桜鱒・山女魚
The Masu Salmon , The Cherry Salmon
Oncorhynchus masou
A film by Asato Sakamoto,
director of A Trout in the Milk
2026年 10月 9日 (金)
アップリンク吉祥寺ほか
全国順次ロードショー
INTRODUCTION
前作となった『ミルクの中のイワナ』(2024)では、深山幽谷に生息する幻の魚「イワナ」を通じて、上流域の山間地域が抱えている様々な課題と向き合ってきた。 しかし、イワナたちが語りかけてくる問題は、決して上流域や川だけの問題ではなく、流域そのもののあり方を問われているのだった。その問いは、イワナからヤマメ、そしてサクラマスへ、引き継がれていくこととなった。
2024年に公開された映画『ミルクの中のイワナ』(坂本麻人 監督) で描かれた源流域に生息する幻の魚「イワナ」から「ヤマメ」へと問いを引き継ぐ本作は、森と海を繋ぐ「流域」を行き来するアジア固有のサケ科魚類 "サクラマス"と"ヤマメ"たちの生き様を通して、自然界と人間社会の関係性を問い直していく。
STORY
川に生まれたヤマメは海へと旅立ち、やがてサクラマスとなって再び川へ帰ってくる。その旅路が森と海をつなぎ、流域の暮らしと文化を長い時間をかけて育んできた。しかし近代社会の発展は、その往還を次第に阻んでいった。防災のために建設された数万基のダムが川と海を分断し、放棄された森林は災害のリスクを高めている。地球温暖化対策として進められる再生可能エネルギーの開発もまた、自然と社会のあり方そのものを揺るがしていく。経済発展の陰で失われつつある自然と文化の軌跡を、サクラマスの生き様を通して問いかけるドキュメンタリー。
CAST
The Masu Salmon , The Cherry Salmon
Oncorhynchus masou
The Red-Spotted Masu Salmon
Oncorhynchus masou ishikawae
河川で一生を過ごす残留型をヤマメ (山女魚)、海に降る降海型をサクラマス(桜鱒)と呼び、どちらも同じ種である。また河川で暮らす間は、サクラマスの幼魚もヤマメと呼ばれる。 日本では九州から北海道に広く分布、その他にも台湾からロシア極東のカムチャッカ半島などに生息している。西日本に分布する亜種のサツキマスも同様に、残留型をアマゴと呼んでいる。サツキマスやアマゴは、体側に朱点があるのに対して、サクラマス、ヤマメには、朱点がない。サクラマスは、別名として、ヤマベ、ホンマス、ママス、クチグロ、イチャニマス、エノハなどがある。英名は、マスサーモン、またはチェリーサーモン。
Order of appearance
国立研究開発法人 水産研究・教育機構
水産資源研究所
東京大学大気海洋研究所 教授
京都大学生態学研究センター 教授
札幌市豊平川さけ科学館
国立研究開発法人 水産研究・教育機構
田代諏訪神社 宮司
新潟大学 名誉教授
東京大学 新領域創成科学研究科 教授
北海道大学 名誉教授
細川木材株式会社 取締役 山林部長
北海道立総合研究機構 さけます・内水面水産試験場
北海道・黒松内町環境政策課
流域の自然を考えるネットワーク
公益財団法人 山形県水産振興協会 業務部長
札幌市豊平川さけ科学館 学芸員
札幌ワイルドサーモンプロジェクト
一般社団法人 日本環境アセスメント協会 会長
有限会社 仁三郎 取締役
STAFF
監督・構成・編集
大阪生まれ。東京在住。ドキュメンタリー映像作家。2024年公開のドキュメンタリー映画『ミルクの中のイワナ』の監督・プロデューサーとして活動。過去には、岩手県・遠野市を舞台に死生観をテーマにした映像作品『DIALOGUE WITH ANIMA』を監督し、またカルチュラル・スタディーズツアー「遠野巡灯篭木(トオノメグリトロゲ)」の総合演出、プロデューサーとして活動。アーティスト長谷川 愛の映像作品『Shared Baby』(森美術館「未来と芸術」展 出品)や市原えつこ『未来 SUSHI 研究者は語る』(森美術館「六本木クロッシング2022」展 出品)などの監督・監修を担当。
