希死念慮について
私は双極性障害という、躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気らしい。
今回は常日頃漠然と抱えている希死念慮を、今のうつ状態でどう感じているかを記録するためにnoteを開いた。思ったままに書いており推敲などはしていないため、読みにくい部分もあるかと思う。それと、私の文章にそれほどの影響力があるとも思えないが、気分や体調のすぐれない方や他人の負の感情に引っ張られやすい方は見ないでおくことを推奨する。また、このnoteで語られる希死念慮が、希死念慮を抱える全ての人が持つ希死念慮と一致するわけではないと思うので、知人の希死念慮を理解したい!などの動機や、なにか病気について理解が得られるという前提で読むのはお控えいただきたい。
まず、日頃抱えているこれは希死念慮と言っていいものなのかどうか、わからない。ただ漠然と特にこれといった理由もなく死にたいのだが、死にたくはないのだ。たまに小春日和のような、世界がキラキラして時間の流れがゆっくりで、自分がここにいてもいいような気がする時、強く死にたいと思う。とても爽やかな希死念慮だ。そういう時はこのまま息を吐いたら存在ごと空気中に舞い散ってしまえたらな、と思うし、死にたくない気持ちは一切なくなる。一番死に近い精神状態の時、とても気持ちが楽で穏やかになる。ただ今日の希死念慮はそれとは違う。たいていの日は今日みたいな感覚で日々過ごしている。
どのような感覚かというと、先に書いたように死にたいけど死にたくないのだ。やりたいことはたくさんあるし、この先生きていれば楽しいことも生きててよかったと思うこともたくさんある(そう言い切れるのは今まで同じ体験を何度もしてきたから)とわかっているのに、死にたくてたまらない。死にたくないのに死にたい。この先辛い思いをするのが嫌だから死にたいのかと思ったけどそれは違う。とにかく死ぬのは怖いし死にたくないのに死にたくてたまらない。これは無闇に発言すると誰かを傷つける可能性がある。誰にも迷惑はかけたくないし、傷つけたくもないし、面倒臭がられるのも嫌だから誰にも言えない。でもなぜか誰かに吐き出したくて、今このnoteを書いている(記録用という意図もあるが)。親にはもちろん言えない。傷つくだろうから。恋人にも言えない。悲しむだろうし、困らせると思う。友達に対してもそうだ。とにかく私は誰かに迷惑をかけたくない。そして今何かを決断してはいけないことだけはわかる。
常に今この瞬間を生きているから、先のことを見通して今しておいた方が良いことを実行するというのがとても苦手だ。大学も惰性でダラダラ続けているにすぎない、本当は今すぐ辞めたい。今辞めたら将来困るかもしれないこともわかっている。さすがに金銭面のことに関しては出資してくれた親に申し訳ないが、時間をどれだけかけたかとか、受験や大学生活をどれだけ頑張ったかとかは過去のことだから関係ないのだ。過去も未来も関係ないから、この先辛いことがあったとして耐えられないかもしれないから死にたいというのは違うし、今まで楽しいことがあったからこれからもあるはずだという生きる希望を持つこともできない。
多分、今やりたいことがないから死にたいんだと思う。とりあえず何日かかけて積読を全部読み終わったら死のうかな、と思った時、この感覚に覚えがあることに気がついた。大学2年の秋頃にも似たようなことを考えていた。その時は、自殺した人の家にあるトイレットペーパーなどの消耗品は衛生上捨てられるんだろうな、そうだとしたら資源の無駄になってしまうから、そうした人を責める意図は微塵もないけど自分は今家にある消耗品を全て使い切ったら死のう、と思っていた。トイレットペーパーなど消耗品の中でも優先度の高いものが先になくなったら、その辺の紙でお尻を拭けばいいやと、そんな感じで身の回りから消耗品が一切なくなり、本や服などは全て売るなり他人にあげるなりして処分してから死のうと思っていた。しかしなんだかんだトイレットペーパー以外の紙でお尻を拭くということはできなかったのだ。お尻はトイレットペーパーで拭くものという固定観念があるし、仮に先ほど述べたように他のもので拭いたとしても不快であることは確実だろう。不快すぎてこんな生活続けるならすぐに死のう!と、全ての消耗品を使い切る前に衝動的に死んでしまっては元も子もない。また、人が家に遊びに来たりすると、その人には快適に過ごしてほしいからとせっかく使い切った石鹸やらなんやらを近所のコンビニで買い直すこともあった。そんな感じで過ごしていたら死ぬタイミングを逃して、いつのまにか生き延びていた。今回もなんだかんだ言って積読がどんどん溜まっていったりして死ねないのだろう。
死ねない、という言い方をしたが、死ねなくていい。こんなにも死にたいと言いながら死にたくないのはなぜか。これはなんとなくそう思うだけで根拠はないのだが、私は生命力が強い方だと思う。生命力の定義が難しいが、単に体や精神の強さなどではなく(それでいうとかなり弱い)、なんだかんだ生き延びる力というか、そんな感じだ。この強い生命力を誰かに分けて死ねるならすぐにでもそうしたいところだが、もしも実際に全知全能の存在が現れてそうしてあげましょうとか言われても怖くなって無理だと思うし、現実的にできないことに少し安心している自分は確実にいる。多分、死にたくないのは、この強い生命力を使いこなせないまま死ぬのはもったいないと思っているからだ。
先のことは考えられないのに、もったいないという感覚が私の命を繋ぎ止めているのは笑える話だ。矛盾しているように感じる。でも案外、みんなこんなもんなのかな、漠然と死にたいように漠然と生きているのかもしれない。
私は社会のレールに乗ることを諦めてしまった(諦められるようになるまでの経緯もいつかnoteに投稿したいと思っている)ので、先のことはわからないが好きに生きて好きに死んでいけるという人生を歩めるのだ。それだけでも生きる価値はあると自分に言い聞かせてみる。とりあえず、本屋さんに行こう。うーん、でも今日は外に出たくないからネットで探そうかな。このあいだ人から「恐ろしくつまらないから読んでみて」と押し付けられたつまらなさそうな本でも読もうかな。この本が人生で最後に読む本になるのは嫌だから、もう少し生きよう。


たまに小春日和のような、世界がキラキラして時間の流れがゆっくりで、自分がここにいてもいいような気がする時、強く死にたいと思う。 とか、トイレットペーパーのことを書いてくれて、本当に、ただありがとう。