩立像も同じ台座形式を持つ
快慶工房の流れ:
全身が快慶独特の金泥(きんでい)塗りで覆われ、きらびやかな輝きを放つ
着衣部分には繊細な切金文様が施されており、鎌倉時代らしい豪華な装飾が施されている
仏像の管理と保存:
林小路自治会によって守られ、現在は奈良国立博物館に預けられている
まるで鎌倉国宝館の十二神将のように地域の人々に大切にされてきた歴史がある
第2章 奈良博誕生
34 壬申検査関係資料 古器物目録 巻四
「失われる前に記す――文化財保護の夜明けを拓いた、明治の眼と手」
重文 明治5年(1872) 東京国立博物館
📌概要
明治政府が初めて実施した**文化財の大規模調査「壬申検査」**の一環として作成された宝物記録
本資料『社寺宝物図集巻』は、調査対象となった古社寺の宝物を実見・模写・拓本により記録した貴重な一次資料
和装本の体裁で、緻密な写実と品目記録が丁寧にまとめられている
🕰歴史的背景
明治維新の直後、全国で廃仏毀釈による文化財の流出・破壊が相次ぐ
その危機を前に、明治4年に「古器旧物保存方」布告が出され、翌年から全国的な調査がスタート
「壬申検査」とは、明治5年の干支(壬申)にちなんで名づけられた調査であり、日本最初の国家的文化財調査
🧑🏫主な関係者
総責任者:町田久成(のちの初代博物館館長)
調査官:蜷川式胤・内田正雄など太政官の精鋭たち
随行:絵師・柏木貨一郎、写真師・横山松三郎など、当時最先端の記録技術者が集結
📸記録手法と功績
正倉院では8月12日に勅使のもと開封され、撮影・模写・拓本が集中実施
拓本では、蜷川式胤が対象によって乾拓と湿拓を使い分けるという高度な技術を駆使
「旧江戸城写真帖」での経験が、正倉院記録にも生かされたとされる
📚資料の価値
本図集のような記録は、後の模造・修理・保存の基礎資料となり、現在も学術研究に活用可能なレベルの精度
東京国立博物館では、当時の写真・拓本・実地記録類一式がまとまって残されており、いずれも重要文化財として指定
35 壬申検査関係資料 社寺宝物図集巻十二・十三
重文 明治5年(1872) 東京国立博物館
36 正倉院御物図
明治8年(1875) 東京国立博物館
37 模造 金銀鈿荘唐大刀
「一口にして、千年を超える――正倉院に眠る、儀礼の剣の極み」
明治時代(19世紀) 東京国立博物館
📌概要
正倉院に現存する唯一の大刀(直刀)宝物の模造品
全長約1m、刀身はわずかに反りを持ち、鋒(きっさき)のみ両刃構造
刀身・装飾ともに極めて精緻かつ豪華で、儀式用の大刀=唐大刀の最高峰といえる
🎨外装と技法
把(柄):鮫皮巻きに唐草透かし彫りの金具
鞘(さや):黒漆塗の木製、三箇所に金銀鈿(でん)=金銀の透彫装飾金具を配す
金具には水晶・色ガラスの玉、背景に朱彩を施して華やかさを強調
特に注目すべきは、「末金鏤(まっきんる)」と呼ばれる蒔絵の祖型ともいえる漆技法で、金粉を漆で研ぎ出して文様を浮かび上がらせている
📚歴史と背景
『国家珍宝帳』に記載された100口の大刀のうち、現在まで正倉院に残るのはこの1口のみ
他の大刀は764年の恵美押勝の乱で出蔵・使用されたと考えられる
「唐大刀」はかつて唐製と信じられていたが、現在では**“唐風の様式”を意味する分類名**と理解されるように
🧠研究と論争
この大刀をめぐっては、制作地が中国か日本かの論争が長年続いている
「末金鏤」という語が日本独自であること
同様の飾金具が唐代中国に確認されていないこと
蒔絵技法の起源とされる点 などが日本製説の根拠
一方、構造の一部に中国的要素も見られるため、明確な決着はついていない
現代の分析では、使用された金粉の粒径と、正倉院宝物にある古代ヤスリの使用痕跡が一致することがわかっている
👑象徴性と装飾
柄や鞘に施された「葛形裁文(かずらがた さいもん)」は、聖武天皇・光明皇后の冠にも使われた文様
単なる武器ではなく、天皇の権威・儀礼・美意識を体現する芸術品でもあった
