女性は文明を築き維持出来るか?
この質問の答えはフェミニストと恐らく半分ぐらいのアンチフェミストが共通の答えを出すだろう。それは端的に言えば「女性はソレが出来るが、何らかの原因により今は出来ないように見えるだけ」だと。両者の違いは、それがどの程度社会構造に起因するかの割合だ。
女性が社会の中核に進出するとどうなるか?に関しては左右男女問わず意見が1致している。端的に言えば女性のプレゼンスの強い組織は、客観的な真実よりも社会正義を、事実よりも感情を、法律よりも状況を、専門知識よりも被害者意識を重要視するようになる。この変化はNatureが分かり易いだろう。西側諸国の科学誌の最高峰は、性差を強調するような研究をまさに上記の理由で禁止した。
これが女性の志向の反映であることは疑いようがない。例えば女性は「STEM分野の女性はもはや採用や出版において差別されていないこと」「教育・職業上の成果における性差は、様々な個人的属性における男女間の進化的な違いによってよりよく説明できること」を示したプリントを配られた際、女性は男性に比して情報を受け入れないうえに検閲(キャンセル)すべきだと主張する志向がハッキリ観察されることが研究で確認されている。
これに対して「自分に否定的なデータだから当たり前だろ」と反論する方もいるかもしれないが、他の研究はそれをハッキリ否定する。例えば性差において男性に有利な性差が見つかったとする架空の研究と、女性に有利な性差が見つかったとする架空の研究を提示した実験がある。男性に有利な性差が見つかったとする研究は、上記と同じく女性はその情報を受け入れない志向が現われた。1方で女性に有利な性差が見つかったとする研究において男性は女性と同等にその情報を受け入れた。男性は自分に不利益がある情報であれ、公平に取り扱う。
https://bpspsychub.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/bjop.12580
その他の研究例はコチラを参照
この女性の志向が今の社会に反映されてることは自明だ。女性は男性より理系に向いていないと発言する者はキャンセルされ、STEAMの女子枠拡張を非難したノーベル賞受賞者もキャンセルされ、理系学部への女子枠に反対する署名運動もキャンセルされ、もはや女性が理系に男性と同程度に向いてるか否かは「向いている」ことを前提として検証すら許されない状況になっている。
また女子枠に限らず女性専用の支援施策や法律が続々と出来上がり、男女共同参画関係予算は10兆円を超える1方で、男子は就職の枠やトイレを削られ続けている。そして司法においても警察は女性を逮捕せず、検察は女性を起訴せず、裁判官は女性に男性に比して執行猶予や軽い量刑を乱発する。これは何れも数字に基づくエビデンスがある事実だ。今の日本社会において、男性的な意味での公平は消滅しつつある。
根本的な問題は、この社会全体の女性化とそれに伴う変化の議論は、正にこの女性化によって防がれることだ。私みたいな社会不適合者以外に、この手の問題を語っている方はいるだろうか?少なくとも表社会や公共の場で語っている者はいない(私が言うのもなんだが、男性は社会における不当な扱いの弁護人が、尽く私みたいな社会不適合者以外に存在しないことの意味を真剣に考えた方が良い)。
そして皆が薄々分かっているが、ハッキリ口に出来ないのが、女性或いは女性の集団は文明の維持に必要な基盤…法の下の平等、適正手続きの厳守、言論の自由、真実の探求、私的制裁の禁止…を破壊しつくすのではないか?という懸念だ。実際これらは明らかに後退しており、そもそもフェミニストはハッキリそれをミソジニーと名指し、放棄を目指している。
ここで記事タイトルの問いを再掲する。女性は文明を築き維持出来るか?自身が不利になるファクトを受け入れる事が出来るか?感情を抑えて適正手続きに固執出来るだろうか?男性同様に数字やシステムや抽象的な概念に執着出来るだろうか?社会の為の捨て駒になれるだろうか?
