有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ #「現金とっぱらい」の現場で

「口座残高は209円ですよ。見ますか?」 就職氷河期世代の49歳男性が「月収11万円」でも生活保護を受けない理由

12分で読める
49歳の男性
イベント系の日払い仕事は土日が現場になることが多い。しかし、来月、仕事があるかどうかはわからない(写真:筆者撮影)

INDEX

労働の対価を、その日のうちに現金で受け取る――。連載『“現金とっぱらい”の現場で』では、現代の日本で「即金日払い」という生き方を選んだ人々の人生を追う。彼らはなぜ、その働き方を選んだのか。そうせざるを得ない理由があるのか。
就職氷河期世代のど真ん中の昭和51年生まれ、49歳の男性。ゲームセンター、家電量販店、新聞拡張員、福島の除染作業、イベント派遣と流れ流れて、日払い仕事にたどり着いた。生活保護も経験し、現在の銀行口座の残高は209円。月収11万円の労働を続ける理由を聞いた。

口座残高は209円。イベント系日払い派遣のリアル

「口座残高は209円ですよ。見ますか」

取材中、著者の「貯金はありますか」という質問に戸田正和(とだ・まさかず/49歳/仮名)は答え、スマートフォンの画面を見せてくれた。ここ数年、彼の主な仕事は、イベント会場などの日払い派遣だ。月に10日から15日ほど仕事に入っている。

「月収は10万円から11万円ぐらいです。そこから年金、健康保険料、住民税を払い、3万9000円の家賃を払うと、あとは光熱費や通信費、食費に消えます。貯金をする余裕はないので残高はいつもこんなものですよ。家賃を払うために毎月必死で働いています」

スマートフォンで残高209円の口座を見せてくれた。貯金はない(写真:筆者撮影)
【写真を見る】「口座残高は209円ですよ。見ますか?」 就職氷河期世代の49歳男性が「月収11万円」でも生活保護を受けない理由(3枚)

現場によるが、日雇いの日給は数千円から1万3000円ほどになる。

「9時間拘束の仕事で1万円いくかいかないかぐらいです。12時間拘束される長めの仕事だと、1万3000円ぐらいです。所得税の源泉徴収はされています。最近はワンピースなど人気のカードゲームの大会で、お客さんの受付や案内に入ることが多いです。ほかにも、幕張メッセなどで行われるイベントの手伝いなどです。

そういうバイトを紹介してくれる派遣会社に4社ほど登録しています。僕ができる仕事が入ると先方から連絡がきます。でも来年には50歳ですからね。雇う側もおっさんより若い子の方が使いやすいのか、案件も減ってきています。また、春先、夏、年末前の12月はイベントが多いんですが、そのほかの時期も仕事が減りますね」

2/6 PAGES

1年ほど前からはタイミーにも登録をした。

「飲食系の仕事には入らないですが、タイミーもやっています。僕が選んでいるのは一般家庭の不用品を運び出す仕事です。4〜5時間やって5000円ぐらいですね。交通費が出ないので近場でないと行きません。こういう日払いの仕事を20代で経験するならいいですけど、もう49歳ですからね」

と年齢を気にする。そんな戸田に日払いの魅力について聞いてみた。

「やりたくなければ断れる。そこは自由っちゃ自由ですね。昔、腰をやっちゃってるので、若い頃から建築系の日払いはやったことがありません。あと満員電車が嫌いなんです。同じ現場に通う仕事もしたことがありますが、満員電車が嫌で辞めちゃいました。あとは、現場にむかつく人がいても、その日一日我慢すれば終わるのがいい点ですね」

正社員を目指しゲームセンターに10年勤務

戸田正和は、母の故郷である九州で生まれたが、すぐに引っ越し、東京近郊の神奈川県の街で育った。

「その街には、祖父が起こしたアルマイトの工場があったんです。父は典型的な2代目のバカ社長で、不倫もしていたし、ろくな思い出がありません。祖母と母も折り合いが悪くて、父も助けるわけでもなく、夫婦喧嘩も多かったです。僕が中学に上がるぐらいのころ、両親は離婚し、妹と一緒に母についていきました」

母親はふたりの子どもを育てるために、パート仕事だけでなく、水商売も掛け持ちした。

「母には、かなり苦労をかけました。僕も家にお金がないのはわかっていたので、高校は公立に行き、大学は諦めました。漫画、アニメ、ゲームが好きだったので、将来はゲーム制作者になりたいという夢はあり、いくつか会社も受けました。だけど、ゲームの専門学校に行く余裕はなく、近い仕事と思い17歳の高校生のとき、ゲームセンターのアルバイトを始めました」