監修
1974年生まれ、奈良県出身。東京大学大気海洋研究所教授。専門は魚類生態学。北海道大学大学院水産科学研究科博士課程修了。博士(水産科学)。国立研究開発法人水産研究・教育機構北海道区水産研究所、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター准教授を経て、2022年4月より現職。映画『ミルクの中のイワナ』に出演、編著に『人間活動と生態系』『海洋生態学』(いずれも共立出版)などがある。
構成協力
1972年、東京都生まれ。父に連れられ多摩川・是政橋周辺でクチボソとダボハゼ釣りをしたことが水辺好きの始まり。以来、武蔵野台地の空き地や水辺が遊び場に。東京水産大学(現東京海洋大学)で修士課程まで「サケ科魚類の産卵行動および仔稚魚期の種間干渉」を学ぶ。釣りなどの自然活動をテーマに雑誌や書籍の企画・編集・執筆・出版を行う編集プロダクション兼出版社「RIVER-WALK(リバーウォーク)」代表。社名を冠した川歩きと渓流釣りの雑誌『RIVER-WALK』を発行。『武蔵野発 川っぷち生きもの観察記 まちなかの川で楽しむ、驚きの自然発見! ヤマケイ新書』より
音楽
偶然の重なりから初ライヴはロンドンの廃墟で行われた大規模スクウォットパーティー。06年、紆余曲折を経てリリースした初のEPがBBC Radio1 Worldwide Awardにノミネートされ、その後も世界最大規模の都市型フェスSónar Barcelonaへの出演、イタリアでのデザインの祭典ミラノサローネへの楽曲提供等幅広く活動中。釣り好き。
音楽
環境音や日常音などを録音・編集し楽曲を構築するサウンド・クリエイター。2012年のEP『Wandering』2013年の初アルバム『Vapor』、2019年の2ndアルバム『Spaces』全て英紙The Guardian, The Japan Times等、多数媒体のBest Album of the yearに輝く。リリースの度にワールドツアーを行い、Glastonbury Festival, Sónar Barcelona, Dimensions Festival, Gilles Petersonが主宰するWorldwide Festivalを始めとする多数の世界的大型フェスティバルや、イギリス発ライブストリーミングチャンネルBOILER ROOM London、ロサンゼルスの伝説的イベントLOW END THEORY等に出演。
キービジュアル
秋田の奥羽山脈の麓にある田舎で生まれ育ち、山・川・沢などの水辺のある場所に恵まれながら過ごしてきた。生物と人との間にある境界線やそれらの関係性から成る環境、その先の姿に関心を持ち、埋もれそうな記憶の痕跡を残すために旅をしながら絵を描いている。絵画作品制作、イラストビジュアル制作、絵画教室、SNS写真撮影、クリエイティブユニット「パシャパ舎」他。現在は狩猟免許を取得し、東北の山猟文化に関わりながら作品制作を進めている。
イラストレーション
現在、カナダのトゥルーチェ政府の水産生物学者として従事。魚類学および水産科学の分野で修士号・博士号を取得し、16年以上にわたり研究と実務に携わる。政府機関、産業界、先住民族コミュニティと協働し、多様な環境下でのフィールドワークを経験。特にカナダ北部の魚類に関する知識と調査技術に精通し、魚類の採集手法において豊富な実践経験を持つ。これまでに数多くの報告書や査読付き論文を発表し、魚と人、そして自然環境の関わりを探究し続けている。
COMMENT
THEATER
