軽井沢の田舎 茂沢2 白鬚(しらひげ)神社と薬師堂
東光寺の反対の山裾に白鬚神社がありました。
白い髭の神様がいらっしゃるのでしょうか。
石段登っていくと途中の右手にお堂がありました。
一寸、中をのぞいて見ました。
中には金色の阿彌陀如来がいらっしゃいました。
阿弥陀堂ですね。
昔の神仏習合の名残でしょうか。昔は神と仏は仲良しでした。
江戸時代には、ここに、別当寺があったようです。
白髭神社へはこんな石段を登ります。
なおも白髭神社は、滋賀県高島町の白髭神社を、総本社です。
総本社と同じく祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。
もっとも総本社では別名を比良明神ともいいます。弘安3年(1280)の比良庄の絵図では「白ヒゲ大明神」とあるそうです。
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石段脇の石仏たちです。
磨耗して原型は定かではないものもありますが、感じからして。いずれも双体道祖神のようです。
もしかすると、この双体道祖神は、かつて集落の入口で、村に邪神が入らないように、人々を守っていたのかもしれません。
今は静かに参拝者を心待ちに待っているようです。
白髭神社・・・
白髭神社についてはHPによると「創建は先に元禄3年(1690年)に調査をし、享保13年(1728年)11月吉日になされる。」とあります。
また、「白髭」というのは「新羅(しらぎ)」がなまったという説もあるそうです。そして高句麗から武蔵国高麗に渡来した高麗若光(こまの・じゃっこう)という長を祀り若光が、晩年、白い長い髭だったので白髭様となったともあります。
こちらが本殿・・・
長野県には長野市鬼無里村の国の重要文化財、伊那の高森町に長野県宝の白髭神社があります。信州の官営牧で馬を育てたのは朝鮮からわたった人々が多かったようです。古い時代はそうした、大陸からの人々が日本にわたり、日本人として溶け込んでいきました。そういう人たちが故郷の神を祀ったことも考えられます。
境内からの茂沢の集落・・・
いずれにしてもこの神社は江戸時代からの茂沢集落の守り神だったようです。
茂沢の集落に戻ります。
信濃追分駅に向かって帰っていきます。
すると薬師如来という石碑があり、小道の奥にお堂があります。
当然薬師堂ですね。
小さなお堂で。何の飾り気もありませんが素朴で素敵な茅葺のお堂です。
このお堂の由来も判りませんが、でも、薬師如来は病気を治す仏で医王如来とも言います。医薬の発達してない昔には村人は病気になるとこの如来にすがったことと思います。
また、由来も判らない場所などというのか、国際都市軽井沢にあるというのも悪くないですね。軽井沢が失ったものが、ここには確かに残されているようです。
お堂の中には薬師如来・・・
右の小さな仏たちは十二神将・・・
薬師如来と薬師経を信仰する者を守護するとされる十二の武神である。仏ではなく、眷属(けんぞく)と問います。親しく従う者、ここでは仏を守る従僕といえばいいのかもしれません、
この写真では判りにくいですが、十二神将の頭部には子、丑、寅…と十二支の動物が載っています。をいう。十二支は、時間、方角を示し、それぞれが、自分に与えられた方角を守るのだそうです。
境内の一見灯篭のように見えますが、火袋が無くてその六面に六地蔵が彫られています。この形のものを石幢(せきどう)または六地蔵幢(ろくじぞうどう)といます。
石幢は六地蔵と同じ意味で、死後、六道をさまよう死者の往生と安息を願うものです。
亡くなった人の六道での幸を願う心がこうしたものを作ったのでしょうか。
この日登って来た八風山・・・
両端の樹の枝のあるところを除いた山陵がこの日歩いたところ・・・
この後、もう一度小さな山を歩きたいと思っていましたが、雪が降ってしまって、この小さな山歩きが今年最後の山歩きとなりました。
を少し除くと歩いてきた山稜です。
茂沢からの浅間山・・・
この日の歩き納めは信濃追分駅・・・
あと3キロ程ですが、この日は12月上旬で、日暮れが一番早い短い時期・・・
後は寄り道をしないで帰ります。
途中で日は山影へ・・・
散歩はこれでフィナーレです。
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