憧れ
新藤ゆず shinndou yuzu
高校二年生。兄は有名選手。
清水誠一 simizu seiichi
高校二年生。ゆずの幼馴染。
承和春己 soga haruki
高校三年生。先輩。
千草百合奈 chigusa yurina
高校二年生。留年しているので一個上。
気が付かなければ良かったと思う。知らなければ良かったと思う。だって知らなければ。
もっと貪欲になれたから。
少しずつ、それでも着実に。私は二人から距離を置くようになった。
並んで歩いている二人の姿が、あまりにもお似合いで、入る隙間などどこにもなくて。
怖かったのだ。自分が歯車を回したくせに、そこに私の場所はなくなってしまった。彼女が立っている場所は私の立ち位置だったのに。もうそこは私の場所ではなくなってしまった。なくなってしまったのだ。
避けるように幼馴染の言葉を遮って、言いかけた本音を押し殺す。だって言えないだろう。無彩病だったなんて。
無彩病は治る病気になった。しかし、それは早期発見が出来た場合だけ。薬の投与、長期入院により激しい苦痛を耐えきれば死ぬ事はなくなる。そう、死ぬ事は。
それでも失った色はそうそう簡単に戻っては来ない。後遺症は一生付き合っていかなければいかないし、治る見込みもない。だから、今彼女の瞳には見えない色がある。灰色の世界がある。私には分からない、苦痛だらけの世界が。
初めましてからずっと、彼女は病気の事を言おうとしなかった。頑なに言わなかった。それは知られたくなかったから。なのに、私は知ってしまった。彼女からの言葉ではなく、関係のない人からの言葉によって。
罪悪感。私の心の中はそれが一番だった。きっと隠したかったのだ。言いたくなかったのだ。だから、私も触れなかった。誠一も。いつか、彼女から言ってくれる日を待とう。それでいいや、なんて。なのに、それなのに。
「悪かった」
目の前の人物は反省した様子も見せないまま、プリントを見ている。
長机に足を乗せ、上履きをばたつかせながら欠伸をした。その姿に、注意する気すら出てこなかった。
「思ってないでしょ」
「思ってるよ。ゆずがそんなに気にするとは思ってなかったから」
「私に対してじゃなくて」
「千草には悪いと思ってないよ。俺あいつあんまり好きじゃないし」
「最低」
先輩はようやくこちらを向く。風紀委員の小さな会議室。私達二人だけ、電気もつけないまま座っている。窓の外から放課後の部活動に励む生徒の声が聞こえる。静寂に満ち溢れたこの空間。見つめ合う視線。彼は投げ出した足を元に戻して身を乗り出してくる。片手でプリントを握りつぶした。
「俺が反省してるのはゆずちゃんがそこまで気にするとは思わなかったから」
「だって、言いたくなかったから隠してたのに聞いちゃったんだよ。申し訳ないじゃん」
「だからって距離置く事なの?ゆずさ、お前」
「何ですか」
くしゃくしゃに丸められたプリントが、放物線を描いてゴミ箱に入って行く。スローモーションのように、それを目で追った。
「それを言い訳に、千草に居場所を取られた事誤魔化して悲劇のヒロインぶってるだけだろ」
ゆっくり。ゆっくりと彼の目を見た。いつの間にか目の前に立っていた彼は、私をただ見下ろしている。
「清水の隣に何年もいて、この関係は壊れないと思ってたろ」
「うん」
「余裕こいてただろ」
「うん」
「変わらない物なんてないんだよ」
優しい手が頭を撫でる。数回叩いてゆっくりと撫でる。零れだした涙はスカートの上に染みを作っていった。私は顔を上げる事が出来なかった。
そうだ。事実だ。それを理由に逃げていた。余裕をこいていた。
きっとこの先も、彼の隣にいるのは私なんだと、勝手にそう思っていた。勝手に決めつけてそれが当たり前だと勘違いしていた。だから遅かった。
もっと早くに言えていれば、こんな事にはなっていなかったのに。
「今からでも遅くないだろ」
「無理だよ。どうしたらいいのかも分からないもん」
「いつも通りに話せばいいんだよ。別にあいつら付き合ってる訳じゃないんだから」
「そうだけど」
「それにここ最近の清水、ゆずのせいで寂しそうだったし」
「嘘だあ」
「嘘じゃない。あいつにとってのゆずって、凄い大きな存在だよ。大体あのぶきっちょを笑顔にさせる才能があるって所がもう凄いだろ」
「それは自分でも思ってる」
「だろ?ほら、行ってこい」
額に弾かれたような痛みが走る。驚いて顔を上げれば先輩は嬉しそうに笑っていた。
「いや、さすが俺。格好いいよね。好きな女の子の恋を応援するなんて」
「先輩、本当は私に恋してないでしょ」
「気付いてた?」
「うん」
おどけた様子で笑う彼は、ばれたと言いながら窓の外を眺める。
「別に好きだよ。けど恋愛じゃない。単純に新藤ゆずっていう人間性が好きなだけ」
「私も先輩の事好きだよ」
「それは嬉しい」
「だって先輩、私を通して誰かを見てないから」
ありがとう。一言だけ言って教室を飛び出す。
足取りはいつの間にか軽くなっていた。
「そっかー」
残された教室で項垂れる。深い息を吐いて地面に座り込んだ。
「ゆずちゃんの事好きになれたら良かったのになあ」
難儀な恋をしている。そんな中、ただ、ひたすら真っ直ぐに誰かを愛する少女の姿がやけに記憶に残った。自分もあんな風になれたら。朝の校門前で思った。あの子のようになれたなら。それは恋でも愛でも無く、ただ、憧れのような存在だったのだと思う。
真っ直ぐに一人の人を見続けているその姿は、誰よりも綺麗で輝いていて。だから知りたくなった。どうしたらそんな風になれたのかと。だから、背中を押してやりたくなった。だってあの純真な想いは報われるべきだと思ったから。
「俺の次は清水かよ百合奈」
大好きだった人の名前を呟きながら。