沖縄研修旅行で私が感じたこと
同級生E (同志社国際3年)
沖縄研修旅行で私が感じたこと
はじめに
この文章は私が沖縄研修旅行で経験した出来事や覚えていること、そして今感じていることを書いたものである。録音や詳細な記録があるわけではないが当時感じたことや聞いたことをできる限り正確に書いた。
また、この文章は一方的な意見を押し付けたり、特定の人を非難する目的ではない。読みにくい部分があるかもしれないが最後まで読んでもらえたら嬉しい。
私がコースの説明を聞いたあと、Fコースもいいなと思った。友達とFコースにしようよという話になっていたけど結局は違うコースにした。ボートに乗って、豪華なご飯を食べて、美ら海水族館に行ける。このコースすごくいいなと思っていた。友達と色々話した上で自分は違うコースを選んだが、みんなあんなボートだと全く想像していなかったと思う。少なくとも私がコース説明などの与えられた情報から想像していたのは白くて、15人くらい乗れる遊覧船を思い浮かべていた。
研修旅行の流れ
研修旅行1日目(2026年3月14日):
みんな沖縄を楽しみにしながら集合。
伊丹空港に到着。
沖縄に着く。
カトリック安里教会に開会礼拝のためにバスで移動。
開会礼拝では、あんまり覚えてないが讃美歌を歌い聖書朗読などいつもの礼拝のような流れ。そして金井牧師のお話があった。疲れや眠気があったので内容をはっきり覚えていないが、「海上保安庁と戦った」という内容を言っていて、とても誇らしげに語っていると感じた。他に覚えているところは、「人は変われるんだ。(海上保安の人々のこと)」「戦闘力を持たない人が平和を作る。」など。ちゃんと聞いていなかったがこのような状況になった今、もっと覚えていればよかったと思う。そして最後に「Fコースの人は3日目に会いましょう。」と言っていた。
その後、基地のある場所に移動し、ガイドさんの説明を聞いた。
普天間基地のフェンス越しにお話を聞いた。
• 基地があるせいでお墓参りができない人の話。
• この周りの住民は基地に反対だということ。
• 沖縄にある基地からアメリカの戦闘機が出ているので攻撃を受けた国から沖縄は悪魔の島と言われている。
• 沖縄は地上戦で被害を受け今でもこのような扱いを受けているということ。
など全て覚えてはいるわけではないが、このようなことを言っていた。
このガイドさんはちょっとした移動中などとても頻繁にタバコを吸っていて生徒はとても驚いていたし迷惑していた。また、ガイドさんは声が小さく、はっきり何をいっているのか聞き取りにくかった。
研修旅行2日目(2026年3月15日):
2日目は糸数アブラチラガマ、平和公園、ひめゆり平和祈念資料館など沖縄戦の歴史や戦争の悲惨さを学んだ。
ガマに入る前にガイドさんからのお話をたくさん聞いた。内容は覚えていない。そして軍手、懐中電灯、ヘルメットをかぶってガマの中に入った。とても暗くて、ここが治療室、ご飯を置くところ、手術室など説明を聞きながらガマの端から端まで歩いた。とても中は広くひんやりしていて空気が薄かった。床が湿っていたりして滑るので慎重に下った。ここで戦時中、たくさんの人が恐怖心を感じ痛みや苦しみに耐えていたという事実に胸が苦しかったと同時に戦争の恐ろしさを痛感した。ガマの中での説明で、ガイドさんがいっていたことの中に覚えているのがある。
• 日本兵は助けを求めて入ってきた沖縄の住民は入り口のすぐそばにいさせて中に入ってくることは許さななかった。
• 理由としてはアメリカ兵がガマを見つけても住民がいるとして油断するから。
• 爆弾の攻撃などの犠牲にさせられた。
• 日本兵は沖縄の民間人を助けなかった。むしろたくさん殺していた。
• 沖縄は捨て石にされた
というような内容。これらは事前学習の内容とほとんど同じだった。
ひめゆりの塔とひめゆり平和記念資料館に訪れた。想像を絶するような当時の写真、当時のもの、文章、少女たちの顔写真や名前など見た。戦争の悲惨さを学び戦争は繰り返してはならないと学んだ。平和記念公園では、戦争でお亡くなりになられた方の名前がたくさん刻まれている慰霊碑を見た。心の中で戦争で亡くなられた方々に祈った。
研修旅行3日目(2026年3月16日):
3日目のコース別学習の日で、みんなワクワクしていた。沖縄の料理を作るコース、水族館に行くコース、珊瑚礁の植え付けなど1日目と2日目に比べて楽しい内容。その中にFコースの「ボートで辺野古を巡る」があったのだ。
