2026年06月
2026年06月30日
slumbercoach
この客車の slumberというのは「まどろむ」という言葉で、本格的な睡眠とは少し違う。要するにコウチ(座席車)であるけど寝られる簡易個室寝台車である。便器が各室に付いているのは大したものである。一日中籠っていられるわけだ。最近の寝台電車にもあるらしいが便器は付いていないようだ。
半二階建てとなっていて、2つの客室が互い違いに組合わされている。車体長さに対する収容人員が飛躍的に増え、低廉な料金でプライヴァシィを確保できる画期的な構造だ。1935年頃に登場した。車体の片面には窓が2段に並び、特異な形状である。区画の天井は低く、今で言うカプセルホテルとそう変わらない。
Union Pacific鉄道はこのデザインを採用した。それはUP の”49er”という大陸横断特急である。シカゴからサンフランシスコへ2日強で走り抜けた。「フォティナイナ」とは、1849年にサクラメント郊外で金が発見されて、それを目がけて押し寄せた人たちのことである。この事件でカリフォルニアの人口は一挙に十倍以上になったらしい。現在はサンフランシスコにあるフットボール・チームの名前だ。
最後尾の流線形テイルを持つ展望車と連接になったこの簡易寝台車は、世界中で有名になった。
その後その列車は形も名前も変わったが、最後尾の2輌だけはそのまま使われた。すなわち、ヘヴィウェイトのプルマン寝台列車の最後尾にこの流線形の2輌が繋がれたのである。既存の列車の最後尾を取り替えるだけで新しい編成の気分を味わえるから、模型の場合は好都合だ。
この模型を作り始めて30年になる。かなりのところまで行っていたが、窓の切り抜きが気に入らず、放置されていた。数年前、northerns484氏のご助力でステンレス板をレーザで切り抜いたものを作って、やる気になった。
最後尾の流線形テイルを持つ展望車と連接になったこの簡易寝台車は、世界中で有名になった。
その後その列車は形も名前も変わったが、最後尾の2輌だけはそのまま使われた。すなわち、ヘヴィウェイトのプルマン寝台列車の最後尾にこの流線形の2輌が繋がれたのである。既存の列車の最後尾を取り替えるだけで新しい編成の気分を味わえるから、模型の場合は好都合だ。
この模型を作り始めて30年になる。かなりのところまで行っていたが、窓の切り抜きが気に入らず、放置されていた。数年前、northerns484氏のご助力でステンレス板をレーザで切り抜いたものを作って、やる気になった。
2026年06月28日
ハンダ付け部の疲労
最近ハンダ付けに関する質問や助言をかなり戴くようになった。一言で言えば、「どうすれば丈夫で壊れない接合ができるのだろうか」である。
このブログでは、スズ 63%ハンダを推奨している。それは接合面に薄く沁み込み、「合金層だけでの接合」を形成しやすいからである。突き合わせの接合はするべきではない。よく見るのはHO車体の妻板接合部の外れである。これは筆者は絶対にやらない。
前回のコルゲートの客車にはハンダが大量に使われていた。ハンダの塊でブラス板が接合されている部分さえあった。ガス火で焙り、融かして回収した。色から判断するとスズ60%ハンダだ。アングル材を作って貼り付けたらとても丈夫になった。窓部分をすべて切り取り、ステンレス板をレーザで切り抜いた部材に総取替する。全体の剛性を大きくして狂いを防ぐのだ。
イモ付けであれば、車体を握った瞬間にハンダに応力が集中し疲労する。ブラスよりも弱い材料に応力が集中するのは当然である。毎回接合部を折り曲げようとする力が掛かるのだ。もし妻板がコの字の断面を持ち、ある程度の幅で側板と接合されているなら、ハンダ接合部には力はほとんどかからない。あるいは角線を貼ってあったらどうなるかである。これは大した手間ではない。筆者はその目的のアングル材、角線を各種用意している。
ハンダという合金はブラスに比べればはるかに弱い。単なる接着剤と考えて、面での接合をするべきである。厚く付けた接着剤そのものに応力が掛かるような構造は間違っている。これが理解できていれば、ハンダ接合は意外と強いものである。
このブログでは、スズ 63%ハンダを推奨している。それは接合面に薄く沁み込み、「合金層だけでの接合」を形成しやすいからである。突き合わせの接合はするべきではない。よく見るのはHO車体の妻板接合部の外れである。これは筆者は絶対にやらない。
前回のコルゲートの客車にはハンダが大量に使われていた。ハンダの塊でブラス板が接合されている部分さえあった。ガス火で焙り、融かして回収した。色から判断するとスズ60%ハンダだ。アングル材を作って貼り付けたらとても丈夫になった。窓部分をすべて切り取り、ステンレス板をレーザで切り抜いた部材に総取替する。全体の剛性を大きくして狂いを防ぐのだ。