答えは皆薄々分かっているだろう(ハッキリ書けばBANされるので察して)。
女性は女子枠やポジティブアクションに代表されるように業績よりも代表性、功績よりも包括性を重視する。これらが公平で開かれた社会を閉ざすのは説明する間でもない。勿論女性が文明の維持発展に関与したことは事実だが、いずれも男性のソレに匹敵するものではなかった。
これに対する反論は決まっている。女性のイノベーションが少ないのは、女性がそういった機会から遠ざけられ、またロールモデルがいなかったからだ…というものだ。これは女子枠やポジティブアクションを肯定する理論の骨子ともなっている。しかしながら、それを真とするならば、正にそれこそがイノベーションを起こす能力がないことの証明に他ならない。奨励や支援を必要とし、先人を必要とし、それらに頼るということは「イノベーションを起こす能力がない」の換言だ。
我々は女性にイノベーションを起こさせる為に、ありとあらゆる努力をしている。ハラスメント研修、女性に働きやすい職場環境支援金、マイクロアグレッションの内省、女性の為のワークショップ、メディアの応援…そして絶え間ない男性への罵倒。これらはそのまま女性が1般的にイノベーションを起こす傾向にないことの証拠である。そしてこの環境下でも男性がイノベーションを起こしてる事実は、イノベーションを起こす人間は制限された環境下でもイノベーションを起こしてしまうという残酷な答え合わせに他らない。
女性は文明を築き維持出来るか?という問いの答えはさておき、女性は文明を破壊出来ることは確かだ。実際に社会における女性のプレゼンスが極限まで高まったアイスランドは男女平等ランキングで世界1位を記録し続ける近代国家としての破綻を迎えた。
アイスランドの実例
まず第1の破綻は、公教育の崩壊と男子の脱落である。アイスランドでは教員の約80%(就学前教育に至っては約93.89%)を女性が占めており、将来の教員志望者の90%以上も女性である。労働市場全体における女性比率に対し、教職における女性比率が極端に偏る(過剰代表される)ことで、教育方針は従来の「規律と競争」から「共感とインクルージョン」へと極端にシフトした。最新の国際比較研究が示す通り、この「急進的インクルーシブ教育」や「自己主導型学習」は、明確な構造や規律、直接的な指導を必要とする男子生徒にとって極めて不利に働く。結果として、莫大な教育予算が投じられているにもかかわらず、PISA 2022の学習到達度調査において数学・読解力・科学の全スコアが急落し、読解力においては男子生徒の47%が最低限の習熟度にすら達しないという、絶望的なジェンダー格差と学力崩壊を引き起こしている。
第2の破綻は、法治の崩壊と適正手続きの軽視である。フェミニスト法学において、従来の法や客観的基準は「男性中心主義(ミソジニー)的」であると批判され、エビデンスよりも個人の感情、傷つき、共感に寄り添うシステムへの移行が目指された。しかしこの「主観的な正義」を優先した結果、アイスランドでは、動物の苦痛への共感などを理由に、女性大臣が法的なライセンスを無視して捕鯨の即時停止を独断で決定したり、女性法相が評価委員会のリストを無視して違法に判事を任命したりといった越権行為が横行している。客観的ルールよりも主観的感情を優先することは、法治国家の根幹を破壊する行為に他ならない。
第3の破綻は、過剰な「ケア」による人々の脆弱化である。手厚い生活支援と完全な男女平等が達成されているにもかかわらず、自身の状況が完全に平等であると答えた女性はわずか30%に過ぎず、不満が蔓延している。社会全体が個人の主観的苦痛に対して過敏になりすぎた結果、かつてなら人生の些細な摩擦として処理されていた出来事までが「ケアが必要なトラウマ」として認定されるようになった。この過剰な医療化の罠により、アイスランドの女性の自殺率は先進国中で相対的に高く、抗うつ剤の使用率はOECD平均のほぼ2倍に達し世界1位を記録している。客観的なエビデンスを捨て、主観と感情で社会を回した結果、「誰もが平等に学力を落とし、平等に抗うつ剤を飲む」という逆説的なディストピアが構築されているのだ。
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女性だけの街が生まれない理由
