北野天神展 鑑賞ガイド
この記事は京都国立博物館でやっている北野天神展に行くために見ておいたらいい動画とか、ざっくりした内容とかまとめてます。
素人作成なので割と適当気味です。
オススメ動画
とりあえずYouTubeのプレイリスト作りましたんで、この辺見ておけば予習になりますー
その中でもニコニコ美術館は必見!
これと上記の流れの部分だけでだいたいいけると思いますー
そもそも天神信仰とは何なのか?
天神=菅原道真なわけですが、そもそもなんで今みたいな信仰になったのか、というのをざっくりと。
たぶん、これわかっていれば、展示の流れがわかりやすいはず…
菅原氏について
もともとは土師氏だったが、道真のひいおじいちゃんの菅原古人が改姓
祭礼を司る一族だったけど、このへんから学者方向に舵を切る
道真の祖父の菅原清公は最澄と一緒の船で遣唐使として渡る
道真の父・菅原是善は文章博士としてめっちゃ活躍
道真は学問エリートの家系で若くして文章博士に
道真の生前ざっくり
子供の頃から超英才教育、11歳で漢詩を読んだという天才っぷり
文章博士になって、とにかくめっちゃ出世
宇多天皇にめちゃくちゃ重用される
宇多天皇が譲位して息子の醍醐天皇が即位して、藤原時平と菅原道真の2頭体制になって、他の人達から反感を買う
道真本人は出世し過ぎでヤバイと思ってて固辞してたみたいだけど受け入れられなかった
仕事量多すぎるわ、他の人達は文句ばっかいうわで大変で、「私のことをわかってくれる人なんか数人しかいない」とか、そーいうかんじで感情爆発した漢詩をたくさん残している
実は藤原時平とは別に仲が悪かったわけではないらしい
どっちかというと問題なのは先代の宇多上皇が割と口出ししてくること
醍醐天皇や若い世代の貴族にとって、宇多上皇の側近の道真が疎まれたらしい
そーいう流れもあって、皇位継承問題で讒言を受けて大宰府に配流、失意のもとで亡くなる
宇多上皇は止めようとして醍醐天皇に面会しようとしたけど、門番に止められて会えなかったのが悲劇のはじまり…
道真死後に神として祀られるまで
亡くなった後に遺体を運んでる時に牛が止まった場所を墓にして、それが現代の太宰府天満宮
道真の死後に疫病とかで都が荒れて、道真の怨霊説が流布する
讒言した藤原時平が39歳の若さで死亡
左遷した醍醐天皇の皇子たちも次々に死亡
この辺の時点で道真の祟りといわれて、道真の罪を許したりしたけど全然やまない
さらに930年に内裏の清涼殿に雷が落ちて、そのショックで醍醐天皇も3ヶ月後に崩御
こーいうことがあったので怨霊として恐れられて、鎮めるために947年に北野天満宮が建てられる
ちなみに怨霊で天皇個人の命を奪うレベルの被害に至ったのはこれっきり
神仏習合~死後も地獄で醍醐天皇を苦しめ続けてた話
道真の死から数十年後、大峯で修行してた道賢(後に日蔵と改める)という修験僧が絶食の修行中に死ぬ
死後の世界に行ったら、太政天神となった菅原道真と、地獄で苦しむ醍醐天皇の姿を見かける
道真から伝言もらって生き返り、その話が伝わる
道真が神になって地獄で暴れまわってるあたりが、めっちゃ神仏習合してるのがわかる
あと道真死後数十年はなんでもかんでも道真の祟りという風潮だったんだろうなと思う(個人的感想)
学問の神になる
982年に慶滋保胤が道真を学問の神として祀る祭文がある
994年に疫病が道真の祟として正二位の官位を与えてるので、当時は学問の神と怨霊が併存してるかんじ
たぶん時代がくだるにつれ、さすがにいつまでも道真の祟りといい続けたりしなくなって、学問の神の部分だけが残っていったのではと思う(個人的感想)
どんどん盛られて、芸能・武芸の神にもなる
こっから割と勝手な解釈です
めちゃくちゃ賢かったから学問の神として扱われる←わかる
神として信仰され続ける
漢詩・和歌が得意だったから、そのうち芸能にも御利益あると考えられて、芸能の神にもなる←まぁわかる
雷神だし、なんか強そうだから武芸にもご利益あると考えられて、エピソードが盛られて、弓の達人だったことにされて、武芸の神にもなる←ぎりぎりわかる
やってもいない禅にも関連付けられてしまう
学問・芸能・武芸まではわからなくもないんだけど…
鎌倉時代当時、禅が流行していた
禅僧の中にも天神信仰してる人たちが多くいた
彼らは「学問の神様である天神様なら、禅も当然マスターしてるよね!」とか考えた
