2026年春、月刊『コロコロコミック』の看板だった『ドラえもん』が、ひっそりと誌面から姿を消した。1977年の創刊号から49年。藤子・F・不二雄氏の逝去後も、2002年からは過去作の再掲載という形で途切れず続いてきた連載が、あまりにあっけなく最終回を迎えたのだ。
きっかけは、単純な編集ミスだったと噂される。2月号と4月号に、同じエピソードが重複して掲載されてしまった。本件について、小学館は3月17日に公式サイトで「編集部の作業上の誤り」と謝罪している*1。連載終了にまで至った経緯については、公式には公表されていないが、ともあれ小学館への非難まで巻き込んで、大きな話題となっている。
もう一社、講談社の例も挙げておきたい。同社の人気サッカー漫画『ブルーロック』には、こんな場面がある。作中のコーチ・絵心甚八が、本田圭佑や香川真司といった実在の日本代表選手を実名で挙げ、「W杯で優勝していない」ことを理由に「カス」と切り捨てる。また、「アンタGK出来んのー?川島(ミス)すんなよー?」と、同じく実在の選手名に「川島(ミス)」とルビをふったコマもある。今日、折しもワールドカップで日本代表への注目が高まるなか、これらの原作の一場面が改めて耳目を集める結果となっている。
さて、日本の出版界には、長く「二大グループ」と呼ばれる二つの系列がある。小学館・集英社を擁する一ツ橋グループと、講談社を中心とする音羽グループだ。本社所在地の地名がそのまま系列名になっているこの二つのグループで、昨今、大小さまざまな炎上が立て続けに表面化している。火種になっているのは、作品上の表現だったり、単なる掲載ミスだったりと、一見ばらばらなものには見える。しかし、国内出版業界では最大手の一角であり、各種のリスク・マネジメント機能も相当に備えているであろうこの二陣営の周囲で、毎年のように何かしらの「ぼや」が起こっている。
本稿では、これらの炎上を引き起こす二大出版グループの「特殊性」について、一つの見方として私見をつづってみたい。まずは、直近3年以内に両社で起きた事案のいくつかを紹介するところから始める。
近年で最も大きく燃えたのは、おそらくこれだろう。小学館の漫画アプリ「マンガワン」で連載されていた作品の作家が、児童買春・ポルノ禁止法違反の罪で罰金刑を受け、連載中止になっていた。にもかかわらず、別のペンネームに変え、新連載作品の原作者として再起用されていたことが発覚し、SNS上で話題になったのだ。さらに担当編集者が、被害者との示談交渉にまで関与していた、という話が浮上し、話題をより大きくした。
報道やSNS上での炎上を受けて小学館は謝罪したが、多数の作家が「マンガワンでの配信停止」や「今後の仕事を受けない」と次々に表明。3月には弁護士を加えた第三者委員会の設置が決まった。
小学館側は、本社として連載中止を指示したのは逮捕を把握した2020年であり、別名義での再起用を「会社として初めて確認した」のは2026年2月25日*2だと説明している。しかし、編集者個人ではなく編集部が事件を知りながら起用を続け、被害者対応にまで踏み込んでいた――その意味で「組織としての判断」だったと受け取る声も多く、それも火を大きくした要因の一つだと考えられる。
また、記憶に新しいのは、2024年の「セクシー田中さん」に関する騒動だ。日本テレビでドラマ化された同作の原作者が急逝し、日テレと版元・小学館がそれぞれ調査報告書を公表する事態になった。原作者の「漫画に忠実に」という要望が制作現場にどう伝わり、どこで信頼が崩れていったのか――その過程の歪みが、最悪の結末を招いた。
本来、出版社は作家とテレビ局のあいだに立ち、原作者の意図を守る緩衝材であるはずだ。だが制作の都合や視聴率の論理が前に出たとき、その緩衝材は機能せず、作家がひとり矢面に立たされてしまう。原作とメディア化、作家と出版社の関係――そのねじれが、最も痛ましいかたちで露呈した事件であるとして、大きな注目を浴びた。