女性中心の社会が文明を構築・維持できるかという問いの核心には、文明の「物理的インフラストラクチャー」が誰の犠牲の上に成り立っているかという不都合な真実が存在する。要はインフラ整備、暴力装置はその大半を男性が担っているのだ。
・自衛隊の男女比9:1
・林業の男女比8.5:1.5
・警察の男女比9:1
・消防官の男女比96:4
1970年代に始まった女性だけの街「Womyn's land」は女性が誰もインフラや暴力装置をやりたがなかったが故に崩壊し、男性を(インフラ整備要員として)限定的に受け入れることで延命する羽目になったのは有名な話だが、それ以外の要因による崩壊として象徴的な事件である「女性だけの会社」を紹介する。
テレビ番組プロデューサーとして働いていたサマンサ・ブリックの評判は上々だった。それなりに実績をあげ、凄腕プロデューサーとして業界で知られるようになっている。しかし彼女はテレビ番組業界のミソジニーにうんざりし、女性だけのテレビ番組制作会社を立ち上げた。スタッフは皆優秀で経験豊富。サマンサは男性の妨害や嫌味のない輝かしい会社生活が待っていると信じていた。
しかしサマンサの期待は直ぐに砕かれる事になる。まずはファッションマウンティングが始まった。仕事の成果ではなく、「誰がどこの高級ブランドのハンドバッグを持っているか」「どんな服を着ているか」で互いを値踏みし、激しい見栄の張り合いが勃発する。やがてソレはお洒落派とノーお洒落派という派閥争いに発展し、お洒落派はノーお洒落派を「彼女はシミ隠しを知らないに違いない」と悪口を言い、ノーお洒落派はお洒落派を「バスの乗客は彼女を売春婦だと思ったに違いない」と悪口を言い合った。
そして派閥争いの結果、仕事上の意見を直接ぶつけ合うのではなく、陰で悪口を言って派閥を作り、少しでも注意されるとすぐにトイレに駆け込んで泣き出すスタッフが続出した。同派閥の女性もトイレに行って彼女を慰める為、何か起きれば派閥はオフィスとトイレの2つに別れてしまい、どちらのグループも、お互いの悪口を遠慮なく言い合い、仕事は全くしなくなった。
サマンサも何もしなかったわけではない。スタッフ同士が互いに親切に接するための手引書を作成したりもした。そのアドバイスの中心は、誰に対しても敬意を払い、平等に扱うこと。つまり自分宛ての電話であろうと部下宛ての電話であろうと、きちんと伝言を受け取ることだった。
そして生理問題が襲い掛かる。女性だけのオフィスでは必ず誰かがその時期を迎えているが、それは欠勤や不機嫌の言い訳として周囲に伝染し悪影響を及ぼした。
しかしサマンサが1番頭を悩ませたのは恋愛問題だということだ。彼女は語る。スタッフ全員のパートナーの名前や恋愛関係を今でも覚えている。何故ならそれは仕事に頻繁に支障をきたしたからだと。彼氏と別れて1週間泣き続けるスタッフ、2股をかけているが故に電話対応の指示を頻繁にするスタッフ、オープンプランの部屋で長時間にわたるセックスの様子を叫びながら話すスタッフ…etc。
こうした状況がおさまる時はあった。それは男性と1緒に仕事をしている時だ。男性スタッフを番組制作の為に1時的に雇った際、チームは突然静かになり、より勤勉になり、陰口も減った。その理由は彼女達が性的アプローチするのに忙しくなったからだという。男性との会議になると、スタッフは皆、自分がその場にいる中で1番セクシーだと証明しようと、猛烈な勢いで迫っていく。男性コミッショナーとの会議では、ある従業員が「これを見て!」と言って、ブラジャーの中に手を突っ込み、乳首をいじり始めた。
意外な事にこうした環境でも業績自体は伸びていた。しかし高額な給与とスタッフの会計ミスで利益は飛んでしまう。更に資金繰りに問題が生じ始めた頃、ある銃教員はストレスを理由に1ヶ月間病欠した。しかし彼女は支払いを滞納している顧客からの電話を避けていたのだ。結果として、会社の評判は地に落ち、会社は2年目を迎えずに倒産した。
私が注目してるのは、
>スタッフ同士が互いに親切に接するための手引書を作成したりもした。そのアドバイスの中心は、誰に対しても敬意を払い、平等に扱うこと。つまり自分宛ての電話であろうと部下宛ての電話であろうと、きちんと伝言を受け取ることだった。
