Episode move on green
もう一人の結末。
知らなかったの。何も知らなかったの。きっとこうやって泣いて縋ってしまうから。だから言わなかったのだと分かっていても。
それでも、さよならは言いたくなかった。
泣き崩れてさよならを渋った日から、もう二ヶ月経っていた。
一人歩く通学路は雨上がりでアスファルトが輝いている。眩しくて目を細めても、そこにはもう、誰もいない。そんな喪失感を抱いたままでいる。何も変わらない振りをしている。
あれだけ打ち込んでいた部活も、終わってしまえば呆気なかった。終了のホイッスルが鳴ってチームメイトが泣き始めた時、汗まみれの自分はただ、上を見て目を閉じた。まだ先があるなんて思わなかった。ああ、ここで終わったのだと、誰よりも冷静に実感出来た。
それからというもの、髪の毛を伸ばし始めた。人生、ずっとショートカットのままだったから、少しでも伸ばしてみようかななんて、そんな事を考えた。
けれど脳裏に残った美しい黒髪にはなれるわけもなく、早々にパーマをかけた。肩口で巻かれた髪を掴んで、嬉しい反面少し悲しくなって洗面台の前で泣いたのを憶えている。
こうやって、私は二人を置いていくのだと思った。
「進路調査票、今日までが提出だぞー」
初夏の生ぬるい風が頬を撫でる。夏の匂いがした。空気も何もかも、少しずつ変わっていく。私と一緒に、変わって行ってしまう。悲しくても寂しくても、それでもその事実を受け止めようと思った。
「矢田、お前も早く出せよ」
「はーい」
遠くの席で間抜けな声が聞こえた。いつの間にか彼は大人になっていた。一年前はそこまで離れていなかった身長も、今では頭一個分違っていた。
担任が教室を出ていく。皆が帰りの準備を始め教室を出ていく中、私だけは彼の元に行った。
「矢田」
「何だよ」
少しだけ不機嫌な声。愛想を振りまいていた彼はどこに行ったのやら。そもそも、この態度は私の前でしか出さない。けれど嫌いだと言っているわけでもない。これが彼の素なのだ。誰も知らない、私だけが知っているそんな表情。それが少し嬉しくもある。
「進路相談、どうするの」
「里香は?」
「私は隣の県の大学のつもり」
彼の前の席に座り進路調査票を出す。興味も無さそうにこちらを見る彼は変わった。身長は勿論の事、一年前より筋肉質になった。認めたくはないけれど格好良くなった。いつの間にか、男性になっていた。
二人がたどり着けなかった未来に、私達は取り残されている。
「ああ、教育学部ある所」
「そう、高校の先生になりたくて」
「何の教科?」
「古典」
「まじか」
「何でよ」
「いや、意外な所来たなと思って」
心外だ。なんて言おうと思ったけれどやめた。正直、彼の言う通りだったからだ。一年前までの私は古典なんて一ミリも面白いと思えなかった。古い偉人が遺した言葉なんて、今を生きている私には関係のない産物だとも思っていた。
でも、今だから分かる。
「苦手だったんだけど、本当は面白かったって事に気づいたの」
ボールペンを片手に進路調査票を眺めながら笑った。だってそれを教えてくれたのは、ここにいない彼女だ。どうして言葉を遺したかったなんて、その理由をようやく理解出来た。
これも、二人が私を置いて行ってくれたおかげ。
「あのアホがなあ」
「今は矢田の方が馬鹿だけどね」
「常識的な意味で俺の方が賢いよ」
「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」
着崩した夏服の首元、スポーツ用の磁気ネックレスが外れそうだった。けれど、言う義理もないかなと思い言わなかった。白い半袖のシャツの下に黒いタンクトップはとても目立つ。まあ、彼の場合、目立ってなんぼみたいなところがあるけれど。
「で、どうするの」
「何が」
「だから、進路」
「ああ」
二人がいなくなって、私達は変わった。私は変わる事を受け入れた。自分自身を見つめ直した。今まで犯した過ちは消えないけれど、それでも二人に誇れる自分になりたくて。
彼も変わった。本質は変わらないけれど、いつの間にか大人しくなった。あれだけはしゃいでいた彼はもういない。どこか幼馴染のようになった。静かになったおかげで去年よりずっとモテるようになったけれど、誰かと付き合う事は避けているみたいだった。
「まあ矢田ならどこでも推薦貰えると思うよ」
叶うなら。彼が幼馴染を憶えていてくれる限り、サッカーを続けてほしいなと思った。別に有名にならなくてもいい。趣味程度でも構わない。ボールを蹴るたびに、幼馴染を思い出して懐かしんでくれるなら。
それだけで。
「俺サッカー辞めるから関係ないよ」
「はあ!?」
予想だにしていなかった答えに思わず立ち上がる。
何だ。何だこいつは。先程までのセンチメンタルな私を返してほしい。
「え、ちょっと待って正気?あんたからサッカー取ったらどうなるの?ただの薄黒いチャラ男よ!?」
「いやいや、俺というイケメンが残るよ」
「何馬鹿な事言ってんの、あれだけ頑張って来て」
「だってもうやる意味が無いもん」
静寂が教室内を包んだ。
ああ、分かってしまった。その悲しそうに笑う姿が。あの日、私に隠し事をした。
蒼也にそっくりだ。
「俺今何もしたくない」
変わる事も、置いていく事も、君は恐れていた。
彼がいない時間を、進みたくない。