イモ付けであれば、車体を握った瞬間にハンダに応力が集中し疲労する。ブラスよりも弱い材料に応力が集中するのは当然である。毎回接合部を折り曲げようとする力が掛かるのだ。もし妻板がコの字の断面を持ち、ある程度の幅で側板と接合されているなら、ハンダ接合部には力はほとんどかからない。あるいは角線を貼ってあったらどうなるかである。これは大した手間ではない。筆者はその目的のアングル材、角線を各種用意している。
ハンダという合金はブラスに比べればはるかに弱い。単なる接着剤と考えて、面での接合をするべきである。厚く付けた接着剤そのものに応力が掛かるような構造は間違っている。これが理解できていれば、ハンダ接合は意外と強いものである。
2026年06月26日
続 プロのハンダ付け
屋根板に Φ 0.8 の孔を30 mmごとにあける。角線はその上に貼られるから孔は見えなくなる。マスキングテープで角線を仮固定する。所定の位置にあることを確認して裏に塩酸を含む塩化亜鉛水溶液を多めに付ける。水滴が盛り上がる位にするのだ。63%ハンダの小片を置き、150 Wのコテを垂直に強く押し付ける。平たいコテの先が、上からは見えない角線の上を完全に押えるようにする。コテからの熱は薄い屋根板(t0.7)を貫通し下の角線に到達する。ハンダは石鹸水のように沁み込み、屋根板と密着する。この時、耐熱性のある堅い板の上であれば、コテを押す圧力がそのまま角線に伝わり、隙間の無いハンダ付けが可能である。こうして小さな孔の前後 10 mm程度にハンダが瞬時に廻る。順時このようにすると、角線の全長の半分以上が屋根板にハンダ付けされる。孔は小さくてもハンダが急速に吸い込まれるのが分かる。たとえ腕が良くなかったとしてもスズ63%ハンダを使うと、とてもうまく行くのだ。塩化水素が少し放散されるので、屋外で行うべきである。
この時、ブラス線ではなく洋白の角線を使うのが筆者の工夫である。熱膨張定数が小さく、伸びる量が相対的に無視できるから、貼った線がくねくねにならない。ハンダは急速に隙間に沁み込み、ほとんど見えない。塩酸が含まれていない塩化亜鉛液では、これほどうまくは出来ない。角線はねじれていると失敗する。事前によく調べてねじれを取っておくことが肝要である。
テープはなるべくハンダが来ない位置に貼ると、熱で変質しにくい。直接熱が加わる位置では糊が融けてへばり付いてしまう。
小さな孔を介してのハンダ付けをしている訳だが、極めてうまく行く。お試しあれ。
2026年06月24日
プロのハンダ付け
側板にアングルを取付けるときは、高さを決めるジグで押し付けて、ハンダ付けする。この大きさであると 150 Wのコテを使うべきだ。今まで筆者は全面的にハンダを付けていたので、側面が微妙に反った。床板に締め付けると真っ直ぐになるので何の問題もないが、面白くはなかった。今回のジャンクの中にはアングルが取付けてあるものがいくつかあったので、その様子を見て驚いた。
車体と床板は 8本の M2ネジで取付けられている。すなわち、車長を 3 で割れば、大まかに言えば 15 cm ごとにネジ孔がある。側面とのハンダ付けはそのネジ孔の前後10 mm程度にハンダを沁み込ませた状態である。
力が掛かるのはネジの部分だけなので、他の部分はハンダ付けしなくても問題は起きない。全面的にハンダ付けをすると反りが出ることを見越した判断だ。これはプロの腕である。
商品は見かけが大切である。いかに「丈夫に作りました。」と言っても波打っていれば商品価値はないし、「ネジを締めれば反りは無くなります。」と言ってみても説得力はない。
そのネジ部分のハンダは実に丈夫に付けられていて驚いた。ハンダの量は多くはないが完全に沁み込み、アングルは側板から外れることはない。大したものである。
2026年06月22日
Burlington refrigerator express
大きな文字の Everywhere West は、とても古いディカールを貼ったので文字が一部流れている。いずれ貼り直すべきだろう。
ヘラルドのディカールはもう余分がないので慎重に貼った。膜の強化液を塗って始めたが、その強化液がディカールの紙の断面に付いてしまった。するとその部分から液が紙の内部に沁み込み、水の中で剥がれなくなった。すぐに引張り上げてカミソリで切り落とし、難を逃れた。これは注意すべきことである。大きな台紙のままで強化液を塗って、乾いたのちに余白を切るべきであった。
調色した緑の塗料はまだかなりあり、早く使ってしまいたい。何か塗れるものがないか、資料をめくっている。
2026年06月20日
続々 reefer を塗る
ディカールを点検していて重大なミスに気が付いた。手元のBurlington のディカールの四角の枠には赤の帯がなかった。ということはそのまま貼ると下地が透けて見えるわけだ。赤の下地を作らねばならない。
ディカールは水に漬けると多少伸びるだろう。許される誤差は黒枠の太さの範囲である。ディカールの寸法を正確に測定してマスキングした。小さな四角の枠を作り、大きな紙で全体を覆ったが赤を塗るのは一瞬であった。
