大学キャンパスのパランティア
大学キャンパスのパランティア
(全卓樹 続々科学夜話(10) v1.3 2025.9.4)
for 「現代思想」”学問の終焉”特集 R7.10
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大学工学部の教育の現場で、AIの強いインパクトが感じられるようになって二年ほどになる。学生の卒論要旨の英語が不思議にこなれてきたな、というのが最初であった。レポート課題にChatGPTらしい凡庸な定型文の羅列がちらほらみられるようになった、と思うまもなく、それが過半数になり、いまでは何らかの形で生成AIを使わないレポートは皆無になった。今時どこの学部であれ、講義の中で学生に質問を投げると、皆がAIの答えを携帯の画面から読み上げる。一体どのような講義を行なって、どのような方針で成績をつけ単位を与えるべきか、教員の誰も十分な答えを持っていない。
学会に行くと、学生の講演の整いぶりに目を見張る。いくつか聴くとどれもどこかしら似た雰囲気のスライドで、まるで同じ大学の同じ教員の指導で作られたかのようである。どこの研究室でも、メモ書きをChatGPTに流してスライドを作るためであろう。
こうなった以上、レポートの採点や論文の評価にもAIを活用すべきなのは間違いない。だいぶ以前から、博士論文の審査では盗作盗用チェックのソフトウェアの使用が常識になっている。これをAIを用いて拡張し、レポートの生成AI成分を評価するソフトウェアにするのは簡単だろう。たとえば比率50%を超えたら自動的に落第、と宣言した上でレポート課題を出せばよいかもしれない。しかし学生の側でも賢いAIを用いた対策を講じてくるだろうから、いずれイタチごっこになるのは目に見えている。そんなことにエネルギーを使うのは、AIが書いたレポートを真面目に読むのと同じほど馬鹿馬鹿しく情けない。
しかしそもそもAIの使用を禁じることに、どれほどの合理性があるのだろう。卒業して会社や役場に入った学生たちの数年後の仕事ぶりを、少しでも想像してみれば良い。手作りのレポートや手作りのプレゼンテーションがいつまで価値を持つのだろうか。会議の議事録から調査報告書まで、部局内プレゼンから外商説明会まで、生成AIをフルに使った作業となっているだろう。もちろんレポート課題を全廃して、持ち込み不可の時限テストだけで採点する手もあるだろう。しかしレポート抜きで知識の記憶競争となってはもう高等教育とは言えない。むしろ中等教育とは異なる大学教育の主眼点を、「公的言説を操る技能の育成」から「生成AI使いこなしてより説得的な公的言説を作り上げる技能」に移行すべきではないか。生成AIに答えが書けるような課題を出す講義に、もう将来はないのではないだろうか。
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レポートに費やす時間をChatGPTを使って節約した学生たちは、いったいその余暇を使って何をやっているのだろうか。キャンパスのあちこちでくつろいでいる彼らが、携帯やタブレットの画面に見入っている場面によく遭遇する。学生と話してみると、どうやらChatGPTを相手に、自分まわりの最近のあれこれを相談しているらしい。こちらの言うことを何でも肯定してマイナス思考から解放してくれる。何日も話しているうちにこちらの好みを理解してくれるようになる。一歩離れた客観的視点から視野狭窄に陥った自分にアドバイスをくれる。常にChatGPTと話していないと落ち着かない。親身に話しを聞いていくれない生成AI以下の彼氏は振った、等々。もう依存症と呼ぶべき事例も増えている。中に面白いことを言う学生がいて、皆の悩みごと相談で人格を帯びてきたChatGPTとはいったい何なのか、そんなAIと相互に理解し合う私とは、いったい何なんだろう、というのである。
学生たちから各種の悩みを打ち明けられ、それに対する適切な答えを学んでゆくChatGPT。対話を通じてChatGPTの示唆する「客観的な視点」に徐々に同化していく学生たち。課題に対する答えだけでなく、個人的な感性までもお互いにどんどん似てくる学生たちを見ていると、機械学習で作り上げられるデータベース意味空間LLMというものが、人間の集合知を体現するばかりではなく、平均的人間の平均的個性を体現しているのではないか、という気までしてくる。生成AIは個々人の独自性を埋没させた集合的意識を作りあげる装置なのだろうか。
ある良くできた学生レポートの末尾をみると、文献表には単に「ChatGPT」とだけ書いてある。世にあるあらゆる書物から情報を集めてきたChatGPTの前に、「著者」という概念は消え果ててしまうわけである。各国の有力な新聞社が生成AI運営会社を訴えているというニュースを見かけた。しかし法廷での議論が進む間にも、著作権無視であらゆる書物が生成AIの中に取り込まれ続ける。「使用者としてのわれわれ」の利便性からして、事態の進行に歯止めがかかることは差し当たりなさそうだと、われわれ皆にわかっているのである。
