かつて郵便貯金と財政投融資が一体となっていた時代、日本社会には時間を味方につける能力があった。30年、50年先を見据えて、リターンの遅いインフラや技術の裾野に国富を投じる主体性を持っていた。
しかし、米国からの指令(年次改革要望書など)に従ってこの根城を自壊させ、「貯蓄から投資へ」「新NISA」というマネーゲームに国民の貯蓄を差し出した結果、国富を支配するOS(主権)は、ウォール街の四半期決算へと書き換えられた。
主体性を失った政府は、もはやどこに国富を投じれば国民生活が向上し、産業が高度化するかを自らの頭脳で判断することすらできない。
新NISAと円安の関係性は正しいが、異論も挟みたい。そもそも「貯蓄から投資へ」というスローガン自体が間違いであり、「貯蓄」、例えば郵便貯金の財政投融資が日本のインフラと経済成長を安定的に支えるようなカタチが米国からの要求によって壊された結果に過ぎない。そういう意味では、岸田の新NISAも