もう一つ、このディカールの四角の枠中の Burlington Route の文字部分は白なのか、それとも素抜けているのかを確認する必要があった。このディカールは白い紙の上に印刷されていたので、文字が白いかどうかはそう簡単には分からない。
顕微鏡で覗いても今一つよく分からなかった。そこで横から紫外光を当てると白文字のところだけ緑っぽく光った。これでインクがあることが判明した。最近は光硬化接着剤があるのでそのLED光源を使えばよいのだ。
結局5色を使った塗り分けになり、貨車ごときにこんな手間を掛けたのは初めてだった。普通は多くても3色で、細かいマスキングは必要ないものばかりだった。
顕微鏡で覗いても今一つよく分からなかった。そこで横から紫外光を当てると白文字のところだけ緑っぽく光った。これでインクがあることが判明した。最近は光硬化接着剤があるのでそのLED光源を使えばよいのだ。
結局5色を使った塗り分けになり、貨車ごときにこんな手間を掛けたのは初めてだった。普通は多くても3色で、細かいマスキングは必要ないものばかりだった。
2026年06月18日
続 reefer を塗る
ナイフで削って少し塗料を塗る必要がある。当鉄道では珍しいストライプ入りであってよく目立つ。
屋根は銀色にしたくなったので、最後に側面、妻面をマスクして吹いた。これは簡単な作業である。
ディカールはごく一般的な貼り方である。 封を切って一部を使ったディカールはなるべく早く使い切り、袋を捨てたい。最近はかなりたくさん消費したので、残りはスーツケース半分になった。分類して、たくさん抽斗のあるレターケースに入れ始めた。この分類作業はかなり頻繁に行っている。そうすると思わぬものも見つかって、次の工作への指針となる。
今回の塗装で使うディカールを選んで並べ、間違いなく貼れるか予行演習をする。古いもの、一つしかないものには強化液を塗る。そうしておかないと心配である。
2026年06月16日
reefer を塗る
先日調色したラッカを早く使ってしまいたい。それを考えながら、塗らねばならない貨車の塗色を調べていた。もちろん持っているディカールの使える範囲内である。
先回の冷蔵車は黄色のBurlington にするつもりであった。黄色の塗料はないわけでもない。ディカールは使い掛けのを早く使って始末したい。それを並べて考えていたところ、この緑に黄帯の塗り分けを見付けた。いささか荒い写真ではあるが、インターネットあればこその結果で、切り取って保存した。こういう写真は本を見ていても見つからない。個体によって多少違うから、こちらにとっては有難い。ディカールは完璧には揃っていないからだ。
問題は塗り分け線上の黒のストライプである。そんなディカールはないからマスキングでやらねばならない。
まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。
金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。
まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。
金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。
2026年06月14日
gimmick の価値
鉄道模型の趣味がある人のうち、ドアが開いたりするのが好きな人はどれくらいの比率なのだろう。現在、筆者はそういうのは嫌いであるが、中学生のころまではとても好きでドアが開くのを友人に見せて得意になっていた。ドールハウスに使う小さな蝶番を探して買ったこともある。
その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。
さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。
側面の扉は断熱材を再現して厚く作ってあった。扉は観音開きで、ロックが掛かる。鎖錠装置は良く出来ていた。本物のように偏心していて、回転させて死点を越えると開かなくなる。軸の弾力を利用したうまい方法であった。こう書くと素晴らしそうに感じるかもしれない。到着時は見事な作動だったが、徐々におかしくなって来た(この写真は鎖錠装置を壊している最中に思い付いて撮ったので、下半分しか残っていない)。
ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
屋根の氷を入れるハッチ周りの裏側も白い断熱材が張られているのを再現している。ここでそのハッチが開いたまま走れるように、ラッチが掛かって閉まらないようになっている。これは本物の構造の通りだ。氷室の構造もよく再現されていた。良く出来ていたが 3/4 が壊れていた。
作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。
20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。