2026年4月、講談社は、ある長編小説の販売を中止し、書店在庫の回収にまで踏み切った。理由は「編集上の都合」*3とされたが、原因となったのは、現在も実際に活躍する歴史研究家と同姓同名の人物を作品内に実名で登場させ、かつ、物語のなかで新型コロナにより「病死」したことにしていた、という点だといわれる。
研究者本人と家族は当該作品の作者とは面識がなく、事前の確認も一切なかったという。家族は「なぜこうなったのか」と困惑と憤りを示し、作品の回収と経緯の説明を求めた。作家側は、尊敬する人物だからこそあえて実名にした、物語上で病死させたのはコロナ禍の怖さを描きたかったからだ、と釈明している。
作家の真意はともかくとして、存命の実在人物を、本人の了解もなく、フィクションの中で死なせてしまう――この一線を、出版の過程で、作家本人だけでなくプロの編集らが誰ひとり止められなかった。マンガワン問題が「組織が事情を知りながら起用を続けた」事案だとすれば、こちらはむしろ逆で、本来あるべきチェックが「働かなかった」事案だ。
同じく2026年3月、講談社の科学新書「ブルーバックス」編集部の女性編集者が、X上での発言をめぐって炎上した。在日クルド人をめぐる議論のなか、あるジャーナリストの投稿への返信として「クルド人から何かを奪われたことがありますか」という趣旨の投稿を行ったところ、川口市の交通事故で息子を亡くしたとする遺族から痛烈なリプライが寄せられ、瞬く間に拡散。本人はアカウントを非公開にし、本人や講談社への批判が広がった。
在日クルド人問題そのものは極めてセンシティブなテーマであり、ここでその当否に立ち入るつもりはない。本稿で注目したいのは、編集者が実名と社名を背負ったままセンシティブな社会問題に踏み込み、それがそのまま会社のレピュテーションに直結した、という構図のほうだ。発信の内容の是非とは別に、「個人の発信が会社の看板にも影響する」という現代的なリスクが、ここに典型的なかたちで現れている。
●私見
ここに挙げたのは、両社でしばしば起きていることの一例にすぎない。毎年、少なくとも数年おきに、何らかの形でこうした騒動が報じられている。なぜ、あわせて創立二百年を優に超えるこの二陣営が、同じような騒動を繰り返し引き起こしてしまうのか。私見として、三つの要因を挙げてみたい。
二大グループに共通するのは、いずれも非上場のファミリーカンパニーだという点だ。
上場企業であれば、株主総会や社外取締役、機関投資家といった外部の目が常に働く。四半期ごとに説明責任を問われ、不祥事はそのつど可視化され、ガバナンス不全には是正の圧力がかかる。だが非上場のオーナー企業には、その回路がそもそも組み込まれていない。株式を公開していないため、外部株主からの追及もない。「ガバナンスがおかしい」と外から圧力をかける仕組みが、構造的に存在しないのだ。
加えて、この2社はテレビ局とも商売の作りが違う。かつてフジテレビがアナウンサーに対する性加害問題でスポンサー離れに直撃されたように、放送はスポンサーありきのビジネスで、広告主が一斉に引けば経営が傾く。だが出版社の屋台骨は、雑誌・書籍の売り上げと、IP(知的財産)を軸にしたライツビジネスにある。広告ビジネスはパイとして相対的に小さく、特定のスポンサーが「降りる」と言ったからといって、ただちに深刻なダメージを受けるわけではない。テレビのスポンサー一斉撤退のような“外圧”が、構造的に効きにくいのだ。外圧の利き目は、比較的に弱いのではないか。
次に、人の構造の問題だ。各社の正社員は1000人程度と、事業規模のわりに少数精鋭である。一方で、編集の実務を支える書き手・デザイナー・制作スタッフの多くは、業務委託やフリーランス、派遣といった非正規の立場で関わっている。立場が不安定な人間が現場の多数を占めるなかでは、「これはおかしい」と声を上げる行為が、そのまま仕事を失うリスクに直結しかねない。だから同調圧力が強く働き、内部からの是正が効きにくい。