| 都道府県 | 劇場 | 公開日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 東京都 | アップリンク吉祥寺 | 10月9日(金) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 京都府 | アップリンク京都 | 10月23日(金) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 長野県 | 上田映劇 | 10月16日(金) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 富山県 | 御旅屋座 | 10月23日(金) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 兵庫県 | Cinema KOBE | 10月24日(土) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 岡山県 | 円結 シネまるむすび | 10月30日(金) 〜 | 舞台挨拶予定 |
| 大分県 | 日田シネマテーク・リベルテ | 11月28日(土) 〜 | 舞台挨拶予定 |
PARTNERS
前作「ミルクの中のイワナ」に続き、このようなすばらしい映画が誕生したことをうれしく思います。心奪われるストーリーと圧倒的な映像美に深く感動しました。本作は、サクラマス、ヤマメ、サツキマス、アマゴの生態だけでなく、これらの魚が生きる場所の周囲に暮らす人々の気持ち、釣り人の思い、そして社会的な価値までもていねいに描いています。この映画を観ることで、魚たちに関心を持ち、好きになる人がさらに増えると思います。私たちに魚たちの気持ちを代弁することなどとうていできませんが、その思いを込めて、映画を製作された方々、出演された方々に心から感謝申し上げます。
国立研究開発法人 水産・研究開発機構 水産技術研究所
かくも美しく、神秘的な振る舞いを見せる魚は稀である。私たちはサクラマスの生きざまを学び、諭され、そしてあらためるべきことに気づいた。思い描いたロジックは、期待通りに機能しなかった。粛々と命をつなぐ強靭な野生には、太刀打ちできなかった。自然界に対して謙虚な姿勢を崩さず、摂理や道理に従うことに注力すること。その姿勢こそが私たちの未来を切り拓く、大きな糧になることだろう。
フライフィッシャー
姿を消していく川の魚。激甚化する自然災害。釣りをする人もそうでない人も、近年、自然の恵みや生活の基盤が脅かされていることを感じることがあるだろう。その原因は、自然が人間に向かって牙をむいているのではなく、効率性や経済性を追求した人間活動の結果だったりする。本作とサクラマスは、そのことをわかりやすく教えてくれている。そして、コスパやタイパといった価値観が席巻する昨今において、効率性や経済性を追求することが全て正しい訳ではないという痛烈なメッセージを、訴えかけているような気がしてならない。
水産博士
サクラマスにしろイワナにしろ、その美しさ、生きざまに、一人の釣り好きの人間として惚れ惚れと、敬意を抱きます。健やかな自然環境を醸し、生きてきている姿には、命のひとかけらも無にはならない美学を思い知ります。無用の長物かもしれない人類の出現を、ひしと思い、せめて、つつましく生きる動物に進化していかないとと、マジに思ってしまいました。ただ、手元にコップ一杯の酒があり、また明日にでもと、唯一の人類の大偉業に甘んじてしまうのですがね。
絵本作家
人間がその力で治めようと画策を重ねてきた自然の撹乱が、実のところは森と川の生態系の健全さを保っていたことに改めて思い知らされた。渓魚ではなく、人の環境収容力という観点からは、明らかに日本の人口は膨れ上がり過ぎてしまった。そのことが、あるべき自然の営みを歪なものにしていることを、本作品は水面下からのマスたちの視点でしっかり捉えている。
東京農業大学 教授
映画『サクラマスのラストワルツ』を拝見させていただいた。それはまるで私が取材してきた内容のダイジェスト版であるかのようで、とても嬉しい気持ちになった。サクラマスに焦点を当てたことで砂防ダムなど河川横断構造物の問題点に触れるとともに、森と海との繋がりも表現されている。さらに後半部分のリスクマネジメントに関する見解はまさに同感である。それらすべてにおける解決策、物理的手法はほぼ確立されているが、次の一歩を踏み出せないでいるのが現代社会。この映画が新たな時代の道しるべになることを期待したい。
写真家・ジャーナリスト
