僕と君の365日が終わった後で。
End of 365.
Thank you for reading.
Hello spring.
See you spring day.
春が全部奪い去って行っても、たった一つ、残り続けた想いがある。
「桜がもうすぐ咲くね」
夕暮れの帰り道、不意に隣から聞こえたその声に反応するように顔を上げた。
少女は街路樹を見ている。正確には、蕾のついた桜の木を。
待ち望んでいたかのように顔を輝かせ、けれども寂しそうにその蕾を見つめていた。
その横顔が、あまりに綺麗だったから。
桜は君の色だと、自分の中で決めていたのだ。
「矢田、矢田蒼空!!!」
「蒼空君起きて、当てられてる」
肩をゆする優しい声に目を覚ます。窓際の席からは暖かな日差しが差し込んで、午後一番の授業を優しく照らしていた。そしてその優しい日差しに、大勢の生徒がやられ、この時間の授業は最早睡眠学習となり果てていた。
眠たい目を擦りながら一つ欠神をして伸びをする。怒号は鳴りやまない。ため息を吐きながら黒板を見た。長ったらしい数式と、怒った教師の顔が目に入った。
「矢田起きましたー」
何とも間の抜けた声で返事をし立ち上がる。教師の持っていたチョークを奪い答えを書き進めていく。独特な音が響いて、緑色の板に白い線を描いていた。
「先生出来たー」
「くそっ…また解かれた」
悔しそうな声をよそに白い粉を払う。震える手で大きな丸を書いた数学教師はこちらを睨んだ。けれども笑い続ける自分に溜息をついて頭を抱えた。
「お前頭は良いんだから、ちゃんと起きてろよ」
「いや、だってこの気温だよ?寝るでしょ」
「寝るでしょじゃない」
未だ眠たい目を擦り再び席に着く。再開された授業。隣を見れば心配そうにこちらを見ている幼馴染の顔があった。
「大丈夫?」
「昨日夜更かししたせいかな、起こしてくれてありがとう、緋舞」
長い髪が揺れて、睫毛に覆われた色素の薄い瞳がこちらを見た。少しだけ首を傾けてその白い肌が光に触れる。少しだけ色付いた頬は綺麗な薄桃色を描いていて、困ったように笑いながら自分を見つめていた。
「また?」
「また」
笑いながら同じように首を傾けて真似してみる。白く細い指の間にペンが通る。
「何してたの?」
「んー、ゲーム?」
「やっぱり」
微笑んだその全てが美しくて。この一瞬を写真に収めたくなった。春の教室で、二人だけの世界に浸りたくなった。
やがてチャイムが鳴り響く。今日の授業はこれでおしまいだ。鞄の中に荷物を詰め、ついてしまった寝癖を直す。すると君が櫛を取り出して髪を梳いてきた。
「どうも」
「いいえ」
されるがままに身体を預ける。自分の髪を心底好いてくれている彼女は、暇があればこうやって触ってくる。優しい手つきで髪に触れとかしていく。それに身を任せるのがとても好きだった。
「今日は部活?」
「ない、家来る?」
「ん、行く」
「緋舞が見たいって言ってた映画あるよ」
「本当に?」
「うん」
「借りて来てくれたの?」
「まあ、そんなところ」
正直に認めるのは少しだけ恥ずかしいから、わざと目線を逸らして答えてみる。そんな事した所で、君にはもうばれているのだけれど。伊達に十年近く一緒にいたわけじゃないのだ。そりゃあばれるよ。それでも良いと思っているけれど。
「ありがとう」
本当は分かっているのに君は何も言わない。僕の強がりを見ない振りをする。そんな人だった。
「矢田ー、今日帰りカラオケ行かねぇ?」
「行かねぇー」
「はい出たー、今日もデートですかー?相変わらず仲良いなー」