38 壬申検査関係写真 四切写真‐1東大寺大仏殿 ‐2正倉院‐3正倉院宝物 琴・碁・琵琶
重文 明治5年(1872) 東京国立博物館
39 古写真‐1東大寺伎楽面‐2法隆寺聖徳太子像・舎利容器‐3東寺金銅宝塔‐4法隆寺金山寺香炉
明治14年(1881)以前 東京国立博物館
40 模造 磁鼓
「音は消えても、色は鳴る――三彩に宿るシルクロードのリズム」
昭和62年(1987) 宮内庁正倉院事務所
📌概要
正倉院に伝わる陶製の楽器「磁鼓(じこ)」の模造品
細腰の特徴的なシルエットをもつこの鼓は、**「細腰鼓(さいようこ)」**とも呼ばれ、唐楽で用いられた打楽器の一種
インドを起源とする楽器とされ、シルクロードを経て中国・日本へと伝わったと考えられている
🎨造形と彩色
磁器素地に三彩(さんさい)=白・緑・黄の釉薬を掛けて焼成
漆黒のような深緑地に、流れるような白と飴色の文様が浮かび上がる美しい仕上がり
表面はなめらかで艶やか、まるで宝石のような焼き物の質感
📚歴史と模造の意義
正倉院に残る原宝物は、陶器製の鼓胴という世界的にも希少な存在
現代の模造では、当時の釉薬の組成・焼成温度・色の流れ方までも綿密に再現
形だけでなく、“音が宿る器”としての美しさを追求した復元作品
41 模造 琵琶袋
「琵琶を包むは、花の海――天平の色彩、よみがえる正倉院の布宝」
平成3年(1991) 宮内庁正倉院事務所
📌概要
奈良時代の楽器・琵琶を保護・装飾するための豪華な布袋(カバー)
正倉院に伝わる琵琶袋は、世界唯一の古代遺品とされており、その文化的価値は計り知れない
本作はその原品をもとに、正倉院宝物模造事業によって忠実に再現されたもの
🎨美術的特徴
地色は気品ある縹(はなだ)色、そこに大胆に咲くのは豪奢な唐花文様(からはなもんよう)
緯糸(ぬきいと)には植物染料で染められた九色の糸を使用し、当時の彩色を再現
織技術・色彩感覚・文様構成のすべてが、天平文化の粋を伝える見事な再現
🔍模造技術の粋
製糸から染色、織りまで、すべてを原品のデータに基づいて一点一点手作業で再現
オリジナルの織機を使い、忠実な素材と文様の復元が行われている
模造でありながら、芸術作品としての完成度も非常に高い
42 八重之残花
「文化財保護の原点はここに――雁皮紙に刻まれた、明治の眼差しと正倉院の記憶」
明治7~8年(1874~75) 個人蔵
🌸八重之残花(やえのざんか) ―蜷川式胤による明治8年 正倉院調査記録―
著:蜷川式胤/翻刻・編:中央公論美術出版
📌概要
明治8年(1875年)に行われた正倉院宝物の本格的調査・研究記録
調査者は考古学・国学の大家 蜷川式胤(にながわ のりたね)
全体は日記形式で、記録された文献は小さな雁皮紙の手帳に毛筆で細かく記述されており、原本の読解は非常に困難
本書ではその日記を翻刻・解説し、現在の宝物写真と照らし合わせながら現代研究と接続することを目的とする
🕰歴史・背景
明治政府による文化財調査が始まった初期段階にあたる
前作『奈良之筋道』(明治5年の壬申調査記録)に続く第二弾であり、正倉院宝物の保存・管理・修理・模造の実態が詳細に記されている
近代における「古器・旧物(文化財)」への対応や認識を読み取る貴重な資料でもある
🔍本書の特徴
日記中に登場する約40点の正倉院宝物を現物と照合し、正倉院事務所所蔵の写真とともに紹介
学術研究者だけでなく、文化財の保護・伝承に関心をもつ一般読者にとっても学びの多い内容
翻刻だけでなく、当時の修理・模造の考え方、つまり「どう保存し、どう伝えるか」という文化財行政の原点にも迫る構成
🎓研究的意義
単なる宝物カタログではなく、明治初期の文化財政策・意識を直接知ることのできる一次史料
正倉院宝物の成立過程・後世での管理・模造の方針の変遷を辿るための貴重な基盤となる
『八重之残花』という詩的な書名が象徴するように、宝物の「残された美と記憶」に光を当てる記録
43 奈良博覧会物品目録 第三・五号
