※ここから重くてめんどくさいボクの感想です。
初めて観た時はね、「うーわ、キモチワルイ」程度の感じ方しかしなかった。「人間食うとかないわー」みたいなね。
けど、結構大人になって観ると色々考えさせられた。
以前に書いた(それもくっだらないホラー映画の感想で)事あるけど、変態さんじゃなくとも、儀礼的な(亡き王の魂を世継ぎが引き継ぐ等)ものや、
緊急避難措置としての食人(アンデスの聖晩餐とか、ひかりごけ事件とか)というのは結構ある。
この場合は、後者ではあると思う。そうは思うんだけども。
『俺は絶対[黒豚]しか食べてない』『[白豚]はねえ、やっぱり駄目ですよ』
この場合の[豚]=○○○○
じゃあ黒ってなによ?白ってなに?
現地人 飲食可
日本人・白人 飲食不可
[豚]は食べたけど、出来るだけ[黒豚]にした、という言い訳。
もうすぐ21世紀になるって時代の「今時の若いもんは」とか偉そうに言ってそうなご近所の頑固お爺さん的風貌の人が、
『現地人は食って良いことになってた』とケロッというっていうのは衝撃的だ。
やむにやまれない事情で行われる食人は理解出来る。自分にそうする程の生への執着があるか、と考えると「やらないってより出来ないだろう」と思うけどね。
けど遠い異国で、どうしても故郷の家族に会いたい!死にたくない!って思う事を責められないと思う。それが人道から外れる行為でも。『生きてこそ』まさにソレ。
けど、元兵士も、奥崎のバカも、「現地人(クロン○と言いました)『なら』いい」と思っている事がひしひしと伝わってくる。
この人達は狂ってる。
奥崎だけじゃなく、全員狂ってる。
喩えやむにやまれない事情であったとしても根本的に狂ってる。
そして、*1に書いた奥崎が起こす事件が
改造銃で無関係な人(元下士官の息子さん)を撃つという行為。
あくまでも『神の兵士』として、『日本人を食べた悪漢に正義の鉄槌を下す』という大義名分。
命の重さとか倫理感とか、そういう美辞麗句ではなく、生理的に恐ろしいと思った。
人間ってこうも利己的になれるんかと震えあがった。
そもそも、最初に観ようと思ったのは、アメリカのドキュメンタリー映画の旗手、マイケル・ムーアが『人生で一番衝撃を覚えた本物のドキュメンタリーだ』と言ってたからなのね。
(機会があれば紹介しますが、ワシ彼の作品はキライなんだよねー)
衝撃的ではある。色々な意味で。
奥崎がマジ基地だとか、
(終盤、重病のお爺ちゃんを鼻血が出るまで殴るとかまでやる)
Bさんの破壊力だとか、
勿論、カニバリズムも、映画制作中に起こる凶行とかも含むけど、
ifでしかないけれど、撮影が無くても同じ結果になっていたんだろうか。
ヘンテコな自費出版して、国会議事堂前で自己紹介してるだけでこの狂人は満足してたんじゃないだろうか。
客観性ってなんだろう。
正義ってどう定義すればいいんだろう。
奥崎が刑期を終えた後にも、別の監督がドキュメンタリーを撮ったらしいけど、
私は観ることはないだろう。絶対に。
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