正規・非正規の話だけではない。いち作家と超大手出版社という関係性についても、かつてのパワーバランスは確実に崩れつつある。象徴的なのが、マンガワン問題の延焼のなかで掘り起こされた、ある過去のエピソードだ。1970年代、少年誌(小学館「週刊少年サンデー」と講談社「週刊少年マガジン」)の編集者たちが、酒場である女性漫画家に笑いながら頭から酒をかけた――という逸話が、後年その場面を描いた漫画やかつての関係者の著書を通じてSNSで再燃し、強い批判を浴びた。かつては“武勇伝”として語られかねなかった話が、いまや一発の炎上案件になる。それだけ、空気が変わったということだ。
近年は、SNSの普及により、フリーランスや、まだ無名の作家でさえ声を上げやすい環境が整ってきた。これによって、旧来のパワーバランスは、必ずしもそのまま通用しなくなってきている。
③ SNS時代に露呈する、一部編集者のネットリテラシーの脆弱さ
そして、これは二大グループに限った話ではないが、編集者という仕事は、いまやSNSと切っても切れない関係になっている。プロモーションでも作家との接点でも、よくも悪くも影響をもたらす場面は多いだろう。
しかし問題は、上述のように比較的閉鎖的な環境で長く勤めてきた編集者の、ある種“無邪気さ”、場合によっては“想像力に欠ける”とも取られかねない発信が、SNSを通して外へ漏れ出し、そのまま会社のレピュテーションを左右するパターンが増えていることだ。たとえば、先に触れたブルーバックス編集者が、在日クルド人問題に実名・社名を背負ったまま踏み込んで炎上した一件は、その典型だ。
同様に、マンガワン問題の延焼局面では、講談社の社員とみられる女性が、上司から暴言を浴びせられた*6とする投稿が拡散し、注目を集めた*7。本投稿も真偽のほどは定かではないが、仮に事実だとして、通常の上場企業であれば、社員が身分を明かして会社の内部事情(とりわけネガティブな話題)を開示するのは、まず厳禁とされるのが普通だろう。
こうした社員や編集者個人の投稿を禁止しない、ある種の自由闊達な社風が、現代では大きなリスクを孕んでいるとも考えられるだろう。
●まとめ
非上場でスポンサーに依存しないビジネスモデル、SNS時代の発信リスク、非正規や著者とのパワーバランスの変化――これらが折り重なって、昨今の炎上騒動の背景の一つになっているのだと考える。もちろん、事案を起こした一人ひとりの問題を不問にして、「すべて組織が悪い」と言いたいわけではない。
しかし、組織として捉えた場合にも、IPホルダーが、作家が、そして読者が、明確に「ノー」を突きつけられる時代になった。マンガワン問題で漫画家たちが一斉に作品を引き上げたことは、その象徴だろう。誰が「ノー」と言えるのか――そのハードルは、確実に下がっているのではないだろうか。
注記・参考資料
https://corocoro-news.jp/news/400265/
https://www.shogakukan.co.jp/news/477346
https://www.kodansha.co.jp/notices/706
https://x.com/syuten_ruto/status/2027523208275234829
https://x.com/HappyHippie1209/status/12926046238
https://x.com/kxz_ih6/status/2027675198154281267
ある意味この超旧態依然とした姿勢が非上場企業の本質。物言う株主がいないから、燃えても本業は揺るがず、結局トカゲの尻尾切りで終わる。だから数年おきに同じ構図が繰り返される...
はたらく細胞の件で清水 「茜」 先生が話題になってたから※7の「茜さん」がそうかと思って一瞬びっくりしたw こっちは講談社の社員の方ね