私たちの生命を支える海と川と森のつながり、そしてその変化は、人間の感覚だけでは到底とらえきれない。この惑星の環境を全体として感じ取るためには、人間の感覚を、人間以外の生き物たちの力も借りながら、大胆に広げていく必要がある。『サクラマスのラストワルツ』の音と映像に没入していると、私たちは束の間、サクラマスの身体になる。川と海を行き来する存在になって、断片化されていた思考がゆっくりと連続性を取り戻していく。
独立研究者
サクラマスを通して、僕たちはいかに自然環境が取り返しのつかないレベルで悪化しているかを知る。明治以降、川や森を短期的に利益を引き出すためだけに利用してきたことへのしっぺ返しが今まさに起こっていることを知る。その自然を側で見守る役割を持つ人間たちも、超高齢化社会によって今後ますます減少していく。稚魚の放流も、植樹も、禁漁も、この状況を変えることはできない。真に自然に生かされ、自然を生かすとはどういうことかを、知性を結集して再想像しなければならない危機をこの作品は思い出させてくれる一方で、それを達成させないシステムの機能不全すらも、ほとんどディストピア的な悦楽すら伴いながら表現している。
映画監督 / 映像人類学者
本作は、生態学を扱いながらも、その核心において環境倫理の問いを投げかけるドキュメンタリー映画である。山に生まれ、海へ降り、再び川を遡上するサクラマス。その往還は単なる生態的特徴にとどまらず、海の栄養を内陸へと運び、流域という生命圏を成立させる「循環」を体現する存在であると同時に、私たちに自然の位置づけを問い直させる。
近代以降、私たちは自然を「恵み」や「資源」として捉え、その価値を人間の尺度で測ってきた。しかし、制御できたかに見えた自然は、大きな攪乱の前では脆く崩れる。山も川も、本来自然は人間の管理に完全に収まる存在ではないからだ。
問われているのは、自然を守る理由である。役に立つから守るのか、それとも存在そのものが価値であるから守るのか。私たちは自然を利用するだけの存在であり続けるのか。それとも自然の一部として自らを位置づけ直すのか。その選択が、いま私たちに迫られている。サクラマスは、山・川・海をつなぐ存在であると同時に、私たちの自然観を映し出す。本作は、生きものを愛する人にとどまらず、人間と自然の関係を根底から問い直すすべての人に開かれた作品である。
アーティスト・プランツディレクター・農学博士
山深い私のふるさと信州伊那では、12月31日の「年とり」に、必ずサケを食べて正月を迎える。フォッサマグナ(割れ目)に沿って暮らす我らにとって、サケは特別な魚だったのだ。山の民は、サケやマスという海の神を招いてこの世を更新していたことを、この映画から学んだ大切なことだった。
ドキュメンタリー映画監督・映像民俗学
すべての生き物はたったひとつの”地球環境”において、自分に合った”環世界”の中で生きている。それに対し、我々人間は82億人がそれぞれバラバラな”環世界”の中を生きている。言い換えれば、人間だけが”地球環境”とかけ離れた世界で暮らしているのだ。
こう言ったら身も蓋もないが、地球から人間がひとりもいなくなれば、すべての問題が解決されるだろう。我々の2本足はこの星からひとときも離れられないのに、どうして人間は地球と共存しようとしないのだろう...
この作品はサクラマスの現状を伝えるのが目的のすべてではない
我々がどう生きるべきかを突きつけているのだ。
音楽家
サクラマスの住む小さな宇宙から透けて見える、私たちの生きる世界、又はその綻び。
拭いきれない矛盾を孕み、この先の時代を私、私達はいかにしてサバイブしてゆくのか。その道を先導するカラフルな有識者によるアカデミックかつ独創的な視点と作者が繰り出す追憶のビートに導かれ無二の共鳴を呼ぶ物語。これは単なるドキュメントでなく映画のオーラを纏った新たな形の“お祭り”だ。
踊れよ己。たとえそれがへんてこりんなダンスでも。
瞬きもせずに尾ひれをくねらすあの魚のように。
お前が編み出すその“舞い”が、いつの日かあの子の形見に変わるまで。
音楽家
“地球らしい生き方とは?” “自然を守るとは?”