当時の臨済宗は南宋の僧侶・無準師範から学んできた日本の禅僧の流れが隆盛していて、無準師範は禅僧たちの憧れ・崇拝対象だった
というわけで「天神さまも禅の本場にいって、あの無準師範から学んできたに違いない!」と勝手に設定を盛った
こうして臨済宗では天神さまが中国にいって禅をマスターした姿の「渡唐天神像」という絵が描かれることに…
道真がなくなったのが900年くらい、無準師範は1200年くらいの人なので時系列ガン無視すぎるw
むしろ時系列無視するくらいすごいんだよ!ということなのかもしれない
要するに「ぼくのかんがえた さいきょうの てんじんさま」みたいなもんですかね…
関連する寺社
北野天満宮
天満宮の総本山
全国の天満宮はここから分祀
公式サイトで絵巻や刀の解説がある
今回メインの北野天神絵巻と、刀剣の髭切(鬼切丸)が有名
道明寺天満宮
相撲の祖の野見宿禰が埴輪を作って殉死をなくした功績で「土師(はじ)」の姓と所領をもらって土師神社ができる
菅原道真の叔母がここに住んでいた(菅原氏の元は土師氏)
大宰府に左遷された時にここに寄って叔母に会った
道真の遺品がたくさんあって国宝に指定されている
以前、日本国宝展に出品されたのでそっちでもまとめてます。
以下、同じ物を再掲載。
菅原道真「大宰府行くのつらすぎる… おばさん、きっと今生の別れになると思うから、このお宝、どうぞお収めください…」
時代:唐時代・平安時代(9世紀)|種別:工芸品・書跡|国宝指定:昭和11年、昭和28年再指定
🌸作品の概要
平安時代の学者であり政治家、そして天神さまとして祀られる菅原道真公。
そのゆかりの寺である道明寺天満宮には、彼が太宰府へ向かう直前に伯母・覚寿尼に託したと伝わる遺品が残されている。
それら6点の品は、昭和初期に国宝に指定された。
🌸特徴とポイント
高士弾琴鏡(こうしたんきんきょう):
琴を奏でる伯牙(中国の伝説的琴士)と鳳凰が描かれた、唐鏡の逸品。文人理想の世界を象徴。牙笏(げしゃく):
象牙製の笏。位の高い貴族が儀式で用いたもので、当時の官人文化を象徴。白磁円硯(はくじえんけん):
直径27cmの大型硯。白磁の艶やかな肌に、唐時代の工芸美が感じられる。犀角柄刀子(さいかくえとうす):
犀の角を使った小刀。赤みを帯びた透明感ある柄が気品を漂わせる。玳瑁装牙櫛(たいまいそうげし):
象牙に玳瑁(べっこう)や金泥装飾が施された櫛。男性用の冠下の髪結い用具。銀装革帯(ぎんそうかくたい):
銀細工の装飾が施された革帯。水晶や色板も使われ、当時の装飾文化の粋が見られる。
🌸制作背景と国宝ポイント
菅原道真が都を去る際、伯母に残したとされる品々。彼の死後、天変地異が相次ぎ、怨霊鎮魂の天神信仰が広まる中で、これらの遺品は「御神威の証」として大切にされ続けた。
唐から伝わる品を含みつつ、平安貴族の優雅で洗練された美意識が感じられるコレクション。
実用品でありながら、それぞれが高度な技術と装飾性を持つ点も評価され、国宝指定へ。
防府天満宮
道真の死の翌年に創建され、日本最初の天満宮を名乗っている
もともと菅原道真と同族の土師氏がおさめていて、大宰府に行く前に寄ったらしい
寄った際「まだここは本州で京と地続きだからいいけど、九州いくのやだよー、ここにいて無実を証明したいよー」(意訳)といってたらしい
道真の死後、なんか光が来たらしいので「お言葉どおりここに戻ってきたんだ!」と解釈されて、ここに祀られましたとさ
天神絵巻の中でもご当地縁起の先駆けと言われる「松崎天神縁起絵巻」がある
こちら、防府市公式?のYouTubeのプレイリストですー
與喜天満神社
奈良県桜井市にあって長谷寺に隣接している
菅原道真以前からの天神信仰
実は道真以前から天神という神は存在していて周辺で信仰されていた
その天神と道真が合体したのが今の天神信仰っぽい?
長谷寺
與喜天満神社の隣にあって長谷寺縁起絵巻や鎧が出品されている
長谷寺縁起絵巻の冒頭では、道真が長谷寺縁起絵巻を書いているという、なかなか強引な設定
しかも、天神の本地仏は長谷寺縁起絵巻の十一面観音だといっている
仏の世界では長谷寺十一面観音だったけど、現世では菅原道真として生まれて、死後に天神になったよー的なかんじ
與喜天満神社と長谷寺はもともと同じ寺社でセット運営だったともいっている
出品される長谷雄縁起でも登場する紀長谷雄が、長谷ネットワークと天神ネットワークをくっつけたらしい?
