飯山陽氏は保守ではない。
最近、日本保守党支持者と、飯山陽氏の支持者が似てきたなと感じます。
保守党批判の急先鋒である飯山氏は、「会」の発足を発表しました。
きっと、飯山氏の支持者は、会の中で各々の役割を果たしていくのでしょう。
私には、これが、「日本保守党が、インフルエンサーに各々の役割を与える構造と似てきたな」と感じるのです。もちろん、飯山氏側には圧倒的に理がある。さらに、大きな組織に立ち向かうには、集団を作る必要があることも理解しています。
ただ、一部の支持者には、飯山氏に対する「個人崇拝」に近い想いがあるのではないか?そう危惧しています。
話は変わりますが、最近の日本保守党は、月刊willに対しておかんむりのようですね。
でも、「発達心理学」を「発達障害」と誤解するなど、やや空回りしている感があります。
私は、問題になっている月刊willの動画を見て、「特に間違えたことは言っていないな」と思う反面、何とも言えない後味の悪さが残りました。
それは、willの山根氏と近藤倫子氏が、顔を見合わせて笑うなど、「日本保守党を過剰に挑発しているように」見えたからです。
もしかしたら、日本保守党を挑発することによって反論させる手法だったのかもしれません。また、日本保守党側も月刊willに対して失礼な発言をしていたから、山根氏や近藤氏も腹に据えかねていた部分があったのでしょう。
しかし、どっちもどっちで、品がない。
さて、その月刊willの表紙に、「言論の自由」の旗を掲げた飯山氏が描かれていると話題になっていたので、私も見てみました。
正直、「似てないなw」というのが率直な感想です。
そして、まるで「言論の自由の女神」のように描かれている飯山氏?らしき人物に強烈な違和感を覚えました。
「ここまで持ち上げて良いのか?」
飯山氏は、よく保守について語ることからも、保守主義者を自認しているのだと思います。
だからこそ、保守系媒体の表紙に描かれたのではないか?と考えます。
では、なぜ飯山氏は、自身の発信する動画内で、「国会議員になる気はなかった」と発言し、「保守党に騙された」と被害者ぶるのでしょうか?
彼女を支持し、投票してくれた人達に失礼なのではないでしょうか?
さらに、飯山氏は日本保守党批判を始めるにあたって、今まで支持してくれた保守党支持者に対し、何の感謝も伝えていません。
「私は、自分の信念に基づき、日本保守党批判を開始します。これからは、正々堂々やり合いましょう。今まで支持してくれて、本当にありがとうございました。皆様には感謝しています。」
こういった一言があっても良かったのではないでしょうか。
それなのに、日本保守党支持者を“信者”扱いして、新しくできた“仲間”と一緒にワイワイしている。
それでは、日本保守党支持者が怒るのも無理はないですよ。
15区補選のとき、言ってましたよね?
「ここ(街頭演説)に集まるよりも、一人十票集めてこい!」みたいなことを。
結局、飯山氏は日本保守党と同じく、支持者を「見知らぬ友」ではなくて、ただの「道具」としか考えていないのではないですか?
日本保守党支持者は、論理的に反論するのが苦手です。そのため、自らの悔しい想いを、誹謗中傷やネットリンチ、スラップ訴訟といった形で表現している部分もあるのではないでしょうか?
ある意味、日本保守党支持者による「準テロ行為」です。
それは、絶対に許されないことです。でも、飯山氏は、そんな彼らと対話しようと試みたことが、一度でもあるのでしょうか?彼らの準テロ行為を助長しているのは、「いじめられている」と被害ばかり強調している、飯山氏自身なのではないでしょうか?
人は、「自分ときちんと向き合ってくれなかった」と感じた時に最も怒ります。少なくとも、私はそう考えます。
そして、私は、「言論の強い者が、弱い者を一方的に断罪するのも、また暴力」だと考えます。
上手く言葉で表現できない人。そういった人々の声をきちんと聞くことが、フェアだと考えています。
もちろん、これは保守党支持者に対しての話であり、言論で勝負するべき百田氏や有本氏は例外です。
私は、保守の定義については知りません。
しかし、少なくとも「家族や友人、身近な人を大切にするのが保守」なのではないでしょうか?
その意味において、今までの支持者を大切にしなかった飯山陽氏は保守ではない。そして、そんな飯山氏を持ち上げるwillも保守ではないのではないか?
私は、そう考え始めています。
飯山氏支持者が、「ウジ虫にも五分の魂」と投稿しているのをXで見かけました。
しかし、それを本当に言いたいのは、日本保守党支持者側なのではないですか?


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