明治8年(1875) 奈良国立博物館
44‐1 奈良博覧会立札
明治時代(19世紀) 個人蔵
奈良博覧会は明治八年(一八七五)から 同二十七年(一八九四)までに十八回開催 されたことが確認されている。この看板 に記される開催期間と重なるのは、第 六次(明治十四年)以降に会期が固定化さ れてから
44‐2 奈良集産館立札
明治時代(19世紀) 個人蔵
奈良集産館は東大寺大仏殿東に置 かれた施設で、奈良の著名な物を 列・販売し博覧会会期中に立ち寄る ことが出来た。こうした看板は複数枚あったといい、往時のにぎわいを今に伝 えている。
45 阿弥陀如来倚像および両脇侍立像
「静かなるまなざし、瑞々しき光――最古の阿弥陀三尊、白鳳の椅子に座す」
重文 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
📌概要
中尊の阿弥陀如来像は珍しい「倚像(いざぞう)」=椅子に腰かけた形式
両脇侍(観音・勢至)の宝冠には、それぞれ化仏と水瓶があらわされており、これは阿弥陀三尊像であることを示す最古の作例
全体に大らかで瑞々しい造形が特徴で、白鳳彫刻らしい若々しさと生命感をたたえている
📜歴史・背景
中尊と両脇侍の姿には、中国・北斉から隋代にかけての様式の影響が明確に見られる(倚坐形式・三面頭飾・瓔珞の構成など)
台座背面の銘文に「山田殿像」とあり、蘇我倉山田石川麻呂や山田寺との関係が指摘されるが、詳しいことは不明
一鋳でムク造り(中が詰まっている)という非常に手間のかかる鋳造技法が用いられている
🛠技法と細部表現
魚々子(ななこ)タガネによる連珠表現、複連点文による蓮台や衣の装飾など、非常に繊細な細工
鍍金が広範囲に良好に残っており、特に中尊は頭髪と腰部の裏以外ほぼ全面金色
各像の髪には群青、唇には朱(またはベンガラ)、中尊の衣の裏には赤色顔料が使われている
🔍造形と保存状態
観音像の頭飾は後補で、裙裾(くんきょ)部には大きな亀裂があり補強が施されている
両脇侍の蓮台は台座と別鋳で構成され、全体としては非常に丁寧に保存・補修がなされている
46 光背
重文 朝鮮半島・三国時代または飛鳥時代(594) 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
以前、奈良博の聖徳太子展の時に出品されてて、図録を持ってたので調べてみたのですが、説明がひとこともなかったです😢
47 竜首水瓶
「ペルシャの天馬 × 中国の龍!東西の美が融合した幻の水瓶、7世紀日本の技がここに!」
国宝 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
🌸 特徴
法隆寺献納宝物:明治11年(1878)に法隆寺から皇室に献納されたもので、現在は東京国立博物館に収蔵。
器形:長い首と丸みを帯びた胴体に、龍の首が注口、龍の体が把手となるユニークなデザイン。
材質:かつては銀製と考えられていたが、実際には銅を鋳造し、金と銀でメッキされたもの。
🌸 デザインの特徴
龍の顔が注口になっており、上顎が蓋の役割を果たしている。
蓋は蝶番(ちょうつがい)で把手に留められ、角を押すと片手で開けられる仕組み。
龍の目には薄緑色のガラスがはめ込まれている。
胴部には、金メッキで向かい合う2組の有翼の天馬(ペガサス)4頭が細い線刻(毛彫)で装飾されている。
注口、胴、台脚は別々に鋳られ、首と胴は轆轤(ろくろ)仕上げされている。
🌸 歴史的背景と意義
ササン朝ペルシャの器形「胡瓶(こへい)」に源流を持つデザイン。
東西のモチーフ、ペルシャの天馬と中国の龍を組み合わせた異国情緒あふれる作品。
一時期は中国唐代の作と考えられていたが、龍の造形や毛彫の技法から7世紀の日本製とする見解が強くなっている。
48 鵲尾形柄香炉
「聖徳太子に仏教を教えた慧慈法師の香炉! ペルシャから百済、そして日本へ—時空を超える祈りの証。」