なんだかよくわからないけど色々とすごい!(小並感)
なんか道真は死後フリー素材にでもなったのか感だよ!
あまり関係ないですが、長谷寺では2月14日に「だだおし」という、鬼が松明をもって走り回るお祭りがあります。
よりによって2月14日なのが面白かったので、この日にだだ押しオフ会を開催したら10人以上集まったという、どーしょーもない思い出がありますw
調べてみたけど、天神とはぜんぜん関係なくてざんねん。
この辺の動画はもはや今回の展示にあんま関係ないので最初のリストには入れてません💦
出品物に関連する話
毛抜形太刀
5分くらいから見ると流れがわかったうえで見やすいですー
もともと直刀だったのが馬の上から斬るために反る
握りやすくするために毛抜き型という穴の空いた形になる
平安初期に柄頭の形が変わって毛抜型刀が出来る
講式
動画は雰囲気掴むためのものですー
内容は私もちんぷんかんぷん
めっちゃざっくりいうと、
平家物語みたいにメロディ調で物語話して仏教説話を読み聞かせるやつ
平家物語は大衆よりだけど、こっちは儀式よりなやつ
今回出てくる仏
千手観音、十一面観音
今回出てくる有名人(主に後期)
武家
足利義満
性格が悪いことで有名な公方様
ちゃんとした解説動画貼ると大量になるので、とりあえず網羅してる替え歌はっておくスタイル
足利義持
お父さんが嫌いな人
神託を信じすぎて後継者を指名しなかったせいでモンスターを生んでしまった罪深い公方様
地味なので室町オタ界隈でもあまり語られることがない…
松平定信
寛政の改革したけど清廉潔白すぎてダメだった人
天皇に「即位してない父親を上皇扱いするのダメー」といった手前、将軍にも同じようにさせざるを得なくて、将軍と対立しちゃった人
絵巻つくる時に「超常現象なんて無いから、そーいうの省いて作るよ!」ということで、現実的な絵巻作っちゃった人
大河ドラマ見て「史実通りに作れ!」と文句言う人がいて、史実通りにつくってみました的な感じ
それはそれで試みとしてはいいと思うけど、面白くはないよね…
実際、その路線は受け継がれてないわけだし…
良くも悪くもマジメで誠実すぎる人なんだろうな…
天皇と公家
後西天皇
兄の後光明天皇が死んで、後光明の養子だった霊元天皇までの中継ぎとして急遽即位
立場的には父の後水尾天皇の系統を続けるための穴埋め
即位後に災害がいっぱいで「帝の徳がないせいだ!」と言われた超可哀想な人😢
中継ぎだから父親の後水尾天皇が院政してたので実権もなーんもなしなのに責任だけは追求されるとか可哀想過ぎる😢
とりあえず和歌読んだり学問したりしてた人
後西の「西」は西院=淳仁天皇で、子孫を天皇にできなかった人ということで…なんか諡まで可哀想な人😢
でも淳仁天皇は実権あったし、息子が皇太子だったけど廃されただけなので、ちょっと違うような?
最初から中継ぎ前提で実権皆無で学問しかやってなかった上に系統を残せなかったという立場でいえば、後醍醐の1つ前の花園天皇が一番近いのかもしんない…
まぁ後花園はすでに居たから、それで後西になったんでしょうねー
ともかく、和歌や学問の天皇らしく、今回は和歌の短冊が出品!
三条西実隆
良い動画がなかった😢
室町後期をあさってると、しょっちゅー出てくる文化人
戦乱の時代に、公家文化や和歌の正統を守った
実隆公記という日記で色々おもしろいこと書いてる
絵巻制作が得意らしく、今回は土佐光信と組んで、北野天神縁起絵巻(光信本)の文章を作ったらしい
足利義晴に頼まれて光信の息子の土佐光茂と組んで、桑実寺縁起絵巻を作ったりもしている
三条西家は古今伝授の家柄として有名で孫の実枝が中継ぎのために細川幽斎に古今伝授している
絵師
海北友松
長谷川等伯
有名な上に単独で紹介してる良い動画が見当たらないので省略
三十六歌仙
覚えられるわけないけど、こーいうの見ると全員知りたくなる欲求…
なお和歌はさっぱりわからないので、超有名な人以外は絶対覚えられない…
※女性は太字
柿本人麻呂
山部赤人
大伴家持
猿丸大夫
僧正遍昭
在原業平
小野小町
藤原兼輔
紀貫之
凡河内躬恒
紀友則
壬生忠岑
伊勢
藤原興風
藤原敏行
源公忠
源宗于
素性法師
大中臣頼基
坂上是則
源重之
藤原朝忠
藤原敦忠
藤原元真
源信明
斎宮女御
藤原清正
藤原高光
小大君
中務
藤原仲文
清原元輔
大中臣能宣
源順
壬生忠見
平兼盛


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