おじさんはなぜ加害的でありながら自覚できないのか?佐藤二朗と橋本愛の事件から考える
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俳優の佐藤二朗氏が、ドラマで共演した女優の橋本愛氏に対して行った言動が、外部弁護士の調査によってハラスメント認定された件が波紋を呼んでいる。
KAI-YOUの記事(https://kai-you.net/article/95901 ) や各報道によると、事の経緯はこうだ。ドラマ『夫婦別姓刑事』の撮影現場で、佐藤氏による「ボディタッチ(身体的接触)」をきっかけにトラブルが発生。橋本氏側には過去のトラウマがあったが、演技への制約を懸念した現場プロデューサーと佐藤氏のマネージャーの判断により、佐藤氏本人にはそのデリケートな事情が事前に知らされていなかったという。
これに納得がいかなかったとされる佐藤氏は橋本氏の楽屋に赴き、「トラウマがあって夫婦役を演じるなら、先に状況を相手に共有すべき。その状況が続くなら俳優を続けるべきではない」という趣旨の発言、いわゆる「説教」を行った。最終的にフジテレビが委託した外部弁護士による調査が入り、佐藤氏のこの「言動」がハラスメントと評価され、厳重注意処分が下されるに至った。
なぜ、このようなハラスメントを疑われる行為が、ベテランと呼ばれる人間の手によって、悪気のない行動として行われてしまうのか。
本稿では、特定の個人を感情的に叩くことを目的としない。考えるべきは、なぜ「おじさん」という属性を持つ人々は、これほどまでに直接的な加害に及びながら、その加害性を絶望的なまでに自覚できないのかという、構造とメカニズムの話である。
1. おじさんという「存在そのものが持つ初期設定の加害性」
結論から言えば、おじさんという存在は、どれだけ本人が「良かれと思って」いようが、その属性自体に「初期設定としての加害性」がビルトインされている。これは感情論ではなく、生物学的・脳科学的なエイジング(老化)、そして社会的特権のズレがもたらす残酷な事実だ。
① 肉体的な「圧迫感」と境界線のバグ
年齢を重ねた男性の肉体や存在感は、それ自体が若い女性に対して物理的・精神的な圧迫感を与えうるものへと変化している。しかし、多くのおじさんは自分の存在が持つこの「圧迫感」に致命的に無自覚だ。だからこそ、相手のパーソナルスペースを侵すような接触やアプローチを、何のリスクも感じずにやってのける。
② 生物学的な「共感能力の減退」
人間は加齢に伴い、脳の前頭葉の機能が徐々に低下していく。ここは他者の感情を推し量る「共感能力」や、自制心を司る部位だ。 おじさん世代は物理的に「相手が今、どれほどの恐怖や嫌悪感を感じているか(トラウマを発動させているか)」を察知するセンサーが鈍くなっている。本人は単なるコミュニケーションのつもりでも、出力される行動はデリカシーを欠いた完全な加害行為となる。
③ 「センサーの鈍化」と「お節介・説教」の最悪な掛け算
今回の件で最も象徴的なのは、佐藤氏がわざわざ相手の楽屋に乗り込んで「役者を辞めるべきだ」という趣旨の説教をした点だ。 相手が傷ついている、あるいは怯えているというシグナルを読み取るセンサーが壊れているにもかかわらず、人生経験やキャリアだけは豊富であるため、「教えてあげなきゃ」「お前のスタンスは間違っている」というお節介の熱量だけは一流なのである。この「センサーの壊れた認知と、肥大化した説教癖」の組み合わせこそが、無自覚な加害の正体だ。
2. 「善意と正義」が成立させるパワーダイナミクス
この事件の根深い部分は、佐藤氏側が「自分の言動はハラスメントにはあたらない」と反論している点に現れている。つまり、本人の認知としては「正当な意見交換」や「仕事論の提示」であり、自分が加害者であるという自覚が恐ろしく希薄なのだ。
おじさんという強者は、自分の行動を「先輩としての指導」「親切心」という歪んだ正義感でコーティングする。 本人は正義だと思っているため、相手が拒絶反応を示したり、現場が配慮に動いたりしたときに、自分の非を内省するどころか「せっかく夫婦役をやってあげているのに」「プロとしてどうなのか」と捉え、楽屋での説教という二次加害へ向かう。
ここには、立場・年齢・ジェンダーにおける「非対称性(パワーダイナミクス)」への致命的な想像力の欠如がある。 年長者であり、男性であり、業界のベテランである側からの言葉は、どれほど本人がフラットに伝えたつもりであっても、受け手にとっては巨大な圧力であり、恐怖以外の何物でもない。日本のジェンダーギャップ指数の低さに象徴されるような、無意識の男尊女卑や「目下の者は我慢すべき、意見を受け入れるべき」という家父長制的なマインドが、彼らの境界線の低さを全肯定してしまっているのだ。
3. ネット空間で肥大化する「ブレーキの壊れた執着」
この「共感能力の鈍化」と「境界線バグ」は、撮影現場のようなリアルな空間だけでなく、現代のネットやSNSというデジタル空間においても全く同じ構造で暴走している。相手に対する「仕事論(説教)」のような大義名分すらなくなり、単なる「剥き出しの執着(ストーキング)」へとスライドしていくケースだ。
実は私自身も最近、ネット上で特定のおじさんから執拗に追われるという被害に遭っている。 こちらが明確に拒絶の意思を示し、ブロックや無視という形で「ここから先は入ってくるな」と境界線を引いているにもかかわらず、相手にはその意図が全く伝わらない。アカウントを変え、別ルートを探し、ホラー映画のように執拗に追ってくる。
普通の感覚であれば「ブロックされた=拒絶された」と認知して身を引く。しかし、共感脳が完全にバグっているおじさんには、「相手が恐怖やストレスを感じている」というシグナルが脳に届かない。 届かないからこそ、罪悪感を一切持たず、「自分が満足するまで相手を追い続ける」という直接的な加害が可能になる。楽屋に踏み込んで説教するおじさんも、ネット上で粘着するおじさんも、根底にある「ブレーキの壊れ方(相手の拒絶を自分の都合の良い歪んだ物語に変換する認知)」は完全に同一なのだ。
4. おわりに:「弁護士が必要な社会」という現実
今回の事件は、外部の弁護士という第三者が介入して初めて「深刻なハラスメント」として切り出され、厳重注意へと至った。つまり、おじさん側の「無自覚な加害性」は、当事者間の話し合いや若者側の拒絶シグナル程度では、絶対に自覚されることも止まることもないという絶望的な事実を証明している。
「悪気はなかった」「そんなつもりじゃなかった」という言い訳は、令和の社会では1ミリの価値も持たない。
人間は歳を取れば、誰しも共感能力が鈍り、存在そのものが他者への圧迫感になり得る。おじさんという属性が持つその「呪い」を自覚し、自分の言動が常に相手への直接的な加害になり得るという恐怖を内省できない限り、彼らは永遠に「無自覚な怪物」のままだろう。
私たちは、彼らの「悪気のない直接加害」を看過してはならないし、自分の心と身体を守るために、冷徹に境界線を線引きし続ける必要がある。



私は男性にも女性にも誹謗中傷されたことがありますが、アカウント変えたり私の個人情報を特定してまで粘着してるのってやはり男性しかいないんですよね…。 そこまでしておいて「男性を警戒するな!」「女性だけの空間に逃げるな!優遇だ!」と言われても、困っちゃいます…。 それはそれとして「…
それは大変なご経験でしたね。明らかな嫌がらせでありながら、それを自制することができないのでそう言った加害につながってしまいますね。