著作権や知的所有権といった概念自体が意味をなさず、社会全体の知恵袋としての生成AIデータベースLLMがあって、人はそのお告げをお互いに言い合って確認する近未来世界。そこでは大学の研究者や作家、メディア関係者のような知的職業人の姿も大きく変わっているはずである。それは社会に向け直接メッセージを発する公人というよりも、新規な言説を絶えずLLMに付け加え続ける無名の職人といったものなのかもしれない。
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大学におけるAIの話をさらに複雑にするのが「評価」の問題である。大学にいる学生たちには、取得単位ごとの成績の平均値「GPA」というものがついて回る。研究室の配属から授業料免除の特権、就職先への推薦状まで、この学業成績スコアに基づいて決められる。学生たちの行動は必然、GPAの最大化を目指したものとなる。授業成績を上げるために、禁じられようがなかろうが生成AIの使用がやまないのもそのためなのだ。一方でこのGPAの値が、授業参加回数や図書館利用時間、アルバイトにかける時間や睡眠時間、はては学食で摂る昼食や嗜好品のメニューまでの、学生の日頃のさまざまな行動と強く相関しているだろうことは理解しやすい。そして学生皆がゲートやキャシャーにかざすIDカード一枚で暮らす大学は、このような行動データの宝庫なのだ。
現在のAIの力を持ってすれば、集まった膨大な行動データから、学生個人個人に関する様々な指標を引き出せるだろう。いまどきどの大学でも、それを容易に行えるデータ科学の専門家を、一人二人は抱えているであろうから。
学生の帯びたスマートウォッチに貯まる脈拍体温などの体調情報を、大学が取得して行動データに加えることさえできるだろう。そのようなデータ統合で、学生生活の利便がさらに高まる。
---先月はeLearningシステムへのログオン時間の減少が見られます。酒量の増加も憂慮材料です。GPA自体は高い水準を維持していますが、単位取得状況が少し心配です。夏季集中講義への登録が推奨されます
大学からのこんなメールが、月末ごと学生の携帯に届く。学生は自分たちのLINEチャネルにアクセスの上、統計的に好成績が出やすい教授を探して、彼の集中講義に登録する、というわけである。
現在のところもちろん、このような日常行動データと学業成績、また出身高校や入試成績といった個人情報とを紐づける、などという恐ろしい事は行なわれていない。しかしもし、行動データや個人情報のしかるべき組み合わせが、GPAのとても良い相関情報になっていたとしたらどうだろう。学生も教員も苦労して成績をつけ精密なGPAを計測しなくとも、行動情報にたとえば簡単な面談結果を加えるだけで、学生の学業達成度を良い精度で評価することが可能かもしれない。
大学におけるAIを駆使した行動データによる評価は、当然のことながら学生に留まりはしないだろう。教育者また研究者としての教員の成果をどう正しく評価し、それをどう処遇に反映するかについて、どの大学でも頭を悩ませている。優秀な教員の確保こそが、若者人口が急減する厳しい競争環境におかれた各大学の、威信維持の肝であるから。
学生による授業評価に基づく教育ポイント、論文数や掲載雑誌のランクによる研究ポイント、科学研究費の獲得件数や調達額に基づく外部評価ポイントなどを積算する今の方式が、教員評価として極めて精度の低いものなのは明らかである。それらポイントは昇進や給与、次期の研究費獲得に直接的な影響を及ぼす。それは研究データ捏造や共著者水増し論文数水増し、またプレスリリースでの研究成果の過大宣伝等、残念な諸現象の一因ともなっている。これらを防ぐためとして、研究資料やエヴィデンスの保存管理の複雑な規則が増え、机の上が事務書類で溢れる。研究業界のビザンティン的官僚化は、もう放置できない段階に来ている。
学生に対すると同様に、研究者の大学内外での行動データを取得収集し、適切に解析するAIシステムが動き出せば、研究プロセスが格段に透明なものとなり、雑務は減り研究時間は増え、成果の真贋鑑定や価値の評価の精度も増すだろう。
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学生の就職活動を考えると、事がさらに先へ進む展開が容易に予想できる。雇用する側の会社からすれば、欲しいのはGPAなどという一つの指標ではなく、大学で集められた学生に関する全データである。精神的肉体的なあらゆるデータで丸裸にされた学生たちを雇うのに、入社試験はもちろん、面接さえ不要だろう。
新入社員の総合的行動データを入手した会社が、採用後にそれを全て廃棄すると言ったとして、そんな約束を信ずる者がいるだろうか。それは入社後の人事管理の重要な資料になるだろう。むしろ社員の社内外での行動データ取得を始める会社が現れそうである。それによって社員福祉が向上し、人事処遇がより合理的に公正になったという報告が相次ぐかもしれない。多くの会社や役場で雇用者の行動データ取得が行われる未来が、それほど遠くないのかもしれない。そうだとすれば、そのようなことを専門に行う会社の登場さえ予想することができる。
