ハンドルネーム | 渓流詩人の徒然日記

私のこと

テーマ:内的独白



「渓流詩人」という単語でググった
AIによる自動生成回答。
テケトンな与太ばかりを書いている
日記なのに老舗ブロガーのように書
かれている(笑
だが、正確性を欠くのがまだ現在の
AIの特徴でもある。
私のハンドルネームは「渓流詩人」
ではない。「いつか渓流詩人になれ
るだろうか」というのが2001年のウ
エブサイト「渓流カフェ」を開設し
た起点だ。
そのあたりのニュアンスを知ってい
る当時の音楽仲間の閲覧者の人たち
は、1日平均300名ほどが来訪してく
れたが、私の事は「渓流さん」と正
しく呼んでくれていた。
我が家の犬が1996年に不慮の事故で
死んだのだが、名前はLukeといった。
その名前のアナグラムでkelu→渓流
としたのが私のハンドルネームの一
つだった。
フライフィッシングで岩の上でブル
ースハープを吹いていたらフライ友
から「渓流詩人みたいだな」と言わ
れた体験から「渓流詩人のカフェテ
ラス」という総合ウエブサイトを立
ち上げたのが2001年だった。略称で
皆さんからは「渓流カフェ」と呼ば
れ続けた。
このウエブ日記は「渓流カフェ日記」
というコラムなのだ。外部連携がシ
ステム的に構築されたブログが誕生
する前からの設置だ。ゆえにコメン
ト欄は設置していないしするつもり
もない。ウエブサイトの一部として
誕生し継続運営して来たからだ。
たまたま時代が変わり、ウエブログ
はブログという形式のサービスに変
更になって外部との連携や集客集金
を目的とする人たちに利用されて一
時代を築いた。
だが、その時代の中にあっても、私
は独自路線で一切外との連携や収益
化路線は取らなかった。
時代は移り、2010年頃からはSNSが
ブログに取って変わった。
そして、SNSはその特異性から人間
の醜い精神的犯罪性を助長する道具
として現在まで蔓延する事になった。
つまり「炎上」という形で特定個人
を誹謗中傷する事にネットシステム
を多くの人間が利用するようになっ
たのだ。
インターネットが登場した当初の
利用者たちの知的かつ真摯な態度
の「ネチケット」などは完全に死
語となり、公人ではない私人たる
他人を誹謗中傷する事のみに日本
人はインターネットを利用するよ
うに変質した。
変質というか、そうした層がネッ
ト利用者の大半以上を占めるよう
な実態が露呈した。
元々日本人はそうした差別排外主
義が大好きな体質だったのだろう。
それがインターネットの高速通信
化で大衆にまでも普及すると同時
に日本人の醜い差別性、排外主義
体質が露骨に現れただけの事であ
り、旧来の原初ネット民が変質し
たのではないだろう。
原初ネット民はあめぞうからネラ
ーとなっても、まだ自浄作用をみ
せていたが、今や日本全国民がネ

ラーのレイシスト状態になってい
る。
道具を道具として正しく使えず、
スパナをトンカチ替わりにして人
の頭を叩いて嬉々としているのが
今の日本人の大多数となった。

2000年代初頭の他のシーンでのメ
インのハンドルネームは「ガンモ」
というのと「スミス」だった。
ガンモというのは昔の二輪友らの
一部から言われていた事。ガンマ
に乗っていた事と、無類のがんも
どき好きだったからだ。
別方面の学生時代からの仲間内で
は「つとむちゃん」で通っていた。
本名などでは呼ばれず、いつもど
こでも「つとむちゃん」というの
が1979年から以上続いたし、今で
も一部では続いている。
つとむとガンモは今でも健在。

「渓流詩人」というのは一つの冠呼
称であって、「渓流」はハンドルだ
が「渓流詩人」はハンドルネームで
はない。
そこをきちんと識別認識している人
は私の事を「渓流さん」と今でも呼
ぶ。「渓流詩人さん」と呼ぶのは正
しくはない。
「渓流詩人氏」などというのは日本
語にさえなっていないので論外だが、
やはり論外は論外的立ち位置にいる。
大抵は誹謗中傷の時にそうした表現
が使われる。

今ではネット上での付き合いよりも
実生活でのキャンプやサバゲや私的
バイク仲間たちとの走行外出などで
「ガンモ」と呼ばれているのは四半
世紀にわたるので、結構馴染みがあ
る。ここの読者で古くからのリアル
でのつきあいのある人は「渓流」さ
んとも呼ぶが、「渓流詩人さん」と
は呼ばない。正しく呼称の中味を認
識識別しているからだろう。
kelu-cafe.comのドメインを2001年
に私は取得しているが、ドメイン料
のみ支払って利用していないという
状態がここ10年近く続いている。
そのうち、気が向けば新たな総合サ
イトとしてそのうち復活させるだろ
う。