日頃の生活圏の中で自然がどんどん遠く切り離されて暮らしていく私たち。 川全体を使ってつまり上流から下流にそして海に出て、また川に出戻り逆流し上流での産卵をし一生を終えるサクラマスを時間をかけて丁寧に追い続けたこの映画の意図をちゃんと隅々まで理解したいと何度も繰り返して私は、観た。
そして観る度に映像を通して自然との壮大な地球の営みと人の営みの関わりとは?いや人間としてサクラマスのような生き方とは?を自分の中かに問い始め、いかに自分がミクロの世界で生きていたかを感じる事ができた。
圧倒的な映像美と素晴らしい音響とともにこれはとんでもなく今の私たちに必要な作品だと思います。
eatrip
いま、地球で起きていることは、すべて人間の都合で行なってきた
所業のしっぺ返し。どうやったって自然はコントロールできない。
そんな厳しい現実を突きつけてくれました。
タレント
サクラマスの命の旅を追いながら、この世界の中にある共通の”響き”を聴いているような気持ちになりました。
人間も自然そのもの。目に見えるものと形ないもの、そのあらゆるすべてが関わり合って、今ここで呼吸をしているということ。
地球の在り方、あるがままの私らしさは、目の前に息づく生物やその歴史と向き合う中にあるのかもしれない。簡単ではないことだけど、改めて私はそのことを見つめ続けようと思う。
たくさん失敗を繰り返しながら得てきた学びは失われた命への祈りとなると信じて。
音楽家
魚を見つめつづけ、魚への愛があふれると、思いがけず日本社会が抱える問題、人類が抱える問題までもが見えてきてしまった。サクラマスの最期の灯火は火花のように眩しく強烈でした。
アーティスト
自然は人間が生きる為に必要であるのではなく、人間は自然の一部としてただ生きていることを思い知らされる。サケが生を繋げ、死んでゆく姿から想像しなければならない。
写真家
サクラマスを主題としているが、実は人間の映画。多様な視点を行き来するたび、人間という存在に失望するが、その失望は希望にも見える。それは、作中で語られる「川」がもたらす恵みと災いの矛盾に似ている。本来、自然には恵みも災いもない。一つである自然を好悪に分ける人間の自然観は、土着信仰や文化を育むと同時に、近代治水における人間と自然の二項対立を生む。その二重性に象徴される複雑な因果のネットワークを、俯瞰する視点は存在しない。映される人々は、どこか飄々としている。その姿は、サクラマスをはじめとする、私が北海道で出会う野生動物と重なる。
美術作家
坂本麻人 (監督) は、言葉の人だ。彼が冠した「ラストワルツ」という言葉には、遡上の躍動と、人工的な壁に阻まれる命への静かな憤りが同居している。本作は単なる自然の記録ではない。清流に潜り、稚魚と視線を合わせた一人の表現者の記録だ。人間が引いた境界線に囚われながらも、命を使い果たすまで踊り続ける魚たち。その美しさと冷徹さは、人間という「生物」の驕りを浮き彫りにする。本作が問いかけるのは、魚の生態や人間主体の環境問題ではない。つながりあう生物たちの「環世界」そのものだ。言葉を紡ぎ、詩となった映像が、私たちの中に眠る野生を鮮烈に呼び覚ます。
株式会社 Q0 代表取締役社長
変化し続ける自然環境のなかで、いきものたちは今日も身をもって生きている。守るとは過去を取り戻すことではなく、今そこに息づく命の物語を受け取り、未来へつなぐことのように感じました。そのなかで人間は何を選び、どう存在するのか。考えることがあふれ、簡単にコメントできる映画ではありませんでした。人間は恐怖や問題によって自然の変化を感じやすいのかもしれません。けれど本来、自然はいきものたちのささやかな日々の営みのなかにある。何気なく目にするひとつのラベルの向こうにも、壮大な自然の循環が息づいているはずなのに、なぜ人間は忘れてしまうのだろう。多くの方に観てほしい作品です。
シンガーソングライター
それはまるで、川の下流から上流に遡っていくような。そうしてどんどんと解像度が上がっていくような、内容の深まり方だった。全てがもっと溶け合い、寛容であれば。そう願わずにはいられない。人間であれ、それぞれの立場によって、それぞれの見方がある。
鑑賞後に、垣根を越えて対話をすることで、さらに内容は深まるだろう。分業する時代から、協業する時代へ。もう1人で抱え込む時代は終わり。それに、一つの世界から見える世界には限界がある。というのは、生き物たちが教えてくれるのと同じように。理系も文系も、職業も性別も、縦横無尽に横断し、多角的なアプローチでしか、この自然を回復させる方法は、ないとさえ思う。
旅する料理人
映画の中にあった「自分たちが利用してる自然は他の生き物たちも相乗りして出来上がってる世界」というコメントにハッとさせられた。
“自分のいる世界にしか関係ないことかと思ったら、他の世界にも関係していて、自分の世界は閉じておらずそこで起きてることが他の世界を動かしていたりする。”という話が面白かったしものすごく納得した。「自然との共生」は口でいうのは簡単だけどバランスを取るのが難しいと常々思っていたけど「相乗りして出来上がってる世界」という表現に出会ってなんかスッと自分の中に入ってきた感覚があった。この映画を通じてそんな新たな気づきに出会えてよかったです。
アーティスト