この件に関してご意見を戴けると嬉しい。
その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。
さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。
ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。
20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。
この件に関してご意見を戴けると嬉しい。
2026年06月12日
続 4-4-2 Pullman
Pullman の公式写真、図面を編集して50巻ほど販売している出版社がある。筆者は UP や NYC のシリーズは持っているが PRR のものはない。持っている人に調べて貰ったが、覗き窓の写真は見つからなかった。それで、「PRR には覗き窓がない」という作り話が生まれたようだ。しかし考えてみれば、覗き窓がなければ上の段に寝た人は今どこを走っているのかは知る方法がない。ということは1段しかベッドがないのか?そんな筈はなかろう。内部の細かい図面(平面図しかないが)を見ても他の車輌と同じである。ということは覗き窓が無いのは不合理だ。
今回友人からその資料の当該ページの提供があったので再度精読したところ、思わぬ記述に出くわした。
1937年7月、"Broadway Limited"と"General"(どちらも特急の名前 筆者註)用に6輌の 4-4-2 寝台車が注文された。注文番号は6450、図面番号は4069Bだ。同時にNew York Central 鉄道も注文した。Pullman の写真技師はそれらの写真を撮るとき、同一のものを全部撮る必要はないと考え、2種の塗り分けを示す写真を撮った。
1968年までにこれらの6輌は全てスクラップになった。(引用終わり)
それがこの2枚の写真である。
要するに、2社とも全く同一仕様で塗装スキームだけが異なる。すなわちPRRにも覗き窓があったと言っているわけだ。PRRの車輌の写真は通路側しか撮っていないので、向こう側の覗き窓の存在を否定する動きがあったわけだ。 模型化されたものを丹念に検索すると、覗き窓のない製品もあった。これは早とちりである。窓配置も奇妙である。
Walthersは覗き窓付きを出した。これは何も考えずにUP、NYCと同時に発売したようだが、それが正解だった。不思議なことはどれもスカートが無いのである。UP には無いが Pennsy にはあったのだ。NYCはどちらの写真もある。筆者のUP車輌のスカートは切った。UPは新車を手に入れたのではなく、1952年に C&NW と SP からの中古車を導入したらしい。UP のスカート無しはその辺りに理由があるような気がする。
模型人は写真がないと想像を巡らせて思わぬ結果を出すようである。筆者もその影響を受けそうになった。早とちりで窓を塞がなくて助かった。
覗き窓のある部分は車体の端に近い部分で、乗り心地が良くはない。中央部は乗り心地が良いので、続き部屋で上等な部屋である。ひとつの車輌の中で良い部分を優等な部屋として提供しているところが興味深い。
2026年06月10日
4-4-2 Pullman
4-4-2 と聞くとAtlantic を思い浮かべる人がほとんどである。しかし客車ファンには別の解釈がある。
これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの廉価版個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。中央付近の乗り心地の良い部分には優等個室がある。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。
2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。

UPやNYCの寝台車にはこの覗き窓が付いていることがよく判る写真が多くあるのだが、PRR ペンシルヴェイニア鉄道用の客室側の写真が見つからない。それで一部のHO模型にはその覗き窓を無くしたものもあった。そうなると、内部の構成は全く異なるものになる。そんな筈はなかろう。
左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。
実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。
これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの廉価版個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。中央付近の乗り心地の良い部分には優等個室がある。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。
