マヤ文明は「崩壊」などしていなかった、大幅な回復が判明、研究

「文明全体が荒廃したわけではありません」、幅広い地域の調査で明らかに

2025.01.17
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
チチェンイツァのエル・カスティージョのように印象的なピラミッドで知られるマヤ文明。こうした都市部を支えた周辺の町や村の新たな調査で、古典期のマヤは崩壊も消滅もしていないという説を支持する証拠が得られた。(PHOTOGRAPH BY PAUL NICKLEN, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
チチェンイツァのエル・カスティージョのように印象的なピラミッドで知られるマヤ文明。こうした都市部を支えた周辺の町や村の新たな調査で、古典期のマヤは崩壊も消滅もしていないという説を支持する証拠が得られた。(PHOTOGRAPH BY PAUL NICKLEN, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
[画像のクリックで拡大表示]

 メキシコ、ユカタン半島北部に住んでいた人々に関する新たな分析の結果、古典期のマヤは崩壊も消滅もしてはいないという説を支持する証拠が、2024年12月に学術誌「Journal of Anthropological Archaeology」に発表された。「明らかに、後古典期に入ってマヤ文明が崩壊したというのは議論の余地がある考えです」。メキシコ、ユカタン自治大学の考古学者であり、論文の共著者であるペドロ・デルガード・クー氏はそう話す。

 教科書でのマヤ文明の時系列はだいたいこうだ。「古典期」と呼ばれる200年から900年ごろの間に繁栄のピークを迎え、その後の100年で中央の都市部は衰退。マヤの人々が姿を消したとの記述もあり、その謎めいた終末の理由については気候変動や人口過剰、政治不安などさまざまな説がある。(参考記事:「マヤ文明崩壊の謎を追う、「ある日突然捨てられる都市」が拡大」

 900年からスペインによる植民地化が始まった1540年前後の「後古典期」にマヤ文明は持ち直すが、以前ほどの勢いには至らなかったという。

 マヤ文明はメキシコからコスタリカにかけてのメソアメリカにおいて、何世紀にもわたって何万という人々を統治する王国群を築いてきた。精巧に作られたチチェンイツァやマヤパンのような中心都市とその支配者は繁栄し、やがて衰退していった。だが、都市部の外の人々の暮らしは長らく変わらなかったのだ。(参考記事:「マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす」

マヤパン vs. チチェンイツァ

 後古典期の都市の一部は、過去の都市に取って代わるようにして生まれた。デルガード・クー氏のチームは、ユカタン半島のマヤ文明についてしばらくの間調査してきた。

 特に注目したのは、後古典期では比較的最後の方に作られた大きな中心都市のひとつ、マヤパンだ。この都市は、地域の有力者たちの連合体として12世紀ごろまでに建設された。有力者の中には、かつてその地域の中心都市だったチチェンイツァの支配者を倒した一族もいた。(参考記事:「古代マヤの生贄のDNAを分析、定説覆す驚きの結果が明らかに」

 チチェンイツァが衰退した1050年ごろ、周辺はひどい干ばつに襲われた。およそ30年後に降水量が戻ると、マヤパンは見事な都市となった。

 マヤ神話の最高神ククルカンを祭ったピラミッドが建てられたほか、都市部は全長9キロ近い壁に囲まれていた。住民の一部は収まりきらず、壁の外側で暮らしていたと、論文の筆頭著者で、米ニューヨーク州立大学アルバニー校の考古学者であるマリリン・マソン氏は話す。(参考記事:「マヤのピラミッドに科学のメス、謎を解明へ」

次ページ:「濃くはないが、絶え間なく広がっていた」

ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の
会員*のみ、ご利用いただけます。

会員* はログイン

*会員:年間購読、電子版月ぎめ、
 日経読者割引サービスをご利用中の方、ならびにWeb無料会員になります。

おすすめ関連書籍

2024年3月号

素顔のブチハイエナ/ベールを脱ぐ古代マヤ/今こそ行きたい世界の旅先/認知症と生きる/暗い海の不思議な動物たち

表紙を飾るのはアフリカのブチハイエナ。圧倒的な個体数を誇れるのは、雌が主導権を握っているからなのかもしれません。このほか、最新技術で探るマヤの遺跡、認知症と生きる、ナショジオがセレクトしたいつか行きたい世界の旅先などの特集をお届けします。今月号から誌面がリニューアル。新しくなったナショジオ、是非お手にとってご覧ください!

定価:1,280円(税込)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加