友達に、「うちの学校の生徒が乗った船が転覆したって!ニュースになってる。辺野古って調べてみて。」と言われて調べてみると確かにニュースに辺野古で同志社大学の学生が乗った抗議船が転覆したというのがあった。私は「同志社大学?」「どういうこと?」「抗議船って何?」が最初ニュースを見た感想だった。「同志社大学の学生」と記載されているのは「それは速報だから間違っているけど同志社国際のFコースの人たちだ」と知った。私はこの時はただ転覆したのか、みんな大丈夫かな?心配だな。でもきっと大丈夫だろうと思っていた。どこからか「意識不明だって」と聞こえて、私は心がずんと重くなりさらに不安になった。そしてしばらくすると「2人心肺停止」と聞こえてきた。その時点では誰かわからなかったが、それを聞いて何人も泣き出した。しばらくしたあと、名前がわかり、2人の死亡が確認されたという事実が明らかになり、たくさんの人が泣き崩れ、みんな抱き合いながらお互いを慰めながらたくさん泣いた。その光景を今でも鮮明に覚えている。現実だと受け入れたくなかったし受け入れられなかった。そこからホテルに向かうバスは啜り泣きと静寂に包まれていて、誰も何も言わなかった。
その当時、私は亡くなった船長が開会礼拝で話していた人だとは気づいていなかった。
その日の夜、夕食会場でT先生が「みなさんももう知っていると思いますが、Fコースの船が転覆し、….」と涙を流しながら震えた声で亡くなった女子生徒の名前を呼び、訃報を生徒たちに伝えた。それを聞いてさらに生徒たちは泣いていた。その夜は今までにないほど泣き、パニックで息をするのも難しいほどだった。
研修旅行4日目(2026年3月17日):
元々の予定は国際通りで自由時間を過ごした後、伊丹空港へ帰ることだったが、ホテル待機となった。ホテルの部屋のテレビでずっと辺野古のニュースを見ていた。
那覇空港から伊丹空港に帰る日、私たち生徒はホテルの広い部屋に集められて那覇空港まで行くバスを待ち、バスで空港まで行った。その頃にちょうど記者会見が行われていて、ほとんどみんながスマホでその記者会見を見ていた。目を赤く晴らした人や、涙ぐんでいる人が多かった。その記者会見で校長の発言には疑問や不信感が止まらなかった。
特に、抗議船に乗せることについて知らせていたのかと言う質問に対して
校長の
「生徒の方に関しましては、少なくともこう言う船に乗ることに関して了解済みでの乗船というふうにお考えください。」というところには強い不信感、嫌悪感を抱いた。誰もあんな小さくて、不安を感じるような、抗議船に乗るなんて思ってなかった、何を言っているんだ。この発言がきっかけで、誤解が生まれる。間違った認識を世間に与えないでほしいと。あの記者会見を見て、なんで無責任で甘い体制なんだと驚き、呆れ、悲しみなど色々混じった気持ちになってやるせない気持ちだった。
あの優しくて、いい人だと信じていた先生たちは本当は違うの?いい人とはそもそもどういう意味なのか。
もう何を信じたらいいのかわからない、何も信じれない。
学校の授業の中立性について
高3の社会系の授業の初日、先生が簡単に自己紹介をした。自己紹介の最後の方に、最近の心配事は「憲法改正が心配です。」と言っていた。私は、「えっ、学校の政治的中立性が問題になっている。この時にまで、こんなことを生徒の前での自己紹介で言うことなのか?」と衝撃を受けた。高2の時からこの先生の発言には思想が強いものが多々あったがスルーしていた。
また、高3になってからの別の授業で、前後の話はあまりはっきり覚えていないが、先生が、とある元首相のことを強く批判していたことが印象に残っている。どのような意図があったのか知らないし、教師が個人的な政治的意見を持つことを完全に悪いことだとは思わない。ただ、それは先生が生徒を前にして言うことなのだろうか。
これらの授業の他にも、偏っていると感じる内容が授業で扱われることが多いと感じている。
こんなにも学校は教育委員会からも世間からも教育の中立性について厳しく問われているにも関わらず、その後の授業でも教員の個人的な政治的な考えが生徒の前で語られる場面があることに私は違和感を抱いた。
繰り返しになるが、教師が個人的な政治的意見を持つことを悪いことだとは思わない。しかし、それを教育の場でどのように扱うべきなのか、また、生徒が自分で考える機会が本当に守られているのかについては、今でも疑問に感じている。
沖縄研修旅行で私が感じたこと 同級生E (同志社国際3年) @828011_z
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