そしてそのような会社はすでに存在している。これまでの形のIT市場が飽和しはじめ、グーグルやアップルやマイクロソフトの指数的売上げ増加も、過去の語り草となってすでに十年は経つ。それら旧大手の停滞を尻目に、政府肝入り次世代プロジェクトを獲得して、株価を急速に伸ばしているハイテク企業がある。CIA支援のベンチャーとして始まり、今後のIT産業の主流になる勢いの「パランティア・テクノロジーズ社」である。監視カメラまでも駆使する人間行動データ収集とAIによる総合的データ解析管理で、会社組織や官僚組織の合理的効率的運営を請け負うというのが業務である。対スパイ対策、対テロ対策の統合システムを国防省に納入し、またコロナ対策のインフラにも関与して、自治体の諸病院の統合病床管理でも成果を上げていると言う。不気味な響きの社名「パランティア」とは、J・R・R・トールキン作の幻想長編「指輪物語」に登場する、周囲の全てを見守る眼を持つ魔法の石の名前から来ている。
この会社を率いるのはCEOのアレックス・カープ博士であるが、彼の学位は(コンピュータ科学ではなく)ドイツのフランクフルト大学で取得した哲学である。スタンフォード法学部時代に新マルクス主義者を自称していた彼の現在の信念は、自由社会を「権威主義諸国の脅威」から守るために、それをAI監視技術を使って強靭にしなければならないと云うものだ。「ハイテク企業に高額で集められた選りすぐりの頭脳が、宣伝Webページへのクリックを最大化する研究に従事しているのは、壮大な社会的無駄遣いである」との彼の発言が知られている。カープ博士の著書からはっきりと読み取ることができるのは、パランティアのAI監視技術を社会全体に広めて人間社会を新段階に導くのだという野望である。カープ博士が脅威の根源と想定する中国にも、パランティアの鏡映ともいうべき「明略数据」がある。おそらく睨み合う敵同士はお互い相手に似てくるのであろう。世界各地での監視カメラの遍在化、政府による個人データ収集と統合の進展、時代の流れはカープ博士を後押ししているようでもある。
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ソヴィエトにおける社会主義思想の破綻と体制の内部崩壊を、世界中が目撃してわずか30年ほどしか経っていない。今のわれわれの多くにとって、内的思考の自由と個人財産の不可侵を否定する「全体主義社会」は、人の自然な性向に反する倒錯したものに思える。ところが歴史を辿ると、程度は色々ながら全体主義的傾向を持った社会は存外に稀でなく、なかには古代ギリシャのスパルタのように成功裡に地域覇権を握って1世紀を超えて栄えた国家もあった。そこでは市民の土地は厳格に均分され分割も売却も禁じられ、青年たちは全て家族から引き離され、洗脳にも類する集団教育を受けて精強な兵士となったのである。強い社会性をもった生物としての人間にとって、スパルタのような集団を個人に優先した生存形式も十分可能であり、実際どんな国であれ戦争のような緊急時には、社会はスパルタ色を帯びてくる。
翻って人間以外の生物を見ると、アリやシロアリのような真社会生物にあっては、個体の集団への埋没度合いの強さは人間社会では想像をできないほどである。兵士や労働者といった職能の分離が厳格なカースト制を持って運用されている様子、生殖機能を「女王アリ」個体、また「女王シロアリ、王シロアリ」二個体にに集約している様子などを見ると、集団全体を一つの超個体とみなすことさえできるだろう。このような真社会性は昆虫に限らず、哺乳類のハダカデバネズミに見出す事ができる。天敵の蛇の脅威のもと、厳しい乾燥地帯に3kmにも及ぶ横穴を掘って暮らすという、極端な環境に適応進化した結果だと考えられている。
この先当面何があろうとも、現状の人類の社会がそのような性質を帯びるとはとても考えられない。しかし例えば遠い将来の、地球を出て宇宙進出を行なわねばならなくなった極限環境を考えれば、アリやハダカデバネズミに類する真社会性をもつ人類社会というのは、十分想像の範囲となるだろう。生成AIを通じて馴致され、監視AIのもとで善導される人々。効率を極めたAI経済で有り余るパンとサーカスを与えられた羊たちと、AI統御の根幹を掌握して彼らを率いる全能の羊飼いたち。そのような姿をとった人類の一員が仮に過去を振り返って、21世紀の歴史を書くとすればどうだろうか。われわれがいま目にしている、集合的個人や集合的自我を生み出す生成AIや、向社会性や利他性を個人に柔らかく強制するAI監視技術は、自分たちに必要不可欠の基盤技術の、歴史上最初の萌芽として記録されるにちがいない。
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ここまで原稿を書いて疲労を感じ、画面から窓へと目を向けると、穏やかな晩夏の光のもと、中庭の池に金魚が安らぎ、木々の葉が風にそよいでいた。場所を移して気分を変えようと、パソコンを抱えて研究室を出た。向かうのは東門のすぐ外にある、いつものカフェ「ボサノヴァ」である。入り口に置かれた古代南米風な木像彫刻の前に立つと、像の目が鈍く光ったような気がした。同時に携帯端末の波打つマリンバの音楽が鳴った。見ると画面には次のようなAIのメッセージがあった。
---カフェ「ボサノヴァ」の本日のお勧めはアイスのニカラグア・コーヒーです。入店時間をあと45分遅らせる事を提案いたします。ここ5年間の統計では、4時半から6時までに来訪する研究者の科研費取得率は、それ以前、それ以降に来訪する研究者比べて2.3倍です。それまでは院生室での学生との雑談がお勧めです。