国宝 朝鮮半島・三国時代または飛鳥時代(6~7世紀) 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
🌸 概要
制作時期:飛鳥時代(推定)
素材:真鍮(しんちゅう)製、表面に金メッキ
伝来:聖徳太子に仏教を教えた慧慈法師が使用したと伝えられる
特徴:
鵲(かささぎ)の尾羽のように3つに分かれた柄の先
柄の途中には半球状の飾り
底の深い「火炉(かろ)」部分
刀の鍔(つば)のような張り出した縁
特殊な花形の台座、花弁の間に丸い穴があり、百済の影響が見られる
🌸 背景
慧慈法師:高句麗(こうくり)から渡来した僧で、聖徳太子に仏教哲学を教えた人物
素材の由来:真鍮はペルシャの特産で、中国には4世紀以降に伝わり、日本には貴重な素材として扱われた
製作地の推測:百済で製作されたものが日本にもたらされたと考えられる
🌸 特徴的なデザイン
柄の先端が3つに分かれ、鵲(かささぎ)の尾のような形状
火炉の花形台座は朝鮮半島のデザインに由来
飛鳥時代特有の豪華な金メッキが施されている
🌸 考察
慧慈法師が使用したと伝わるこの香炉は、ペルシャや百済からの影響を色濃く受けた日本初期の仏具として重要な位置を占めています。特に、柄香炉としての形状は後の日本製品と異なる独自の特徴を持ち、当時の国際交流の一端を示しています。
49 金銅燈籠
「南円堂を千年超えて照らし続ける光—日本で2番目に古い金銅燈籠、その輝きは今もなお…!」
国宝 平安時代 弘仁7年(816) 奈良・興福寺
🌸 概要
制作時期:弘仁7年(816年)
材質:金銅製
設置場所:興福寺 南円堂正面
構造:台、基礎、竿(さお)、中台、火袋、笠の6つのパーツに分かれる
現在の状態:
中台より上の部分が当初のもの
竿以下は鎌倉時代に再建
頂上の宝珠は失われている
火袋と中台の扉には鍍金が残る
🌸 特徴
南円堂創建当初の唯一の伝来品:平安時代から現存する貴重な燈籠
火袋扉の銘文:弘仁7年(816年)に製作されたことが明確に記されている
南円堂形と称される:その形状は他の寺院の燈籠に模範とされるほど美しいデザイン
日本で2番目に古い金属製燈籠:東大寺大仏殿前の燈籠に次ぐ歴史の長さを持つ
🌸 歴史的背景
南円堂は興福寺の象徴的な建物の一つで、毎年10月17日に「南円堂縁日」が開かれ、特別なご開帳が行われます。この燈籠は南円堂の創建当時から存在し、長い年月を経てなおその姿を残しているのは奇跡的な保存状態です。
50 八雷神面
「八つの顔に雷鳴ひびく――伝説とともに蘇る、鬼退治のヴィジュアル系」
室町~江戸時代(16~17世紀) 奈良・元興寺
📌概要
「八雷神(やついかづちのかみ)」の名が示す通り、8つの顔を持つ雷神の面
中央に大きな鬼面、その上に小さな雷神が騎乗する、強烈な構成
木彫・彩色で、力強さと妖気を感じさせる造形
元は舞台装束や儀式的用途とみられ、視覚的な迫力は群を抜いている
📜歴史・背景
『日本霊異記』に登場する、元興寺に現れた鬼を道場法師が退治する逸話に由来
本面はその伝説をもとに、鬼退治を行う法師の姿を象徴的に表現したものとされる
1895年、奈良博の開館の契機となった**「奈良博覧会」の主要展示品のひとつ**でもあり、
博物館の歴史を語るうえでも特別な存在
🌸道場法師と元興寺の鬼退治――伝説のあらすじ
プロローグ 鬼の起源と恐怖の面
奈良の元興寺には「ガゴゼ」や「ガゴウゼ」と呼ばれる鬼が伝わる。
その鬼面は“子どもを脅すための言葉”として全国に広まり、八つの顔を持つ「八雷神面」はその象徴となった。
①雷神の申し子、地上に生まれる
敏達天皇の時代(6世紀)、愛知の片蕝(かたわ)の里に、雷神が金属の杖に打たれて地上に落ち、農夫に助けられる。
雷神は「子どもを授ける代わりに天に戻してほしい」と願い、約束どおり生まれた子どもは、頭に竜蛇を巻いた異形の姿だった。
②鬼退治の序章――元興寺の童子となる
