偏差値で有能さは測れない
この文章は社会に出て数年で、この世の全てを解った気になっている小童による洞察である。
タイトルにもある通り、私は偏差値≠仕事の優秀さだと考えている。
これには賛否の否(ぴ)も有るだろうが、私が言いたいのは「仕事ができる人の偏差値が高いことはあっても、偏差値が高いから仕事できるとは限らない」ということだ。
この時点で頭にクエスチョンマークが浮かんでいる人は、周り右(左でも可) をして引き続き勉学に励んでもらいたい。
実際、私の周りを見ても有名大学を卒業しておきながら、仕事では大した成果をあげられていない人は多くいる。
なぜ彼らは入試や推薦という狭き門を突破しておきながら、仕事ではパフォーマンスを発揮できないのだろうか?
ここからは、彼らに欠落している2つの要素を挙げていく。
まず1つ目はメタ認知力だ。
これは自分を客観視できる力とも言える。
世の中のほとんどの仕事は1人では完結しない。そのため他者とのコミュニケーションが必要不可欠である。
その中で自分を客観視できない人はどうなってしまうだろうか?
自分の置かれている状況や、相手の気持ちを正確に把握することができず、いわゆる「空気読めない人」になってしまうのである。
空気読めない人でも仕事はできるが、自分が求められている動きや、そもそも自分の強みや弱みが分かっていない人に何ができるだろう。
机に向かって勉強をし、試験で高い点数がとれたとしても、仕事においては何の価値もないのである。
また空気の読めない人は、当然周りからの信頼も得られない。
仕事において国宝級の大切さを誇る"信頼"がなければ、成果を出すハードルはぐんと上がるだろう。
そして2つ目はやる気だ。
多くの高学歴で無能な社員は、効率的な結果の出し方を知っている。
なぜなら勉強における、不正解→復習→正解というプロセスは仕事でも応用可能だからである。
しかし小手先だけで小さな改善を積み重ねたとしても、結局頭打ちが来てしまうのが仕事の恐ろしいところだ。
仕事は勉強に比べてそれぞれのタスクが複雑であり、その数自体も多い。
そのためタスクを捌いて成果につなげるには、数をこなせるだけの体力とやる気が求められるのである。
この人たちは「出来るのにやってない」と思われがちだが、「そもそも努力の仕方が分からない」パターンも往々にしてある。
これまでの人生で培ってきた勝ち方が通用しなくなった時、殻を破って思い切りアクセスを踏みつけることができる人間は極めて少ない。
心の安全装置が作動し、ブレーキをかけてしまうのだ。
とまぁ、ここまで偉そうに講釈をたれてきたが、私は大した学歴もなければ大して仕事もできない人間である。
ただ私はこの事実を知っている。ソクラテスの無知の知ではないが、まず自己を正確に理解し、それを受け容れることで人は成長するのである。
いや、してもらわないと困る。
つまりここからは私の独壇場。
この文章を読んで思い当たる節があった自認が高学歴の皆さんは、一度立ち止まって自分について見つめ直してもらいたい。
立ち止まることが、大きな一歩になることもある。



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