その後、アルバイトの立場のままゲームセンターで10年近く働くことになる。

「ゲームセンターのバイトからがんばれば正社員になれるかもと思っていたんです。でも業界の景気が悪くなり、結局、正社員にはなれませんでした。時給は最初は700円で、途中で790円くらいになったと思います。1日6300円くらいで、月12万円くらいはもらっていました。それだけでは足りなくて、ほかにもコンビニの夜勤、レストランのウェイターなどを掛け持ちした時期もあります」

アルバイトという身分で年齢を重ねることに怖さはなかったのだろうか。

3/6 PAGES

「もしゲームセンターの正社員になっていたら今でも勤めていたと思います。ただ、他の会社をわざわざ受けて正社員になろうとは思わなかったんです。店長のセクハラ事件、飲酒運転での事故などもあり、最初のゲームセンターを辞めました。26歳か27歳くらいのときに、新宿のゲームセンターで1年ぐらい働きましたが、そちらでも正社員にはなれませんでした」

戸田は、正社員という立場に他人が思う以上の重みを感じていた。

家電量販店、新聞拡張員、除染作業と流れるがまま

「人生で一度だけ契約社員になったことがあります」

ゲームセンターを辞めたあと、戸田は家電量販店のパソコン売り場で、インターネットのプロバイダー営業の契約社員として勤めた。

「いきなり店舗に1人だけで行かされました。最初だけ、契約獲得専門の応援部隊が入り、強引に契約を取っていったんですが、大量のクレームは残った僕に全部来る。店舗の副店長はぶち切れ、いくつかの店舗を回っている上司は全然助けてくれない。精神的に追い詰められて、3カ月くらいで辞めました」

昭和51年生まれの49歳。氷河期世代真っ只中の戸田には正社員の職歴がない。

「正社員になったことがないと、まともな職歴になりません。生活のために目の前の仕事をいろいろやりました」

家電量販店の次は、派遣会社に登録し、さまざまな仕事を転々とした。イベント会場の設営や受付、印刷所での作業、マンション管理人、警備員、新聞拡張員。どれも長く続かなかった。

「新聞の拡張員は、住む場所が必要だったため寮に入りました。寮費は4万円するんですが、営業は完全歩合制で1件3000円。1日に100件まわることもありましたが、月に5件しか取れなくて1万5000円。完全に赤字です」

自らも新聞拡張の仕事をする上司は見た目が暴力団風だったという。

「相手がドアを5センチ開けたら、そこに足を突っ込んで、玄関先で怒鳴るという、無茶苦茶な営業をしているようでした」

ここにいたらダメになると感じた戸田は思い切って辞めることを伝えた。

「話をして、辞めることはできましたが、辞めた月の家賃や借金などで10万円が必要でした。どうにもできなくて、母親に泣きついて、清算してもらいました」

しばらく派遣で食いつないで知人の家に居候していたが、数カ月経つと出ていってほしいと言われた。

住むところも金もない。

「追い詰められたので、知り合いのつてを頼り、35歳ぐらいで福島の除染作業に就くことになったのです」

4/6 PAGES

福島県の山間部でセシウムに汚染された土を熊手で削り、袋に詰める仕事や、道路を高圧水で洗い流す仕事だった。寮費は朝晩の食事付きで月2万円と格安だった。

「日給は1万2000円から1万5000円くらいでした。そのころの自分にとっては、かなり大きい金額でした。3カ月ほど働いて別の除染業者に移りました。ただ、朝は早いし、現場は遠いし、旅館の一室に男3人で寝泊まりするような生活です。さらに、親方が毎晩のようにキャバクラに呼び出すんです。僕は陰キャ気質でキャバクラは全然好きじゃない。強制的に行かされて、割り勘でお金を取られる」

さらに同僚の態度があまりにひどいため注意をしたら、職場の雰囲気が悪くなってしまった。戸田は関東へ戻ろうと決め、最後の2カ月はお金を貯めることに専念した。

「関東には帰って来れたんですが、今度は働けなくなってしまって……」

「何もしない時間こそがキツい」3年間の生活保護

戸田の日雇いの仕事歴では、建築系は避けていたが、立ちっぱなしや重いものを運ぶ仕事はあった。25歳でギックリ腰を経験し、腰のヘルニアを患ったこともある。除染作業では肉体を酷使したためか、戸田の腰の古傷を悪化させた。

「除染から帰ってきてから、フルタイムで仕事に入るのが無理になり、生活保護を受給することにしました。役所の担当には『この年齢なら働けるんじゃないですか』と最初は止められました。でも、腰が痛くて仕事に行けないし、どうしようもない。『申請します』と伝えて、書類を出すと通りました」

「暮らしに不安はあるが、家賃を払わなきゃいけないので、派遣でも、日払いでもやれるだけのことはしている」と語る(写真:筆者撮影)