怪力の持ち主となったその子は元興寺に入り、鐘撞き小僧を殺していた幽鬼を退治。
寺の水利を妨げていた貴人(諸王)を懲らしめ、その功で出家し「道場法師」と名乗るようになる。
③鬼との死闘――鐘楼の怪異と格闘
夜な夜な鐘楼に現れ、鐘撞き小僧を殺していた鬼に対し、童子(後の道場法師)は隠れて待ち伏せ。
鬼の髪を掴んで夜明けまで離さず格闘し、ついに鬼の頭髪をむしり取り、鬼を撃退。
④伝承の広がり――不審ヶ辻と鬼隠山
鬼は逃走し、姿を消した場所が「不審ヶ辻」と呼ばれるようになり、さらに逃げ込んだ先の崖が「鬼隠山」とされた。
後にその地では怨霊伝説が生まれ、鬼門信仰とも結びつく。
⑤法師の力と神格化――雷神・善鬼となる
道場法師は鬼を倒すほどの力を持つ「善なる雷神」とされ、寺の護法神「元興神」として信仰されるようになった。
彼の力は、鬼すら祓う“強い鬼=善鬼”としての信仰へとつながっていった。
🌩エピローグ
雷神の申し子として生まれた道場法師は、鐘楼の鬼を退治し、鬼のような力で鬼を制する“元興神”として神格化された――それが八雷神面の背後にある、壮絶な伝説なのです。
52 伎楽面 呉公
「滅びた幻の舞台、呉の貴公子が現代にほほえむ――飛鳥の面に宿る高貴な記憶」
国宝 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
📌概要
伎楽面は、飛鳥〜奈良時代にかけて日本で上演された音楽劇「伎楽」で用いられた仮面。
7世紀に大陸から伝来し、後に鎌倉時代以前に廃絶。演目内容は不明だが、仮面のみが多数残る。
呉公(ごこう)は「呉の国の貴公子」を意味し、高貴な役柄を象徴する。
面には透かし彫りの鍍金冠が取り付けられ、威厳と品格を備えた表情を見せている。
面長の顔立ちに、弧を描く眉、釣り上がった口元などが特徴的で、法隆寺金堂の四天王像との共通性が指摘される。
元は緑青彩、朱彩、髭の墨描きなどが施されていたが、現在はほとんど剥落している。
🕰歴史・背景
現存する伎楽面の多くは**8世紀(奈良時代)**の遺品で、正倉院に百数十面が伝わっている。
この呉公面もその一つであり、伎楽の芸能史的価値や造形美術としての完成度の高さが注目される。
装飾や表情の造形から、7世紀後半の仏教美術と強く結びついていることがわかる。
現存の姿は経年劣化による彩色の消失があるが、木彫と鍍金装飾の質の高さが今なお観る者を魅了する。
53 伎楽面 波羅門
「割れてもなお語る、異国の老賢者――仮面に刻まれた技と智慧のかたち」
重文 奈良時代(8世紀) 奈良・東大寺
📌概要
伎楽面は、飛鳥〜奈良時代にかけて上演された「伎楽」という音楽劇で用いられた仮面。
波羅門は老人の姿を表す役柄であり、深いしわや鋭く曲がった鼻など、老齢の相貌が強調されている。
頭頂部には大きな穴が空いており、構造的に目立つ特徴となっている。
表面を観察すると、面の中央を境に微妙なズレ(喰違い)があり、X線調査により面が左右に真っ二つに割れた状態で制作されたことが明らかになっている。
この技法は、乾漆技法の応用的な制作法と考えられ、塑土原型に布を当てて漆で固めたのち、型から抜くために切断し、再接着・補強して仕上げたと推測される。
表面の仕上げ布は切断されずに連続していることから、製作時の技術と意図が感じられる。
🕰歴史・背景
波羅門は**インドの聖職者階級「バラモン」**に由来する名前であり、伎楽における異国風の役柄のひとつ。
飛鳥時代に伝わった伎楽は、中国・朝鮮半島経由で伝来し、奈良時代の宮廷儀式や寺院で盛んに演じられた。
鎌倉時代にはすでに廃絶しており、現存する面によってのみ伎楽の様相を知ることができる。
この面は、その製作技法・素材構成の分析から、乾漆面の貴重な作例としても高い学術的価値を持つ。
54 澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃
「澤に遊ぶ千鳥と花々――蒔絵と螺鈿が織りなす、水辺の幻想小宇宙」
国宝 平安時代(11~12世紀) 和歌山・金剛峯寺
📌概要
精巧な蒔絵と螺鈿で仕上げられた**装飾性の高い小唐櫃(こからびつ)**で、華やかな外観と緻密な意匠が特徴。
銅製置口(後補)を備え、蓋・脚部には銀地鍍金の唐草文金具をあしらっており、全体の姿態が非常に美しい。
黒漆地の蓋と胴部には、水辺の草と群れる千鳥たちの風景が蒔絵で表現されており、一部には**螺鈿(らでん)**を交えて華やかさを増している。
蓋の裏面にも蒔絵が施され、野草や蝶鳥の情景が描かれている。
内部の中子(なかご)には錫の置口があり、外側四面にも外装と同様の「澤に千鳥」図が表されている。
内底は黒漆地で、宝相華文の透彫鍍金金具を嵌め込み、間には螺鈿の花文が丁寧に配置されている。
📏サイズ
縦:30.5cm
横:39.9cm
高さ:30.0cm
55 空也上人立像
「口から仏が6体、しかも雲に乗ってる――市聖・空也、その念仏、六つの光となる。あと、すね毛もあるよ!」
室町時代(15~16世紀) 大阪・藤田美術館
📌概要
平安時代に念仏を広めた僧・空也上人をあらわした立像
室町時代の作で、高さは約97cmと小柄ながら圧倒的な存在感
杖・鉦鼓(しょうこ)・撞木(しゅもく)・草鞋(わらじ)など、空也の行脚スタイルを精密に再現
特徴的なのは口から出る6体の阿弥陀仏像(雲に乗っているのが藤田本の特徴)
**すね毛まで彫刻されている!**という細部のリアリティも話題に
📜歴史・背景
空也上人は「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた民衆布教の先駆者
念仏の一字一字が仏となるという伝説を視覚化
その発想のルーツには、中国・善導の教えと表現があるとされる
善導もまた口から仏を出す姿で描かれ、その系譜が空也像に受け継がれた
🏛伝来と保存
元は奈良県・隔夜寺(かくやじ)の空也堂本尊だったことが、近年の研究で判明
明治時代の廃仏毀釈の混乱の中で、実業家・藤田傳三郎が購入し保存
破壊や流出を防ぐため、藤田らが私財を投じて文化財を保護した時代背景がある
🌍海外との関わり
明治時代にはすでに海外でも知られていた
イギリス王室の王子たちが日本巡行でこの像を奈良で実見、古写真を保有
オーストリアの医師アルブレヒト・フォン・ローレルも奈良で見学し記録
このように、「口から仏が出てる!」というインパクトで世界に印象を与えた仏像
👀見どころポイント
雲に乗って現れる6体の阿弥陀仏像(他の空也像と少し違う演出)
衣の質感、表情、そして驚きのすね毛表現まで!
空也像の中でもとても個性的な一体
56 内匠寮奈良博物館建築工事図面‐1奈良博物館新築図按 百分之壱‐2奈良博物館新築色分ヶ図 百分壱
重文 明治23~27年(1890~94) 奈良国立博物館
57 帝国奈良博物館本館 表昇降口雛形
「建築を愛する目に応える、木のミニチュア建築美」
重文 明治27年(1894) 奈良国立博物館 木製模型(ヒノキ材) 縮尺1/20
📌概要
明治期に建てられた**帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館本館)**の表玄関部分を再現した建築模型
**1/20スケールの精巧な雛形(ひながた)**で、建築設計・施工のための確認用として制作されたもの
🌸構造と表現
ヒノキ材を複数組み合わせて構築し、石貼りの基礎・漆喰の目地・柱飾りなど細部まで丁寧に再現
屋根は瓦を葺かず、あえて構造(小屋組)を見せる仕様に
ペディメントの装飾など、実物と若干異なる部分もあり、設計過程の変遷を感じさせる点も見どころ
58 奈良国立博物館関係資料‐1帝国奈良博物館要覧‐2出陳国宝原簿‐3奈良帝室博物館中央大広間陳列現状
‐1 明治28年(1895)‐2 明治33~37年 (1900~04)‐3 明治36年(1903) 奈良国立博物館

