「暴力装置」は「差別用語」か?
前書き
2011年、自民党が野党に下った民主党政権時代のことである。野党自民党から、仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて、厳しい追及があった。だがその追及は的外れといってよかった。単なる言葉狩りである。
この後自衛隊は「実力組織」という訳の分からない造語で呼ばれることになった。
このように野党に落ちたとたんに、言葉尻を捕まえて批判した自民党の佐藤ゆかり、丸川珠代、佐藤正久、世耕弘成議員らは後に自民党が政権に返り咲いたとき、重要な役職についている。高市政権でも同様だ。
現在の政治の劣化はこの頃すでに萌芽していた。
目次
●前書き
●暴力装置は差別用語か
●国家の武装組織は暴力装置である
●自民党の結党理由を知らなかった丸川珠代参院議員
●反論できなかった与党の当事者能力の欠如
●暴力装置の意味とは
●武装組織は性悪説で管理するのが当然
●警察改革を表明していた民主党政権
●当時の国会答弁
暴力装置は差別用語か
2010年、国会答弁で与党民主党の失言がたびたび問題になったが、仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことを野党が追及し、後に仙谷官房長官は陳謝し、「実力組織」と言い換えた。また菅首相も同様に謝罪した。
しかし、「暴力装置」という言葉自体に問題はない。むしろこの言葉に脊髄反射して問題視する野党の偏狭さの方が問題である。
自衛隊の行事において来賓が与党を批判する内容のスピーチを行ったことに対して、北沢防衛大臣が「そのような人物を来賓として呼ぶな」という通達を出した。これが批判され、この件に関する答弁の中で仙谷官房長官の「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから政治的中立を守らなければならない」という発言が出た。
北沢大臣の通達は行き過ぎである。このような通達は自衛隊の現状を憂うような発言ですら禁じることになりかねない。また来賓のスピーチ原稿を事前に当局がチェックするなら事前検閲にあたり、憲法に抵触する恐れがある。これでは共産国である。
来賓が原稿にないことを喋った場合、明治時代の政治講演会のように「弁士中止」と、邏卒(警官)よろしく警務隊が取り押さえろというのだろうか。せいせい口頭で不快の念を示すぐらいで良かったはずだ。筆者は北沢大臣の措置は異常だと思うし、彼に防衛大臣の資格はないと考える。
だが、「暴力装置」という言葉が不適切だったとは思わない。こんなことを国会で問題にするほうが異常である。
国家の武装組織は暴力装置である
市民が武装を禁じられている国家においては軍隊(我が国では自衛隊)、警察、海上保安庁など武装した公的な組織が、暴力を独占し、いざという時は実力を行使するからこそ、治安と体制が保たれている。好き嫌いは別として、これは厳然たる事実である。
これが暴力装置でなくて何なのだろうか。ボーイスカウト的組織とでも言い換えれば野党は満足するだろうか。
極めて強大な暴力を行使できるこれらの組織を、慎重に制御・管理するのは政治の務めである。それを「これらの組織に危険は全くないのだ、彼らの忠誠を疑うのか」と、煽るのは無政府主義者によるアジテーターのたぐいでしかない。その方がよほど危険だ。少なくともそのようなポピュリズムに走る人間は国会にいるべきではない。
恐らく野党が攻撃した理由は「暴力装置」という言葉は学生運動華やかなりし頃、左翼がよく使っていたから気にくわない、仙谷氏もかつては左翼だったから、自衛隊は嫌悪すべき暴力集団であるとの本音が出たのだ、ケシカラン、というものだろう。だがそれは感情論に過ぎない。感情論を国会に持ち込むべきではない。それではかつての社会党だ。
「暴力装置」とは社会学者のマックス・ウェーバーが使い始めた言葉で、左翼に限らず政治学や社会学を囓った人間なら今でもよく使う言葉だし、「差別用語」ではない。左翼から見れば「右派」「保守派」である筆者も「暴力装置」という言葉はよく使っている。
当時の自民党政調会長の石破茂氏も、筆者との共著「軍事を知らずして平和を語るな」(KKベストセラーズ)において次のように述べている。
「国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます」
この件で与党を攻撃していた野党、特に自民党の諸氏は仙谷氏の「暴力装置」は許せないが、石破政調会長の「暴力装置」はOKとでも言うのだろうか。
もしそうならば、度がしがたい差別主義者であり機会主義者だ。かつて「ソ連の核兵器は良い核兵器、米帝の核兵器は悪い核兵器」と主張していた極左集団と同じ程度のメンタリティの持ち主ということになる。
また左翼がよく使う言葉がダメならば「連帯」「人民」「反面教師」「総括」「階級闘争」「革命」「自己批判」「一点突破後全面展開」などという言葉も国会答弁で使えなくなる(反面教師は毛沢東の造語である)。
かつて一部の「進歩的文化人」や「平和活動家」たちは企業で「経営戦略」とか「本部スタッフ」とか「営業部隊」とか、軍隊オリジンの言葉を使うな、と主張していたが、左翼用語を使うな、というのはそれと同じだ。自民党はいつから左翼のような言葉狩りをするようになったのか。
元々は特別な思想の人間が使っていたり、侮蔑的な意味で使われたりしていたが、現在では普通に使われている言葉は多数ある。
例えば1980年代、評論家の中森明夫氏がコミケやSF大会に集まるマンガファンやSFファンをひっくるめて「おたく」と呼んだ。これがあっという間に広がったが、当初この言葉は侮蔑的だと当の「おたく」たちは反発していた。その後、宮崎勤事件などもあり、長年「おたく」という言葉には差別的なニュアンスが強かった。だが「おたく」以外に「おたく」を包括的に一言で指す言葉は登場はせず、その後も「おたく」という言葉は生き延びた。
現在では特に差別的な用語とは認識されておらず、普通に使用されている。「おたく」と発言したら、差別発言だという人はいないだろう。「暴力装置」も同様である。
自民党の結党理由を知らなかった丸川珠代参院議員
自民党の丸川珠代参院議員は「我々の平和憲法を否定するものですよ。謝って済む問題ですか!」と国会で激しく追及していたが、筆者には既視感がある。些細なことを針小棒大に言い立てて国会を止めていた、程度の低い社会党議員とそっくりだ。また学園紛争当時、教授たちをつるし上げていた活動家による「人民裁判」を彷彿する。
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