30代半ばから3年間ほど生活保護を受けた。

「生活保護はきついですよ。自治体にもよりますが、僕が受けていたときは家賃込みで11万円ぐらいでした。家賃が3万9000円なので、生活費そのものは7万円ほどでやっていかなければいけません。今は物価も高騰しているので、かなり厳しいと思います。医療費は医療券でかからないので、そこは助かりましたね」

生活保護には制約もある。親族から援助を受けられないかどうかを確認される。車や原付は原則として持てない。働いて得た収入からは、一定額が差し引かれる。

それにしても、戸田正和はよくぞ生活保護から抜け出せたものだ。

5/6 PAGES

「人間、何もしない時間が長いと逆にキツくなるんですよ。朝起きてやることがなくて、二度寝して、昼から酒を飲む。そんなダメ人間みたいな生活に飽きてきます。しかも、僕の場合は、腰以外は健康な体なのに、お金がなくて身動きが取れないんです。精神を病んでいて動けない人や、身体的に働けない人なら生活保護が最適解でしょう。僕は少しは動けたので派遣でもいいからやり直そうとなりました。ただ、今の生活に限界がきたら、また生活保護に戻るのも選択肢のひとつです」

現在の戸田は生活保護とそれほど変わらない収入だが、自ら稼いだお金があれば自由が手に入る。毎日、好きな焼酎を家飲みしているし、趣味のパソコンでMAD動画を作ることもある。割に合わない仕事や厳しい条件の仕事は断ることができる。ささやかでも、戸田には誇るべき生活がある。

「やり直しがきく」のは30代まで

戸田は、日払い派遣の仕事を続けながらも、正社員になろうとしなかったわけではない。高校卒業時には公務員試験やゲーム会社の就職試験も受け、その後も機会があれば会社に応募を続けていた。

「日払い派遣をしながらも面接を受けるなり、応募はしていました。でも、だいたい書類で落ちましたね」

取材中の戸田には話し下手な印象はない。自己分析や課題の言語化もできる。

「そうは言われても、正社員経験がない人間は、成功経験が少ないので、自己評価が低くなりやすいと思います。契約社員どまりだと、自分はあぶれものみたいな意識があります。正社員になることは、例えるなら大学合格です。世間に認められているじゃないですか」

たしかに、著者は戸田と同世代の氷河期世代だ。大学卒業後、受けても受けても就職先は決まらなかった。

「そうなんです。新卒カードを失って、その後も景気は回復しませんでした。人数は多くて、切り捨てられた世代です。どんな年齢でもやり直しはきくといいますが、せめて30代ですよ。49歳なんて、仕事でも結婚でも、厳しさしかないです。実際、この歳では詰んでいます」

結婚の話題が出たので、戸田の女性関係について聞いてみた。学生のころは女性が苦手だったそうだ。

6/6 PAGES

「30代の時に、3回同じ派遣先になった女性と仲良くなりました。1年ほど同棲をしました。結婚を少しは考えましたが、幼少時に、両親がろくでもない別れ方をしたのを見たので、僕には結婚願望がほとんどないんです」

戸田の人生は就職氷河期世代の一例

結婚にも希望が持てない。内閣府の調査では、就職氷河期世代では「結婚に積極的でない理由」として「経済力・不安定就労」を挙げる割合が他世代より高くなっていた。

戸田正和の人生は、就職氷河期世代のひとつの姿だ。

最初の就職につまずき、正社員になれないがゆえに職歴がつかず、自己評価は削られていき、その後の選択肢がせばまっていった。本人はもがいてみるも、社会は非正規雇用というレッテルを貼った。

それでも戸田は生きることを諦めず、日々を楽しむ意識を持つ。

「2日前にパチンコで10万円プラスにしてきました。無理に仕事を入れなくても、今月いっぱいは余裕で生きられるぐらいのお金があります」

銀行口座の残高は209円でも、手元にその金はある。今月なら行きたくない仕事は断れる。日払い仕事は一日我慢すれば終わる。そのような一日一日の積み重ねこそが人生だ。

この取材は、周囲の目を避けるためにカラオケボックスで行われた。取材後、戸田は「せっかくなんで歌っていいですか」と曲を入れた。TUBEの『夏を抱きしめて』だ。1994年に94万枚の大ヒットとなった曲、戸田が高校を卒業するころに流れていた。

曲調にどこか聞き覚えがある。

就職氷河期世代に、また夏がやってくる。

【もっと読む】年収500万円を捨て、透析を受けて…一流電機メーカーを辞めた64歳が現金日払いの「荷揚げ屋」を30年以上続ける切実な理由 では、現金とっぱらいの人生を送ってきた64歳男性を、ライターの松本祐貴さんが詳しく取材している。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