の下りだ。これは男性であれば「公私混同をしない」の1言で済む話だろう。というより伝達遮断は親切とか思い遣りとか、そういう次元の話ではない。そして女性は公私の区別が出来ない…というより、公私の区別をつけるという概念自体に反発している。
彼女達の主張を端的に言えば、公私の区分とは社会の都合によって作られたモノに過ぎず、女性の自然な感性を妨害するものである。従って公私の区分をつけない、或は女性的な感性を公的な分野(法律や裁判や政治等)に反映させなくてはいけない…という感じだ。何を言ってるかよく分からないと思うが、要は彼女達は公私の区分は男性が女性を抑圧する為に作ったモノであり、従って女性の自然な感性を中心に据えるべきだと主張している…ということらしい。どういうことか詳しく知りたい方は、ここら辺を読んで欲しい。
※性犯罪を死刑にしろ!性犯罪は裁判不要だ!女性が泣いてるのだから真偽を疑うべきではない!等のXで何回もバズる言説は、まさにコレの最たる事例だ。
適正手続きへの憎悪
女性が公私の区別の典型である適正手続きを憎んでることが1番顕著に表れる分野が法律だ。彼女達の目に止まった男女間の事件、特に男性から女性に対する性犯罪事件は男性の過失が確であるかのように語られ、それに疑問を挟む事や検証自体を攻撃し、今や彼女達に同調しない周囲まで攻撃対象となっている。
無罪判決が出た場合でも彼女達は犯罪者扱いをやめず、裁判所や組織や国家ぐるみで性犯罪を隠蔽しようとしていると解釈して、侮辱罪で捕まってもおかしくないほどの誹謗中傷を浴びせかける。というか実際に逮捕者が何人か出てるようだ。
そして女性が如何に推定無罪の原則を憎んでるかは語る間でないが語っておく。2022年に富山地裁が被害者女性の証言に矛盾や変更が多かったことを理由に、被告男性に無罪を言い渡した。この事件は被告男性が同意なく女性に性交を迫り、迫る過程で怪我を負わせたうえで同意なく性交したとする事件だ。意図的に怪我を負わせようとした証拠がなく、また被害者女性の迫られた状況の説明に矛盾や変更が多かったことが無罪の理由である。確かな証拠がなく、証言も曖昧であれば推定無罪を適用するのは当然だ。だが女性にとってはそうではない。彼女達は主張する。
被害者は、被害を受けたとき本当に混乱の中にいます。意識を飛ばす方もいます。しっかり記憶があるということ自体、本来ない状況だと思っています。そのへんの心理的なものが全く理解されていない
女性は性的に迫られた際は記憶が曖昧なのに同意しなかった事だけは鮮明に覚えており、尚且つ犯人同定出来る特殊な精神状態であると仮定しない限り、これの肯定は不可能だ。性犯罪に限らず、あらゆる犯罪は明確な証拠を提示できなければ例え犯罪が事実にせよ「疑わしきは被告の利に」を貫徹させるのが法治の原則だ。そして、この法治の原則は女性によって破壊されている。
例えば2001年に起きた御殿場事件が有名だ。これは当時15歳の少女が御殿場中央公園で10人の少年から強姦されたと訴えた事件だ。しかし、もうこの概要を語るだけで問題が生じる。少女は警察に強姦された跡がないことを指摘されると、自分がされたのは強姦未遂で、体を触られるなどの猥褻行為をされたと主張変更したからだ(更にややこしい事に猥褻行為も主張変更が入る)。
取り調べの中で暴行にあった日は少年達にはバイト先のタイムカードや家族の証言等の完璧なアリバイがあり、少女の証言は破綻した。しかしここで少女は被害にあった日を9月16日ではなく9月9日に変更した。
犯行があったとされる9月9日は台風15号が接近して大雨洪水注意報の発表されており、御殿場市周辺では一日降雨量45mm以上の雨が降っていたと記録されている。それにも関わらず、少女の服装は汚れておらず、公園の泥等も付着していなかった。また少年達にはカラオケ店を訪れているアリバイがあり、店長もそれを証言していた。しかし櫻井龍子裁判長は以下のことを理由に有罪判決を下した。
・犯行日変更は少女がショックで混乱していたから仕方ない
・カラオケ店のアリバイは予約票カタカナ記載だし虚偽の可能性がある
・事故現場付近で雨が降っていたとは言い切れない。公園記録では雨と記載されてたが、その時間帯は奇跡的に降ってなかったかもしれない
また男女の量刑には明確な性差があるが、多くの女性は司法は女性に対して偏見を持っており、女性の証言を信じようとせず、彼女たちの苦しみに関心を示さないと認知している。
