「表現の自由」どこまで 沖縄の追悼式で高市首相に抗議の声 声を上げた本人・戦争体験者・憲法学者の見解から考える
沖縄タイムス配信
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主なヤフコメは?
- 表現の自由は重要ですが、追悼式のような場では他者の追悼の自由や礼節を考慮し、節度を持って行動すべきだと考えています
- 沖縄のジャーナリズムには、沖縄固有の価値観に埋没せず、広い視野を持って報道してほしいという意見もあります
関連ワードは?
- 表現の自由
- 追悼式
- 政治的抗議
コメント809件
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表現の自由は民主社会の根幹であり、政府や首相への批判も原則として保護される。しかし、その自由がいつ、どこで、どのように行使されるかは別問題である。 追悼式は、まず戦没者を悼み、遺族や参列者が静かに祈るための場である。そこで政治的抗議を行う自由は否定されないとしても、その場の性格や他者の追悼の自由との調和も考えなければならない。 自由とは、権利だけでなく節度を伴うものである
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その歴史から、沖縄には独特の文化や価値観があります。その他の日本と音字価値観を持つことを期待すること自体難しいと思います。沖縄のジャーナリズムには、沖縄固有の価値観に埋没することなく、将来を見据えた広い視野を持っていただきたいと思います。
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表現の自由は大切だ。しかし、その前に人として守るべき礼節と礼儀がある。沖縄全戦没者追悼式は、政治抗議の場ではなく、戦没者を悼み、遺族が静かに祈る場である。そこで大声を上げ、厳粛な空気を乱すことは、本当に平和を願う行為なのか。しかも、協議会や船長が遺族に謝罪していないなら、問題はさらに重い。自由を語る前に、まず迷惑をかけた相手に頭を下げるのが人間としての基本だ。表現の自由は免罪符ではない。礼節を欠いた主張は、かえって信用を失う。
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いかに表現の自由があるとはいえ、時と場所は考えてもらいたいと思います。 戦争を悲惨なものとしてとらえ、自分の思いを伝えたいという気持ちは理解しますが、追悼の思いを持って静かに御霊の鎮魂を祈りたいという参列者の方々もいらっしゃると思います。 兵庫県の阪神大震災追悼式典でも同じようなことがありましたが、表現の自由を盾に自分の思いをぶつけている方たちは、静かに祈りたいという人の心を踏みにじる暴力行為を自分が行っているということを認識してもらいたいです。
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慰霊の式典の主催者である沖縄県(知事)や沖縄のメディアにはっきりと申し上げたいのは「表現の自由は無制限に保障されるものではない」ということ。 当然ながら式典会場には厳かに戦没者を慰霊したい、また、総理がどう発言するのか聴講したいという人がいる中で、この式典で総理挨拶の際に罵声怒号をする者らが、そうした厳かに慰霊したい、総理挨拶を聴講したいと思う人たちの権利を侵害しているわけです。 そういう意味でも、こうした妨害行為を黙認したり容認することは違うと思います。
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たとえ公園のような公共空間であったとしても、猥褻な言動が制限を受けるのと同様に、無制限ではないだろう。 適法な占用許可や使用許可を得て運営されている厳粛な式典に対して抗議の声を上げ、それが式典の円滑な運営に影響を及ぼしているとしたら、公共の福祉に反するものとして表現の自由は制限されるべきではないか。
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個人の表現の自由は保障されていますが、公共の福祉を害さない範囲と言う事は基本かと理解しています。記事の場合、活動家の政治的な主張で静謐であるはずの戦歿者の追悼式典が荒らされて良いはずはありません。 また、活動家の1人は本土から乗り込み大手新聞記者との関係も取り沙汰されていると言う未確認情報があるようですが、沖縄タイムス社には地元紙として情報が本当か否か取材をいただければと期待します。
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いくら抗議を行った者と仲間である玉城が知事であっても、主催者の警告を無視して式典会場内で抗議を行ったことで排除されるのは当然の対応である。 一方で、会場の外から抗議を行うことは、何かしらの対応が及ぶことはないとしても、倫理的には明らかに問題であり、沖縄戦を実際に経験した人をはじめ嘆いている様子である。 表現の自由は、何を発してもいいというわけではない。発した以上は責任が伴い、内容次第では相手から訴えを起こされる可能性もある。 大体、抗議を上げる人の多くが戦後生まれである。その点も、戦争を経験した人のことを慮らず好き放題暴走するというリミッターが外れたイカれた行動も躊躇なく行えるのだろう。 少なくとも、命を落とした方々に対して思いを馳せるための静謐な環境をぶち壊しているということは倫理的に問題であることは確かである。
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表現の自由を否定するわけではないけど、「自由」には常に「責任」が伴うということを理解できていない人も割といるんだよな。 普通の場で抗議活動をする分には、道の邪魔とかにならなければ割と「自由」は認められる。ただ、この事例は「追悼行事」という場でのこと。「死者に対する一般的な宗教的感情や敬虔感情」だって立派な保護法益とされている(死体遺棄・損壊罪くらいでしか使わない表現だが)ことを考えると、その行動は他者への配慮という「責任」を果たさないものであると考えた方が妥当ではないのかな。
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憲法学者でなくても普通の常識のある日本人なら全員そう考えるでしょう。 今の平和運動の一部は平和的な活動ではありません。自分の考える平和の為なら他者を害しても良いとさえ考えている気がします。更に中国のアカウントが1000万件あるとの報道がありました。日本の世論操作を行っている証明と言えましょう。 世界は侵略者に対して実質的に何もしてくれません。先ず自分で自分を守らなければならないのはウクライナを見れば明白です。そして自分の身を守らないようにするのは敵に協力をしているのと同義です。心から平和を愛するという動機で活動をされる方は、将来その自分の活動のお陰で他国から侵略を許し、その為自分の孫子が戦争に行き又は殺されるかも知れない未来を考えた下さい。日本は現在、韓国とロシアに侵略されています。中国は日本(尖閣)侵略の意図を世界に公言しています。今が平和というのは幻想だと気付いて下さい。
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