2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。
左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。
実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。
2026年06月08日
窓を小さくする
まず丸い隅を削って四角にする。こうすると新しい窓の付いた板を作るのがかなり楽になる。
最初に全体よりも少し大きな板を用意し、孔をあけて角に丸味を付けた角孔を作る。孔の寸法を確認し間違いがなければ4つの辺を切り落として嵌め込む。ガタがないように正確に削り、出来た窓が傾いていないことも確認する。
反対側の窓があれば、それを通して当て板を棒で押して密着させる。塩化亜鉛水溶液を塗り、50%のハンダの粒を置く。200 Wのコテを当てれば 2秒で全体にハンダが廻り、外側が一体になる。溝は出来ない。ほとんど何も仕上げをしなくてもよいくらいだ。
より完全な処理をしたいなら光硬化パテを塗って削り落とせば全く痕跡が無くなる。
2026年06月06日
PRR の coffee shop car
と似た配置の部分がある。また、キッチンにはかなり大きなオヴンがある。RADAR RANGE とあるからmicrowave oven(日本で言う電子レンジのこと)である。アメリカでの発売当初はそう言っていたのだ。今この言葉を使うと全く異なる軍事用語になる。レーダで索敵できる範囲のことを指す筈だ。
この客車では軽食を中心に出す。旅客の出入りは隣の車輌からだ。これは現在の法律では許されない。すべての車輛に2箇所以上の脱出用ドア設置が義務になっている。
側面には小さなドアが2つある。食料、食器の出し入れをするものである。
<筆者註> 読者の方がご親切にも実物の写真を提供下さったので差し替えた。ありがたいことである。
2026年06月04日
Roomette
一方、アメリカの個室は木目調の塗装で落ち着きがあった。これは車内に可燃物をできる限り少なくするという目的で採用された。手描きでクルミの木目が再現してあった。これはプルマンの統一された仕様である。そういう職人を擁していたのである。
ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。
このポスターは「開放寝台は古い。ルーメットの時代ですよ」と宣伝している。プライヴァシィが保たれる個室への移行を表しているのだ。1945年に始まった広告だそうだ。Budd社の広告でプルマンの仕様とは少し異なるが、二段式の上の寝台に登るのが嫌だという人はある程度居るということを強調している。
日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。
ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。
日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。
アメリカではチャンスがあると乗ってみた。寝台、洗面所、ラウンジ、食堂車を順にくまなく見て体験するのは楽しかった。ラウンジにはピアノが置いてある場合が多かったが、調律がしてなかった。
どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。
どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。
2026年06月02日
窓配置
この種の車輌内の売り上げはすさまじく大きかった。当時は、酒は cash でなければ飲めない時代であった。札束がたくさんできたそうだ。
この模型には窓の違いが3箇所あった。1つは塞いだ。反対側に拡げなければならない窓が一つと、小さくせねばならない窓が一つある。
当時 Kumata は凄まじい勢いでこの種のHO客車群を生産し、輸出していた。Oスケールも同時に輸出することにしたのだろう。それで 目黒の模型屋 と組んだらしい。手元に一つだけある箱にはKMT-KTMという紛らわしい名前のロゴマークが見える。さすがに当時の目黒のハンダ付けの職人は上手である。プロのテクニックが見える。それ以前のKMTの製品(P社が製作?)とは一線を画している。
床は無かったので作った。連結器に掛かる力が次の車輌に直接伝わるようにした。スカートがあるので床下機器はかなり簡略化できるのは助かる。
<追記> 1938年の落成時の写真を友人から提供戴いた。驚いたことにこの製品の窓配置である。説明を詳しく見るとこのような説明があった。
すなわち製品の窓は間違ってはいなかったが、旧塗装の時に限られる。筆者は戦後塗装車を作っているので窓を改造して良かったことになる。上の図面は戦後のものである。