天才は遅咲き 神童がトップになりやすいわけではない
何かで最高の達人になるには何が必要か? スポーツからチェス、クラシック音楽まで、様々な分野で卓越するために何が必要になるかを解明しようと試みた研究が最近のScience誌に掲載された。それによると、やや直感に反するが、子供のころに当該分野で最も有望な成績を示した人が大人になってからその分野の頂点に立つわけではないことがわかった。
「1万時間の法則」に疑問
この発見は、ある技能を意図的に1万時間練習すればそれを習得できるとする「1万時間の法則」を覆すものだと、今回の論文の共著者であるパデュー大学の心理学者マクナマラ(Brooke Macnamara)はいう。この法則はバイオリン演奏に秀でた生徒を対象とした1993年の研究に基づいている。彼らは20歳までに平均1万時間の練習を積み重ねたが、世界クラスの演奏家にはならなかったとマクナマラは指摘する。この研究は、グラッドウェル(Malcolm Gladwell)が2008年に著した『天才! 成功する人々の法則』(邦訳は講談社、2009年)で広く知られるようになった。
「世界トップ級の演奏者は国内トップ級の生徒と比べ、バイオリンの練習を始めた時期が遅い場合が多い」とマクナマラは説明する。彼らは幼いころから複数の活動に従事していた傾向があり、若いときから何か1つのことに突出していたわけではない。「自分の専門分野の練習量は少なめで、むしろ他の分野での練習を多く積み、比較的遅くなってからトップに上り詰める」と彼女はいう。
「意図的練習理論と1万時間の法則は、早い段階に始めて意図的練習を最大化することがエリートパフォーマンスへの道であることを示唆しているが、今回見いだしたパターンはそれに従っていない」とマクナマラは付け加える。
この結果は論文を共著者したミシガン州立大学の心理学者ハンブリック(David Z. Hambrick)にとって驚きだった。「そんな馬鹿なと思った」と彼はいう。「特定の一分野で練習を積むほうが複数分野で練習するよりも有利であることに、何の疑問も感じてこなかった。専門技能は文字通り、特定分野に特化したものなのだから」。
達人への長い道のり
ただしこの結果は、練習や努力は必要ないということを意味しているのではないと研究グループは強調する。むしろ成人のトップパフォーマーが「遅咲き」である傾向を示したものだとマクナマラはいう。
例えばスポーツでは、世界トップ級の選手は国内トップ級の選手よりもピークを迎えるのが遅い。ピークに早く達した選手はその年齢では最高レベルだが、その後、他のグループが最終的に達するレベルには及ばなくなる。
ボストン大学でスポーツ・運動・パフォーマンス心理学を研究しているフィリョ(Edson Filho)は、この研究結果を興味深いと評している。ただ体操など特定のスポーツの選手は他のスポーツ選手よりもはるかに若い年齢でピークに達するし、今回の解析は資金やコーチングなど練習以外の要因を考慮に入れていないと指摘する。
この研究で浮き彫りになったのは、人間は変わるということだ。子どもは練習で燃え尽きることもあるし、単に興味を失うこともある。その道の達人になるには、最も困難な状況下でも一貫して高レベルの成績を上げる必要があるとフィリョはいう。「それは長い道のりだ」。
今回の発見は、特定分野で早くから将来性を示している子供にリソースを集中させがちな教育機関やコーチにとって重要な意味を持つ。そうした子供たちが世界トップレベルに達する可能性が最も高い、というわけではないからだ。
「(早熟の)天才の道を歩まなかった人も恥じるには及ばないということだ」とマクナマラはいう。「世界トップ級のパフォーマーのほとんどもそうだったのだから」。
(詳細は6月25日発売の日経サイエンス2026年8月号に掲載)
- 発行 : 日経サイエンス
- 価格 : 1,650円(税込み)