友人一同が手を振りながら教室を去っていく。手を振り返し羨ましいだろと叫んでみた。嫉妬に狂ったむさくるしい声が聞こえてきたけど聞こえないふりをした。
「緋舞ー隣のクラスの佐藤君が呼んでるよ」
「何だろ…」
「どうせ告白だろ、却下」
「そうとは限らないよ?」
「限る限る。だって佐藤のやつこの前の体育でひたすら緋舞の事話してたから」
「そう?」
「そう。だから行くな。緋舞は今日、俺と帰る。はい、行こう」
髪を撫でていた手を止めて、彼女のバッグを持ちその手を引いた。廊下で佐藤が情けない顔をしていたが、敢えて見せつけるように目の前を歩いて鼻で笑ってやった。どうだ、そもそも彼氏持ちの女の子によく告白しようと思うな。振られるに決まってるだろバーカなんて内心思いながら歩き出す。後ろで君は笑っていた。
「蒼空君、酷い人だ」
「俺がいるのに佐藤の呼び出し受けようとしてた緋舞の方がよっぽど酷い人だよ」
「わあ、私に当たらないでよ」
「事実だし。大体緋舞がモテるのは百も承知なんだから」
「そうでもないよ、蒼空君の方が人気だよ」
「そりゃあ俺イケメンだし頭良いし運動だって出来るもん」
「蒼空君のその自信過剰な所は誰に似たんだろうね。お父さんかな」
通学路を歩きながら君は後ろで笑い続ける。下り坂に差し掛かった時、不意にその手が離れた。
「緋舞?」
振り向けば君は少し困ったような顔で笑っていた。
「なに?」
「手」
「え?」
「手、こっちの方が良いなあ」
僕の左手をとって、君はその指を絡ませる。繋がれた手に、小さく、よし。と言った君は歩き始めた。
僕は彼女の小さな歩幅に合わせるように隣を歩き始める。
いつから付き合い始めたかと言われれば、多分高校に入学する前だろう。その前から僕らは付き合ってるも同然だったし、お互いに想いあっている事も分かっていた。けれど高校に入るにあたって、恋人というポジショニングを求めた。幼馴染としてではなく。一人の彼女として。今更ながらに君を欲した。
初めて会った日から、僕らはお互いに恋をしていて。初めて会う前から、僕らはお互いを愛していた。不思議だけれど、もし、前世があったのなら。僕らは前の世でも結ばれていたのかもしれない。それくらい大事な存在だった。
無くてはならないもの、かけてはならないもの、隣に居続けるもの、不思議なくらいに愛し続ける事が出来る人。
「桜散っちゃったね」
「また来年も見れるよ」
「そうかなあ」
「疑問形なの?」
「だって来年、生きているなんて保証はどこにもないよ。桜がここにあり続ける保証もない。いつ何が起こるか分からないでしょ?」
「確かに」
「だから毎年、今年も蒼空君と桜を見れますようにってお願いするの」
「神頼みがお好きですね」
「神様なんていないって思ってるくせにね」
「人間そんなもん」
信じたい時に信じる図々しさを持っているのが人間だ。それでも、願わずにはいられないのかもしれない。
「桜流し?」
「…そう、桜流し」
君は笑う。その唇に口づけてゆっくり離れた。驚いた顔をしながら頬膨らませる姿が可愛くて、つい、声を上げて笑ってしまう。
「酷い!」
「ごめんって」
その手を引いて。少し早足で坂道を下ろうか。
桜は昨日の雨で散ってしまった。道を薄桃色に染め上げ、花びらの絨毯の上を僕らは歩く。
踏みしめて今、生きている事を何度だって確認する。
色の溢れた世界で生きている。
例えこの世界の色が全て消え失せても、君だけは鮮やかに色付き続けるのだろう。
365日が終わった後でも、僕らがこの道を歩いて笑いあえていますように。
小さなその手の温もりを感じて、僕は目を閉じた。
いつか、この春の日が再び訪れる事を信じて。