またmetooやキャンセルは適正手続き憎悪の最たるものである。何故ならmetooやキャンセルは公的な手続きによらず制裁を求め、そしてインターネット等の誹謗中傷により私的制裁をはかるものだ。要するに現代社会におけるリンチであり、また歴史的に黒人やユダヤ人のリンチは女性が主導した。更に日本人が起こした関東大震災における朝鮮人虐殺事件も1番早く出回り、そして最もリンチに駆り立てた流言飛語は「婦女暴行」であった。
これらが男性に如何に法治への不信感を煽り、更に女性も不満を募らせるという形で、社会を破壊しているかは言うまでもない。
部屋の中の象
女性は文明を築き維持出来るか?という問いに対して、アンチフェミニストの中には「女性は甘やかされてるから自立しないだけで、厳しくすれば自立するだろう」と考える者もいる。しかしながら、ウィメンズランド、女性だけの会社、過去の母系社会を顧みるに、その予測は楽観的と言わざるを得ない。現在残ってる母系社会は、イロコイ連邦、ミナンカバウ族、モソ族があるが、いずれも厳密には男女合議制のような権力システムであるうえに文明に関しては、ちょっと書いたらBANされそうな感じだ。
・Minangkabau(インドネシア、人口500万人超):最大の母系社会。女性が財産所有・家計主導だが、男性も重要な役割を担い、イスラム社会の中に埋め込まれている。
・Mosuo(中国):「歩き婚」、女性が世帯主だが小規模・限定的。
・Iroquois(北米):母系氏族、女性が首長指名権を持つが、実際の政治・戦争決定は男性中心。
・Minoan Crete(古代):女神崇拝で母系社会とされるが、証拠は曖昧で、厳密な女性支配とは言えない(征服により崩壊)。
真の母系社会(女性が男性を包括的に支配する社会)は、記録された歴史上・先史時代を通じて存在しないというのが人類史・人類学の主流コンセンサスだ。大規模・複雑・長期持続した文明が悉く男性主導であり、母系社会が大規模文明として存在しないのは偶然ではない。では、途中から女性を主導にした社会はどうなるか?我々は今まさにその答え合わせをやっている。
そして女性をエンパワメントすれば自立するという信仰に基づく社会実験を我々はいつまで続ける気なのだろうか?ポジティブアクションで下駄を履かせ、女子枠で男性の席をあてがい、女性の道を塞ぐものは無意識の思い込み(アンコシャスバイアス)や何気ない1言(マイクロアグレッション)に至るまで取り除き、ワークショップを開催し、女性は素晴らしいと自己啓発を国家規模で行い、そして税金による支援を惜しみなく注ぎ続けるのだろうか?男女平等とは男性の正当な機会や報酬や近代法の原則を失ってまで達成しなければならないのだろうか?
女性は文明を築き維持出来るか?適正手続きを遵守し、構造的な問題を理解し、不利益になるとしても真実を受け入れ、公平を優先させて感情を抑え、自立し、社会を回す為の歯車になれるか?この問いの答えは皆うっすら分かっているはずだ。しかしそれを明言し、対策を立てるとすれば、人口の半分は確実に敵に回る為、誰もそれを指摘出来ないだけである。
以降、有料エリアでは女性は文明を築き維持出来るか?の答えの根拠の脳科学的解説を行う。
そもそも何故人間は文明を築くことが可能なのか?
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古代人が女性に対していろいろ言っていたのは、全て経験上「女はヤバいとわかったから。」と理解せざるを得ない。 それにしても大変な力作です⋯買って良かった。
有料部分の言及なのでここに書くが、女性は他人と協力できないとする説は、「女性教師は女子生徒を贔屓する」「女性なら犯罪者ですら擁護する」といった強烈な内集団バイアスと矛盾しないか(自他境界の崩壊で自分と同じはずたと直感して行動してるだけで協力の内に入らない?)
やっぱりヒト・人間という単語は男だけを指すのです。異なるものには異なる単語がアサインされているのです。
何度かコメントしたことがありますが、私の持論として「メスは構造化や全体最適という思考を持たない」があります。 よって現代的な意味での社会は作ることができないと今でも確信しています。 今回のrei氏の記事はまさにこれを深化・補強してくれています。 社会とは男性のことなのです。 繰り返…